見上げれば星は天に満ちて ~心に残る物語 日本文学秀作選~ 浅田次郎編

 天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分つて呉れる者はない。丁度、人間だつた頃、己の傷つき易い内心を誰も理解して呉れなかつたやうに。
(中島敦「山月記」より)
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 齋藤孝氏の「学校では教えてくれない日本語の授業」を読んで以来、“名文”というものを激しく欲するようになった。唄うような踊るような流麗な文章を味わいたい・・・そんな欲求が強くなってきた。

 そこで手に取ったのが、「見上げれば星は天に満ちて」
 この本には、ベストセラー作家浅田次郎氏が「心に残る物語」という基準で選んだ13篇の物語が収められている。
 「小説家である前に、小説好き」と語る浅田氏が選ぶ、空に輝く星々のような物語とは――。
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 本書に登場する物語の作家陣は、誰もが知る著名人ばかりである。

 
 森鴎外、谷崎潤一郎、芥川龍之介、川端康成、山本周五郎、井上靖、松本清張・・・。

 主に明治から昭和後半にかけて活躍した、誰でも一つは作品を読んだことがあるであろう、豪華メンバーである。

 しかし収められている作品の知名度はというと、ややバラつきがある。中島敦の「山月記」や小泉八雲の「耳なし芳一のはなし」等はたいていの人が知っているだろう。
 だが、川端康成の「死体紹介人」等はあまり知られていないのではないか。松本清張の「西郷札」等も、そう有名ではない。

 しかし、そこに本書を読む醍醐味がある。たとえ有名ではなくても、心をとらえて離さないような名作がある。それを知る喜びは、未だ知られていない美しい星を見つけた時の気持ちと同じではなかろうか、と思う。

 そのような小説のなかでも特に面白かったのが、芥川龍之介の「疑惑」だ。
 これは、ある大学教員のもとに、ひとりの男が驚きの告白をする物語だ。

 男は大地震に遭った際、瓦礫の下敷きになった妻の体を必死に引き抜こうとしたが、どうしても抜くことができなかった。そうするうちに火の手が迫り、男は、妻が生きたまま焼かれることを不憫に思い、ある行動をとる――。

 浅田次郎氏は解説のなかで、この物語を「実に面白い」と絶賛しているが、本当にこの話には心底引きこまれた。それはこの男の恐ろしき「狂気」と「疑惑」が、程度の差こそあれ誰の胸にも湧き起るものだからだ。 

しかしたとひ狂人でございましても、私を狂人に致したものは、やはり我々人間の心の底に潜んでゐる怪物のせいではこざいますまいか。その怪物が居ります限り、今日私を狂人と嘲笑つてゐる連中でさへ、明日は又私と同様な狂人にならないものでもございません。

 男は最後、言いつくろうようにそう語るが、その通り我々もいつ彼と同じ狂人にならないともかぎらない。これほどの窮地に立たされることはそうそうないであろうが、この男の狂気と疑惑、悔恨は、とうてい他人事とは思えないのだ。
 本作は巧みなストーリー展開で、人々がもつ別の顔を残酷なまでに引き出していく。流れるような筆致で、読む者の心臓を鋭く裂いていくような物語だ。

 また、教科書に載っているような有名な物語を、改めて全編読めるのも嬉しい。
 そのひとつは、何といっても「山月記」
 高校の授業等で習うため、おそらく知らない人はいないと思う名作だが、大人になってから読み直すと、その素晴らしさに全身が震えてくる。
 浅田氏が「漢学の素養を礎としたこの作家の文体の美しさは、近代文学には比類がない」と語っているとおり、とにかく文章のテンポが心地好い。読んでいると、頭の中で弁士がベベンベンと語る声が聞こえてきそうだ。
 だからこそ、虎になってしまった人間の悲しさが胸に迫る。文、内容ともに「美の極致」といえる作品だと、改めて思う。

 そして、「耳なし芳一のはなし」。この話、どういうわけか誰もが知っており、体に文字を書いたり、何かにビッシリと文字が書かれていたりすると、必ず誰かが「耳なし芳一か」「琵琶法師じゃないんだから」などと突っ込みを入れる。それぐらい有名な怪談だ。
 そんな「耳なし芳一」の話も、全編じっくり読むと、様々な気づきがあって味わい深い。特に、住職が小僧のミスを自分のミスとして芳一に謝るシーンなどは、子どもの頃は気にも留めなかっただろう。ところが社会人になってから再読すると、意外とこんな場面が心に響いてくる。そんな発見が、また面白い。

 天に満ちる星のように、ときめきとやすらぎをくれる文学秀作選。
 星が美しく見える季節に、手に取ってみてはいかがだろうか。

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アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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