あるクリスマス  トリーマン・カポーティ 村上春樹:訳/山本容子:銅版画

評価:★★★★★

 だからこそ我々は――ある意味では愛を求めつづける孤独な少年である我々は――カポーティの作品を愛さないわけにはいかなかったのだ。
(巻末:「『あるクリスマス』のためのノート」村上春樹より引用)
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  クリスマスは、華やかでありながらどこか悲しい響きがある。

 「マッチ売りの少女」のせいなのか、「クリスマス・キャロル」に登場する病にかかった少年を思い出してしまうせいなのか。それとも、サンタクロースは全員に来るわけではない、と心のどこかで思っているせいなのか。

 このカポーティの小説も、クリスマスだからこそ感じてしまう悲しみや寂しさがある。クリスマスムードが盛り上がれば盛り上がるほど、降る雪のようにシンシンと積もっていく。
 
 それは、心弾む季節に水を差すものかもしれない。しかし村上春樹氏が言うように、だからこそこの作品は胸を打つ。カポーティを愛さずにはいられない気持ちにさせるのだ。



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 少年バディーは、父母とほとんど会ったことがない。

 バディーの生後すぐに、両親は離婚。
 父親は家を出てニュー・オーリンズでの仕事に励み、母親はバディーをアラバマの実家に預けたまま、ニューヨークでの成功に腐心する。

 その間、バディーはアラバマの大家族に育てられる。なかでも、うんと年の離れた従姉は愛情深い人で、バディーを可愛がってくれた。バディーは幸せだった。

 しかしそんなある日、父親からバディー宛に手紙が来る。 

「一緒にクリスマスを過ごしたいので、ニュー・オーリンズまで来ないか」

 バディーは途端に不安になる。
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 この物語を読んでいると、大人というものは、本当に子どものことをわかっていないのだなぁ・・・と顔が赤くなる。

 「大人が求める幸せ」と「子どもが求める幸せ」との間に、いかに乖離があるか。どうにも通い合わない父親とバディーの姿を通して、それがズキズキするほど伝わってくる。

 これはおそらく、父親とバディーが離れて暮らしていたせいだけではないだろう。
 大人同士が感じる魅力的な人間関係、大人同士が感じる魅力的な触れ合い、大人同士が感じる魅力的な贈り物・・・。
 どれもこれも、バディーが求めるものとは大きくズレており、しかもそれを大人はバディーに強要しようとする。

 そしてそのズレは、クリスマスやサンタクロースの存在意義、ひいては「自分を心から愛し、守ってくれるもの」の認識のズレにまでつながっていく。

 それが決定的に露呈された瞬間、大人と子どもはどうなるか。

 本書が発表された前年に、カポーティは父親を亡くしているという。そしてこの本が出されたとき、カポーティ自身の体も酒やクスリに蝕まれており、その2年後にカポーティはこの世を去る。

 この本は、父親と離れて暮らしていたバディーの孤独や、父親を失ったカポーティ自身の孤独を写しとったものかもしれない。
 しかし私は、本書の「親子の乖離」は、普通の親子に普通に起こりうるものだと思う。
 
 だからこの本は長く読み継がれているのだろう。

 世界中の親に「子どもの本当の幸せって、何だろう?」と考えさせてくれるのだから。

 山本容子氏の銅版画が、また素敵。
 バディー少年の心象風景と大人たちの虚飾を、美しくもまざまざと描き出しているようで、ホロリとしつつもドキリとさせられる。
一冊まるごと見事な芸術作品である。

詳細情報・ご購入はこちら↓


 「あるクリスマス」は、この↓「クリスマスの思い出」の裏がえしとされているらしい。
 確かに、これら2冊を同時に読むと、クリスマスの「正の部分」を通して「負の部分」があぶり出されるように思える。
 「クリスマスの思い出」の挿絵はカラーで、「あるクリスマス」はモノクロというのも示唆的だ。
 2冊とも読むと、子どもの目から見たクリスマスというものをより鮮明かつ深く味わうことができるので、お薦めである。



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アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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