さらに世界一「考えさせられる」入試問題~まだ、あなたは自分が利口だと思いますか?~ 私が続編から書いた理由は角界の不祥事から!

評価:★★★★★

強い女性という観念は、か弱い花と同じくらいお定まりのステレオタイプだが、私たちは女性みんなが強くなるように望むべきだ。
(本文引用)
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 本書「さらに世界一考えさせられる入試問題」は、「さらに」とついていることからわかるように、続編です。

 本当はパート1の「世界一考えさせられる入試問題」の感想から書くつもりだったのですが、ある事件のために急きょ続編から書くことにしました。

 その事件とは、大相撲で起きた「女性は土俵から降りて」問題
 土俵の上で突然倒れた市長を、医療関係者である女性が救命措置をとったところ、「女性は土俵から降りて」というアナウンスが。

 しかも複数回放送され、アナウンスだけでなく直接口頭でも伝えられたとのことで大問題になりました。


 
 世間では「人命より伝統をとるのか」との批判が当然わきおこり、海外でも「女性差別が色濃く残る国・風習」として報道。
 世界レベルの不祥事へと発展しました。

私が「世界一考えさせられる入試問題」を続編から書こう、書くべきと思ったのは、この「女性は土俵から降りて」事件があったから。
 
 本書では、オックスフォード大学の入試問題として「何が強い女性を作りますか?」という問題を掲載。

 そこで書かれた著者・ジョン・ファーンドンの答えは、大きくうなずけるものでした。 

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 本書はオックスブリッジ(オックスフォード&ケンブリッジ大学)の入試問題のなかで、答えが出せない問題を豊富に掲載。

 「どのように革命を起こせば成功するでしょうか?」
 「あなたならどうやって警察に知られずに人に毒を盛りますか?」
 「あなたならどうやってロックバンドを売り出しますか?」

 といったアイデア勝負のようなもの。

 「コンピューターはどれだけ小さくすることができますか?」や、二人目の子どもの性別の確率、マイナス1の平方根など数学的なもの。
 
 「シェイクスピアは謀反人でしたか?」という、実に英国らしい質問もあります。

 「像(※象ではない)は動くでしょうか」といった、想像意欲をかきたてる質問も。

 読むうちに、頭の中がぬか床のように底からこねくり回される感じがします。

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 ちなみに夫婦で不満がある方は、次の問題がおすすめ。
 「もし、朝食の卵にマーマレードを塗る夫の習慣を妻があらかじめ嫌いだと表明していた場合、それは離婚の理由として有効でしょうか?」

 連れ合いに、どうでもいいような、でも見過ごせないような習慣がありモヤモヤしている方は、本書で自分なりの落としどころを見つけてみてください。
 結構、いや、かなり参考になりますよ。

 さて、ここからが本筋。
 「何が強い女性を作りますか?」です。
 一つ前の問題が「月はグリーンチーズで出来ていますか?」なので激しいギャップを感じますが・・・「強い女性」についての答えは、「もうこれ以上のアンサーはないのでは?」と思える納得のいくものです。

 まず著者は、なぜ「強い男性」と「強い女性」とで、思い浮かぶイメージ像が異なるのかに言及。

 「強い男」と聞くと「残虐な指導者」や「危険を顧みない者」など、悪いイメージが先行しがち。
 一方「強い女性」と聞くと、あらゆる障害を克服し、活躍する者という「良いイメージ」があります。

 著者は、そんなイメージを持つ世の中がそもそもおかしいと主張。
 
 「雑誌『フォーブス』で『重要な女性』を挙げているが、じゃあ、他の女性は重要ではないのか?」
 「集団暴行を受けた女性たちが立ち上がることを「勇敢」と言うが、じゃあ、身も心も痛めつけられたまま自死した女性は勇敢ではないというのか?」等々、様々な疑問を投げかけ、最後には
 

いくら勇敢でも、いくら「強く」ても、彼女たちは虐げられた状況から救われない。これまでずっと勇敢に闘ってきたのに、なぜまだ勇敢でいる必要があるのか?


 と憤りをぶつけます。

 著者の主張を読んでいると、「女性である私」まで、今まで「男尊女卑の思想」にどっぷり浸かっていたことに気づかされ、自分で自分にビックリ。

 「女はか弱い、男の所有物」という考えがはびこっているのが、今の世の中なんだ・・・。
 それを少しでも跳ね返せば「強い女性」と認定されるんだ・・・。
 
 そんな現実に唖然とします。

 さらにジョン・ファーンドンの主張を読み進めると、「強い女性」という表現がいかにナンセンスであるかがわかります。
 
 男女同等であるはずなのに、なぜ女性だと「強い」になっちゃうの?
 「女は男の三歩下がって・・・がデフォルトだから、それが少しでも覆されると、わざわざ『強い』なんて修飾語をつけちゃうの?」・・・そんな疑問がわき起こり、何だか頭に血がのぼってきます。

 たとえば先日の「女性は土俵から降りて」問題で、救命措置をした女性が「強い女性」と言われたとしたら、激しい違和感を覚えますよね。

 人として当然のことをしただけなのに、わざわざ「強い女性」と言われたら、じゃあ他の観客の女性は強くないのか。
 心臓マッサージをした女性は「強い女性」という名の生き物なのかと問われたら、「強い女性」という概念がいかに頓珍漢なものであるかがわかります。

 「強い女性」という言葉だけでなく、「女性が輝く社会」「女性活用」という言葉がモヤモヤするのも、そういう「わざわざ感」が原因。

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 企業で管理職になっていない女性は輝いていないのか?
 専業主婦は活用されていない人間なのか?

 本書の著者の主張にそって考えると、「女性」という言葉にわざわざ「強い」「輝く」「活用」という言葉がついているということは、何だかんだ言って「女性を下に見ている」という気持ちが根底にあることになります。

 それでもなお、オックスフォード大学に入るために「強い女性を作る」という問題に挑戦するには、どう答えるべきか。

 著者の答は、男女問わず「強くなる術」を教えるもの。

 男性でも「強くなりたい」と思っている方は、ぜひジョン・ファーンドンの見解を読んでみてください。

 詠み終えた頃には、ワンランク「強い自分」になっているはずです。

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アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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