歴史をつかむ技法 山本博文

 歴史的思考力とは、人生を豊かにする教養になるのだと思います。歴史を学ぶ最大の効用は、まさにそこにあるのではないでしょうか。(本文引用)
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 本を読むのが楽しくなる本、というものがある。
 この本を読んだおかげで、他の多数の本を楽しめるようになった。そう思える本である。

 そのような本を読むと、私はどんな料理もおいしくなる万能調味料に出会えたような幸福感でいっぱいになるのだが、この本はまさにそんな一冊。
 「歴史をつかむ技法」を知れば、歴史にまつわるあれこれが、こんなに面白くなるなんて!
 暗記の辛さから歴史嫌いになっている方に、全力でお薦めしたい本である。
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 本書の魅力は、まず「歴史がもつ堅苦しさ」を打ち砕いてくれる点にある。

 第1章では、歴史用語に対する思い込みを爽快に打破。
 「幕府」とは何か、「天皇」とは何か、そしてそもそも「日本」とは何か。
 私たちが普通に「日本」と言っているものは、実はそれほど昔からあるわけではない(つい最近というわけでもないが)。
何となく今の列島の形ができた頃から「日本」という国があったような気がしているが、「日本」という国号が正式に定められるまでは「日本」ではなかったのである。
 要するに、歴史用語や呼称というのは「便宜的に用いられているもの」なので、さほど神経質にならなくてもよいと、山本氏は読者の頭をもみほぐす。

 「〇〇時代」という分け方もそうだ。
 どのような政治的な動きがあったか、そしてどのような文化が発展したか。時代や文化の名称等も混乱しやすく敬遠されがちなものだが、名称はあくまで便宜上の目安であると著者は強調。
 そうして読者を安心させたうえで、歴史の流れをすっきりと整理し、易しく深く政治・文化の流れを解説していく。その、山本氏の流れるような文章は、歴史嫌いだった「過去の自分」を忘れさせる心地好さだ。

 さらに非常に勉強になったのは、「歴史小説とのつきあい方」だ。
 
 数々の史料から事実を追究し、正確に世に紹介していく「学問としての歴史」。
 史実を取り入れながらも、誰かをスターにし、活劇要素も盛り込んでいく「エンタテインメントとしての歴史」。
 あくまで客観的な史料に基づき、独自の解釈や推測は禁じられる歴史学と、独自の解釈や創作も許される歴史小説。
 その二つを混同させないようにと、著者は繰り返し語る。 

歴史学という学問は、過去に生きた人たちを冒瀆するものであってはならない、と思います。真剣に考えて間違えるのは仕方ありませんが、単なる思いつきで、過去の人々を安易に断罪してはいけません。逆に、さまざまな史実の中で都合のよい部分だけを抜き出して、特定の人物を礼賛するのも戒めるべきだと思います。

 歴史学は、あくまで科学的な思考で行う学問だ。そこに必要とされるのは正確な史料につづられたもの以外の予断は許さない、公平かつ冷静な目線。安易に、誰かを悪者にしたりヒーローにしたりしてはいけないのである。

 しかし、それは決して歴史小説を下に見ている、という意味ではない。そう区別することが、歴史小説を楽しむ秘訣でもあるのだ。
 歴史小説に対し「史実と異なる」などと批判するのは、全くもって意味のないこと。創作の世界に真実を求め目くじらをたてる必要など、もとからないのである。

 このようなリベラルな著者の主張は、歴史学および歴史小説に対するハードルを一気に下げてくれる。これから、歴史学や歴史小説を読むのがますます楽しみになってきた。

 歴史のとらえ方、つきあい方、楽しみ方を流麗な文章で伝授する「歴史をつかむ技法」。
 知識偏重への懸念が叫ばれる昨今に、ふさわしい一冊と言えるだろう。

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アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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