「寝ながら学べる構造主義」

 世界は自分の目に見えているのと同じように他のすべての人にとっても見えているのだろうか。自分にとって「自明」であることは、他の人にとっても等しい確実性をもって自明なのだろうか。(本文引用)
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 最近、尖閣諸島の命名をめぐり、日中関係がまたもギクシャクしている。
 日本政府が、尖閣諸島を含む日本近海の無人島に名前をつけたところ、すぐさま中国政府から独自の名称が発表され、自国領であると主張。
 それに対し、日本側も「中国の主張は全く受け入れることはできない」とし、平行線の構えだ。

 日本と中国のみならず、自国の領地をめぐる問題は、世界中で絶え間なく起こっている。

 そしてそのほとんどが、両者譲ることなく長年引き伸ばされ、時に古傷がうずくようにうごめいては両国間をピリピリとさせる。

 それにしても、なぜこのような問題が常に起きるのだろうか。
 それはおそらく、どちらが正しくて、どちらが間違っていると言えないものだからであろう。

 是非を判断できない理由は、「地理的にどちらが近いとも言えないから」などといった物理的・客観的なことではない。

 そもそも私たちは正しい判断をすることができない、つまり「私たちの思想や行動は、自身の生活する社会の枠組みにとらわれている」からなのだ。

 人間の考え方や行動を、その背後にある時代・文化の枠組み=構造から分析することを「構造主義」という。

 その構造主義を極めてわかりやすく、「縁側でお茶でも飲みながら」(あとがき引用)解説してくれたのが、この「寝ながら学べる構造主義」である。


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 戦争で、なぜ多くの日本人は国に命を捧げたのか。
 なぜ罪のない何万人ものユダヤ人が殺されたのか。
 なぜあの虐殺はあったのか・・・etc.
 そして今尚、加害者側とされる国が、「あの行動は正しかった」というような発言をすることがある。
 多くの人、特に若い人は、そのことに疑問に感じるだろう。
 私も疑問を感じ続けている一人だ。

 しかし、この本を読んで非常に合点がいった。
 その時代に、「構造主義」思想が浸透していなかったからなのだ。

 あらゆる人間の思想について、「普遍的に正しいということはまずあり得ない」ということと、「自由なようでいて、必ず無意識のうちに社会構造や時代に制約されている」ということが認められるようになったのは、ここ30~40年ほど。驚くほど最近のことなのだ。

 この変化は本書の中で、人間観における「天動説」から「地動説」への移行といわれるほどの大転換だったと書かれている。

 事実、1950年代のフランス対アルジェリアの国際紛争において、「フランスとアルジェリア、どちらにも一理あり、どちらにも間違いはある」と相対的な見方を語ったのは、「私の知る限り、アルベール・カミュただ一人」であり、「カミュはこのときほとんど孤立無援だった」と内田氏はいう。

 そして恐ろしいことに、人間は「自分がどのように思考しているか」を意識していない
 
 人は、無意識のうちに、自分にとって都合の悪いことは目に入らないようにしている。都合の悪いことを意識することは苦痛なので、それについては考えないようにしている。

 例えばいたずらっ子が、「親には絶対にばれない」と思い込んで、ちょっとしたいたずらをする。しかしたいてい、親にあっさり見抜かれて叱られる。子どもとしては「なぜわかったんだろう?」と不思議に思う。
 それは、この子どもが「自分がいたずらっ子であるという事実を、親は知っている」という情報をシャットアウトしてしまっているからなのだ。
 
 フロイトは、このシャットアウトを「抑圧」のメカニズムと名づけているが、本書ではこの「抑圧」という人間の愚かしい面を、狂言の演目、親による虐待など多方面から噛み砕いて解説している。
 そして哲学の素人である私は、そのように同一の目線で語られれば語られるほど、自分の考えや意識はどれほど偏狭的なのだろうかとゾッとしてしまうである。

 さらに人間の不思議な点は、「権力を理不尽にふるう人間には畏れを抱く」という心理構造をもっていることだ。
 「権力を理不尽にふるう人間」すなわち「暴君」であるが、このようにルールも規則もなく権力をふるう者は、次に何をしでかすかわからないために、人々は屈服してしまうのだという。

 言われてみれば確かにその通りであり、本書を読んでいると、例えば言論の弾圧(「プラハの春」参照)や帝国主義、宗教によるテロ、冤罪、いじめ、家庭内の虐待なども全て「我々は構造主義的に物事を考えさせられている」で説明でき、ストンと腑に落ちた気持ちになる。

 かくも人間とは救いのないものか、と暗澹たる気持ちになるが、諦めることなかれ。

 人間には、自己客観視という能力が備わっている。

 本書中で「人間は『他者の視線』になって『自己』を振り返ることができますが、動物は『私の視線』から出ることはできないので、ついに『自己』を対象的に直観することができないのです」とされている。
 
 これはすなわち、人間が人間であるためには、自分を絶対と思ってはいけない。
 自分自身を投げ入れられた環境から捉え、己の思想はそれに囚われているということを認識し、他方面から行動を振り返らねばならない、ということだ。

 戦争や独裁、暴動、弾圧等はいわゆる集団浅慮の最たるものと思われるが、このように「自分を主体」とするのではなく、「自分の置かれた環境・構造を主体」とすることで、やや短絡的かもしれないが、可能な限り抑えられるのではないだろうか。

 「寝ながら学べる」と謳うこの哲学書。
 私は寝ながら読んでいるうちに、いつの間にか身を起こしていた。
 タイトルとは逆に、目の覚める一冊である。

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Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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