森は知っている 吉田修一

だがしかし、自分以外の人間は誰も信じるなという言葉には、まだ逃げ道がある。たった一人、自分だけは信じていいのだ。
(本文引用)
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 作家の中には、全く違う物語でも、繰り返し同じ苗字を使う人がいる。その苗字のキャラクターが決まって悪役である場合など、過去に同姓の人に嫌な思いをさせられたことがあるのかな?などと考えてしまう。

 今回も「鷹野」という苗字を見た時、その類かと思った。が、それはとんでもない勘違いだった。
 何と、あの「太陽は動かない」の鷹野一彦その人ではないか!

 「太陽は~」に惚れ込んだ身として、これほど嬉しいことはない。
 またも食うか食われるかのハードアクションが読めるかと思ったが、内容は想像とはやや違った。

 今作は前作よりも、うんとウエッティ。鷹野たちは、なぜ企業スパイという危険な仕事に身を投じることになったのか。なぜ「失敗には死を」とばかりに、体に爆破装置を埋め込まれるまでになったのか。
 それまでの想像を絶する艱難辛苦が、克明につづられている。
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 鷹野一彦は、実は一度死んでいる。
 幼少時代、母親の完全なネグレクトにより弟は死亡。一彦は餓死寸前で救出される。
 しかしその後、一彦は「施設で病死した」ことになる。そうしないと、苛烈な虐待をした父親のもとに帰されてしまうからである。
 代わりに一彦を引き取ったのは、AN通信の風間だった。風間は孤児に十分な生活を保障しながら、企業スパイに育て上げるという任務を請け負っていた。

 そうして育てられた少年たちは、18歳になると企業スパイとして巣立っていく。
 南の島で高校生活を送っていた一彦も、ついにその時を迎えようとしていた。
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 この物語を読み痛烈に思うのは、今住んでいる場所で安心して暮らすことができ、一人でも誰かを信じられるということの有難さだ。 

「自分以外の人間は誰も信じるな」

 そう言われつづけて育てられた鷹野は、重大な局面にぶつかるたびに「誰の何を信じれば良いか」にひどく悩む。
 無二の親友と思える相手すら時に疑い、さらに別の誰かが、その無二の親友もろとも自分を騙そうとしているのではないかと、辺りをうかがう。
 そんな精神構造が、企業スパイという仕事を遂行するうえでは有利に働くのだが、そこが何とも悲しい。
 スパイ活動では良くても、普通の学校生活ではそれが障害になる。そのコントラストが鷹野の人生の過酷さを物語っており、私は何度も泣いた。しかしそこが、“吉田修一”という作家の上手さなのだろう。

 こう書くと、何だかひどく残酷で救いのない物語に見えるかもしれないが、決してそんなことはない。絶望の闇のなかで、時々スッと射しこむ希望の光が、読んでいてとても心地好い。
 その「希望の光」とは、「人を信じること」。「人を信じない」ことをポリシーとしてきた人間が勇気を出して誰かを信じた時、その人は何倍も強くなり、人生は何倍も豊かになる・・・心からそう思える、馥郁たる物語だった。

 人間の狂気を読みたければ、吉田修一を読もう。
 そして、人間の温かさを読みたければ、吉田修一を読もう。

 そんな言葉を叫びたくなる小説だ。

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アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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