「泥流地帯」・「続泥流地帯」

「●●さんに怒られるよ!」

・・・私は、この言葉が嫌いである。

「お天道様が見てなさるよ」なら良いのだが、
「●●さん(例:お父さん、先生、お巡りさん)に怒られるよ!」
という叱り方は、どうも納得がいかない。

ならば、お父さんが、先生が、お巡りさんが見ていなければ、何をしてもいいのか?ということになる。
(というわけで、お天道様ならば逃れられないので、私としては「良し」としたい)

・・・といいつつ、私にも3歳の子供がおり、本当に本当にホントーーーーー!!ッに言うことを聞かないので、「●●さんに叱られるよ」といいたくもなるのだが。
(なにぶん、「なぜいけないか」という理由をしつこくしつこく話しても、子供はなかなか理解できないのでね・・。)

しかしこのたび、その私の信念を、改めて固めてくれた本に出会った。

「泥流地帯」「続泥流地帯」(三浦綾子著)である。

なぜこの本を手に取ったかというと、先月の東日本大震災で、この本を思い出したという話を聞いたからである。

このたびの震災は、倒壊や火災ももちろんだが、津波が・・・津波が実に多くのものを奪い去ってしまった。
震災当日、仕事をもつ私は帰宅困難者となり、家に帰ってきたのが深夜になってしまったが、
せいぜいその程度で、震災で家族や愛する人、仕事、学校・・・諸々のものを失った人の辛さには、到底およばない。

「泥流地帯」は、大正15年の十勝岳大噴火により集落をすべて流された兄弟が、復興を誓い、再び村に美田よみがえらせるべく歩んでいく苦難の物語である。

この本を読めば、傲慢といわれるかもしれないが、少しでも、ほんの少しでも、震災に遭った方々の気持ちを理解できるのではないかと思ったのだ。


貧しい小作農家に生まれた拓一と耕作は、電灯もなく、白米もほとんど食べられない生活の中、労働や勉学に励む。
その2人を囲む家族、貧しさゆえ遊郭に売られてしまう幼馴染の福子、強欲で人非人の父親をもちながらも真摯に人生を生きようとする節子、子供たちを見守る先生や村長。
誰もが彼らなりに一生懸命に生きていた。

しかしある日、十勝岳の大噴火により、すべてが変わってしまった。
祖父母が死んだ、妹が死んだ、幼い教え子が死んだ、妻が、生まれたばかりの子供が・・・
一瞬にして泥流に流されて逝ってしまった。

その後、必ずこの地に再び稲を根づかせてみせる、という復興派と、
もし失敗したら農家の負債が膨らむばかり、という復興反対派とで対立する。

そのような不安定な空気の中、拓一、耕作、福子、節子らの間に以前から芽生えていた純真な恋心は、
いつしか愛へと変わり、絆は強固なものとなっていく。


そして前に向かって進みゆく彼らはいう。

「どんな泥流にも、真実だけは流すことができない」と。


この物語を読み進めていると、あることに気づく。
誰も、誰かにほめられようとか、叱られたくない、という気持ちで動いていないのだ。

物語のはじめの辺りで、耕作の友達・権太がいう。

あんなぁ耕ちゃん。父ちゃんが言ってるよ。叱られても、叱られなくても、やらなきゃあならんことはやるもんだって(本文引用)


彼らが強いのは、叱られらたくないから働いているわけではないからだ。
勉強しているわけではないからだ。
行動しているわけではないからだ。

だから、誰に怯えるわけでもなく、背筋を伸ばして生きている。

(その証拠に、暴漢を雇って耕作を襲わせようとした卑劣な人物は、「警察にだけは訴えないでくれ」とヘコヘコ頭を下げている)

この本を読んで、改めて
「●●さんに怒られるよ!」という叱り方はすまい、と心に誓った次第である。
(※なお、「お母さんに怒られると怖い!」という威厳は保っておこうと思う)







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アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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