「評伝 ナンシー関」

 「勧誘するってのは相手の内面のどこかを揺るがせることだけど、あんた絶対そういう動かされ方はしないもん。もう磐石の如き自意識。全盛期の柏戸もかくや、だな」
(本文引用)
_________________________________

 若くして逝ったコラムニスト&アーティスト、ナンシー関。
 絶妙なキャプションをつけた消しゴム版画といえば、覚えておられる方も多いであろう。
 卓越した文章力と描画力でテレビを斬り、常に胸のすく思いをさせてくれた希代の勇士である。

 ナンシー関が亡くなったと知った時、私は茫然自失となった。ナンシー関が大好きだったからだ。
 
 気の置けない友人とは、「ナンシー関の約百面相」ハガキで暑中見舞いや年賀状を送りあい、文藝春秋で行われた「原ゴム展」には、終業後、サブカル好きの同僚とタクシーを飛ばして駆けつけた。
 そしてナンシー関が亡くなった時には、思いのたけを綴った追悼文を某新聞社に送り、それが掲載された。掲載の有無はさておき、とにかくナンシー関は私の心の支えであり、ナンシーのおかげで毎日が輝いていたと言っても過言ではない。

 その衝撃の急逝から、今年の6月で10年。
 そこで出されたのが、今回ご紹介する「評伝 ナンシー関」である。


______________________________

 まず興味深いのは、何と言ってもナンシー関を形作ってきたもの、つまりナンシー関こと“関直美”の生い立ちである。本書には、ご家族や小中高の友人たちによる談話がたいへん豊富かつ詳細に載せられている。

 世良公則&ツイストのファンだった女の子に「Twist」という消しゴム版画を彫ってプレゼントしたり、長い朝礼の間に長嶋茂雄に関するコラムをメモ帳に書き友人に見せたり・・・後の活躍を十分に予想させる数々のエピソードからは、ナンシー関の類まれなる才能と、テレビに対する並々ならぬ愛情がうかがえる。そしてまた、周囲の人々が“関直美”という個性を心から楽しんでいた様子も垣間見られる。

 そして上京後、ナンシー関は次第に「面白い人がいる」と認められるようになり、毎日が締め切りとなるほどの売れっ子となるわけだが、なぜそれほどまでに業界が、いや世の中がナンシー関を求めたか。
 本書ではその点について、ナンシー関を囲む友人・仕事関係者、そして“彫られた”芸能人らへの幾多のインタヴューを通じて、実に多角的な視点から分析をしている。

 なかでも印象的だったのは、コラムニスト小田嶋隆の言葉だ。

 「自分に見える徳光と、ナンシーが見た徳光を並べてみることで、はじめてその人物像が立体化するというようなことが、徳光に限らず何度もあったんです。私を含めた多くの読者にとって、ナンシーの文章は、テレビを複眼的に見ることを可能にしてくれた功労者だと思っています」
 (本文引用)

 徳光とは勿論アナウンサー徳光和夫のことだが、それは別として、この小田嶋氏の言葉には、ナンシーのコラム同様、抜けるほど膝を叩いた。
 そうなのだ。ナンシー関のコラムを読むたびに、いやコラムを読むまでもなく似顔絵に添えられたキャプションを読むだけで、「自分の見方」と「ナンシーの見方」とが重なり合い、そして「この有名人の今現在のあり方」を明確に定義することができるのだ。そのときの爽快感、高揚感といったら、ちょっと他では味わえないものがあった。

 秋元康に添えられた「マルチに小商い」、永六輔に添えられた「せきこえのどに」、大橋巨泉に添えられた「休めよオレみたいに ばかやろう」・・・。

 どれもこれも「そうそう、そうなんだよね。要するにこの人は」と大きくうなずきたくなる絶妙なひと言。
 業界人でありながら、タレントの価値を視聴者がどう捉えているかという相対的知覚価値を、極めて正確に測定したこの手腕には、もはや天晴というほかない。

 それにしても、なぜこのような見事な作品を、クオリティを落とすことなく作り続けることができたのか。
 それは本書によると、ナンシー関が頑ななまでに「テレビの一視聴者」でありつづけようとした姿勢故、とされている。
 どんなに有名になっても、テレビに懐柔されることなく、一人の視聴者として「面白いか面白くないか」をバッサリと判断し、丸裸にしてそのまま写し取る。
 そのテレビへの深い愛情から来る信念が、同じくテレビを愛する多くの大衆を惹きつける結果をもたらしたのであろう。

 さらに興味深く読めたのが、作家宮部みゆきの談話だ。
 ナンシー関のコラムの大ファンだったという宮部氏は、「心に一人のナンシーを」という言葉を常に胸に抱き、作家として舞い上がることのないよう心がけているという。そしてどこまでも客観的な視点をもつナンシーのコラムのおかげで、「自分を見失わずにすんだ」とまで語っている。

 ちなみにこの「心に一人のナンシーを」という言葉は、民俗学者大月隆寛によるもので、大月氏はナンシー関との対談で、当レビュー冒頭に書いた言葉をナンシーに向けている。
 大月氏は、「ナンシー関は街角で宗教に勧誘されたりしない」と言い切ったうえで、誰もがどこかでナンシー関に見られていると思えば、安易に何かを信じ込んだりすることはないのではないかと語っている。

 もはやナンシー関の及ぼした影響力と功績は、とどまることを知らないことがよくわかるエピソードだ。

 本書には、仕事もプライベートも含めたナンシー関の知られざる情報が300ページにも及んで紹介されているが、無駄に好奇心をそそるようなところのない、とにかく誠実かつ真摯な人物伝だ。
 故人を美化することも貶めることもなく、ナンシー関以上でも以下でもない、ナンシー関そのものをひたすら追い続け、深く掘り下げている。
 それは、ナンシー関が嘘や虚飾を許さない人間だからであろう。
 これがいたずらに美辞麗句を並べたような内容だったとしたら、「こんなこと書いてあったら、そりゃ買うだろうよ。あんまりあこぎなことすんなよ」などとナンシー関が嘆きそうなところだが、そのような嫌らしさのない、純粋な敬意に満ちた評伝である。

 ナンシー関の一ファンとして、著者・横田増生氏に心から感謝したい。
 ナンシー関よ、永遠なれ。
tvcat.jpg



詳細情報・ご購入はこちら↓
【送料無料】評伝ナンシー関

【送料無料】評伝ナンシー関
価格:1,575円(税込、送料別)

関連記事
プロフィール

アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

最新記事
シンプルアーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
RSSリンクの表示
QRコード
QR

書評・レビュー ブログランキングへ
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村
カテゴリ
広告
記事更新情報
リンク
広告