胡蝶殺し 近藤史恵

 「ぼくが頑張れば、母を助けられるとは思えなかった」
(本文引用)
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 歌舞伎界の物語である。買った動機は、自分には縁遠い世界の内幕を見てみようという、やや不純なものであったが、読んでみて驚いた。
 非常に、子育てに役立つ本なのである。
 それは私に、主人公の少年らと同じ1年生の子どもがいるせいであろうが、これほど「育児」という面で開眼させられた本はない。

 子どもの人生を、どう考えていくか。子どもの自立を、どう見守るべきか。
 梨園を背負うことを嘱望された二人の少年と、その家族。彼らの闘いの物語は、歌舞伎界に限ったものではない。その苦悩と迷いは、どの親子にも当てはまるものだ。


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 歌舞伎役者・市川萩太郎のもとに、ある依頼が来る。
 それは7歳の子役、中村秋司の後見人になってほしいというものだった。秋司の父親が病死したためだ。
 萩太郎は戸惑ったものの、自身も少年時代に父親を亡くし、後ろ盾を亡くした辛さを味わっていたため承諾する。

 実は萩太郎には、俊介という一人息子がいる。秋司と同い年だ。
 俊介も梨園を継ぐべく練習はしているが、どうも歌舞伎に対する興味が薄く、才能も感じられない。
 一方で秋司は踊りが抜群にうまく、才能にあふれている。

 ある日、俊介に子役の難役の話が舞い込む。
 萩太郎は俊介には無理だろうと思い、秋司にその役を回す。

 出ずっぱりの主役級の役に、秋司の母親は大喜びし、秋司は稽古に励むのだが・・・。
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 この物語には歌舞伎界独特のしきたりや考え方なども多少は盛り込まれているが、それ以上に子育ての難しさが前面に押し出されている。
 たとえば萩太郎と俊介、秋司の歩みは、どことなくカントの「教育学」を彷彿とさせるものだ。
 カントは、人間を「教育されなければならない唯一の被造物」とし、その「教育」を「養育」、「訓育」、「人間形成をともなった知育」に分ける。
 特にこの小説が描くのは「訓育」以降。動物的本能で動き回る子どもを、じっとしていられる人間にし、ある強制(法律等)と己の自由とを統合させる能力を身につけさせる。
 この小説でいうところの「強制」とは、主に「梨園のしきたり」であろうが、それを身につけつつ、俊介と秋司が自らの意志で自立していく。それがこの物語の背骨だ。

 そんな、サナギから蝶になろうとする少年2人の姿は眩しいほど崇高だが、それだけに大人たちの滑稽さが際立ち、面白い。
 「自分はこの子の可能性をつぶしているのではないか」
 「自分はこの子の可能性を買いかぶり過ぎているのではないか」
 そうやって大人が右往左往している間、子どもはしっかりと自分の人生を見つめ、巣立ちの準備を始める。本書には、そんな大人と子どものギャップが濃厚に描かれており、子をもつ親としてグイグイ惹きこまれた。
 
 この物語を読み、今さらながら、この2つに気づかされた。

 「親と子どもは別人格である」、そして「子どもは親が思うほど子どもではない」。

 特にラスト、秋司の秘密が明かされるシーンでは、心からそう思わずにいられない。嬉しくも悲しくも、子どもは親が思うよりずっと大人なのである。

 タイトル等から、途轍もなくドロドロしたストーリーを想像するかもしれないが、後味はとても好い。波乱万丈なストーリーではあるが、嵐の後に何もかもが洗い流されたかのような爽快感がある。

 梨園云々、後継ぎ云々、男の子云々などを抜きにして、子どもの成長を見守る立場にある人全員に、ぜひ読んでもらいたい。


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アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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