「春にして君を離れ」

「自分自身についてこれまで知らなかったことなんてあるものかしらね?」
「ときどきお母さんって、誰についても何も知らないんじゃないかって思うことがあるんだ・・・」

(本文引用)
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 結婚したばかりの頃、私は理想的な家庭を作ろうと必死だった。

 会社に勤務しながらも、毎日、何品目もの手料理を作り、部屋を磨き上げ・・・。
 夫はそんなことをうるさく言う人ではないのだが、「だからこそ、私がやらなくては!」などと妙に気が張っていた。

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 しかし、ある日、夫がこうつぶやいた。

「君が楽にしてくれないと、僕も楽ができないよ」


・・・その言葉で目が覚めてから数年、仕事はまだ続けているものの、今や立派な「花のズボラ」母である。
 

 冗談はさておき、私はあの当時、夫のことも私自身のことも全く見えていなかったのだろう。知らなかったのだろう。勝手にこしらえた「理想の家庭像」というもの以外には・・・
 
 今でも時折、「家族のために、私だけがこんなにがんばっている!」などといった勘違いをしては、夫と子供を置いてきぼりにして、一人でイライラすることがある。
 そんなとき、本棚でこの本の背表紙を見るだけで心にブレーキがかかる。

「春にして君を離れ」・・・“ABSENT IN THE SPRING


 女流作家アガサ・クリスティーによる、ある“女”を描いた小説である。
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 イギリスで弁護士事務所を経営する夫と、かわいい3人の子供に恵まれ、何の不自由もなく暮らす女性ジョーン・スカダモア。
 ある日、ジョーンは、結婚してイラクのバグダッドに住む末娘が病気と聞き、娘夫婦の家に駆けつける。
 そして、「もう私が全て対処したから大丈夫。娘夫婦も喜んでいるはず」と誇らしげな気持ちで帰途につく。

 しかし、その途中で大雨に見舞われ、乗るはずの電車が何日も来ず、しばらく宿泊所で一人、過ごすこととなる。

 眼前にはアラブの砂漠。持ってきた本も読みつくし、日がな一日、その荒涼とした風景を眺める。
 そしてジョーンは、結婚生活や自分の人生について振り返る。
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 子供の教育には、それはもう力を尽くし、良い友達を選んであげ、子供が幸せになるためなら何でもしてやった。
 夫が弁護士を辞めて農場を経営したいと言い出したときには、家族の生活を思い、断固として反対した。おかげで、今も富裕な生活を続けることができている。
 部屋のクッションが汚れていれば、すぐに買い替え、住み心地の良い家であるよう心を尽くしてきた。
 惨めな生活を送る旧友を見て、「ああはなりたくない」と、最大限の努力をしてきた。

 すべて「私のために、夫のために、家族のために」!
 
 しかし、遠く現れる蜃気楼を見つめているうちに、こんな思いが胸をよぎる。
  
 もしかして、自分がよかれと思ってしていたことは、誰も幸せにしていなかったのでは・・・? 

 全ては自己満足という名の蜃気楼だったのではないか・・・。
 ジョーンは、今までの己の滑稽さに打ちひしがれながら、自宅の扉を叩く。
 そこには夫のロドニーが待っているのだが・・・?
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 アガサ・クリスティーといえば、「オリエント急行の殺人」や「そして誰もいなくなった」など数々のヒット作を生み出した「ミステリーの女王」だ。
 しからば当然、この本についても、あっと驚くトリックや謎解き等いわゆる“ミステリー”を期待するだろう。
  
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 しかし、この本には殺人どころか血が流れることもなく、謎解きもない。
 本当に、ただ「一人の女性」の姿を描いただけなのである。
 
 なのに何故だろう、こんなに怖いのは。
 
 それはきっと、あまりに自分の姿と重なるからだ。
 「立派な妻であり、母であろう」としたばかりに引き起こされる、ある意味とりかえしのつかない罪。
 その罪を自分自身も感じているから、この小説が怖くて怖くて仕方がないのだ。
 
 そしてその罪に気づくかどうかで、夫や子供の気持ち、家族の未来が全く違ったものになる。


 この小説のエピローグ・・・特に最後の2行は、鋭い刃をもってその恐ろしさを伝えてくれている。
 その意味では、これはまさしく人間そのものを凶器としたミステリーといえるのではないだろうか。
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 子供の成長に伴い、家庭の姿も変わっていくだろう。夫の仕事や将来の展望も揺れ動いていくことだろう。
 そのたびに、私はこの本を開こう。
 家族の本当の幸せを願いながら。
 そして、家族の幸せを私が願うこと自体が、不遜なのではないかと己に問いかけながら。
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アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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