世界を、こんなふうに見てごらん  日高敏隆

 いくら我々がまじめに考えてやっても、それはやはりひとつのイリュージョンであって、ほんとうにそうであるかどうかはわからない。あくまでも、そうだろうと思うだけの話だということです。
(本文引用)
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 現在小1の子どもは、どうやら国語の教科書に載っている「てんとうむし」という詩が好きなようだ。

 もともと虫好きということもあるが、内容がなかなかホロリとさせられるのも良いのだろう。

 体は小さくとも、命の重さは象と同じ。
 見かけたら声をかけてほしい。僕もあいさつを返すから。君には聞こえないだろうけれど。

 たしかこんな内容だ。

 その詩を毎日嬉しそうに音読する姿を見て、このたびこの本を手にとってみた。
 動物行動学者・日高敏隆氏の「世界を、こんなふうに見てごらん」


 その優しげなタイトルと美しい表紙から、「見て!世界ってこんなに素敵なんだよ!」と語りかけるような内容を想像しながらページを開いた。

 ところがこれが、大きく違った。

 内容はむしろ、表紙裏にある日高氏の写真の表情に近い。
 憎まれ口のひとつも叩きそうな(失礼!)雰囲気がプンプンしている。少なくとも、私が期待するようなメルヘンチックな香りは感じられない。

 しかし、これが実に良かった。想像していたものと方向性は違ったが、その「方向」が非常に面白かった。逆に、私の期待していた方向でなくて、本当に良かった。

 なぜなら、「私が期待していた方向」=「世界ってこうだから、こうなって、だから生きてるってこんなに素敵なんだよ」という本だったら、本質がわからないまま、否、本質を問う姿勢すら持てないまま生きていくところだったからだ。
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 日高氏は、幼い頃から虫が好きだった。いじめられて教室を飛び出した時には、枝の芋虫と会話をした。犬の死骸などを見つけた日には、それにわく甲虫類を夢中で観察し、警察官に連行されることもあったという。
 そんな日高少年は、東大理学部で動物学を研究し、東京農工大や京大で教鞭をとり、滋賀県立大学初代学長や総合地球環境学研究所初代所長などを務める。まさに三つ子の魂百までを地で行くような人生である。

 では、好きな道をそこまで極めた人の源泉は何か。
 それは、「なぜ?」の精神である。

 なぜ、この種類の蝶はこんな飛び方をするのだろう?
 なぜ虫は、自分の姿を鏡で見たことがないのに、相手が「自分と同じ種類の虫の雌である」とわかるのだろう?

 こんな「なぜ?」を、日高氏はひたすら追い求める。

 そしてそこからが面白いのが、日高流の生き方・考え方。 

真理があると思っているよりは、みなイリュージョンなのだと思い、そのつもりで世界を眺めてごらんなさい。

 日高氏の言うイリュージョンとは、「まぼろしをまぼろしでないと思いこんでしまったもの」だ。
 人間は論理を組み立てる力があるため、世の中の様々な謎について、いちいちもっともらしい筋をつけてしまう。つまり、人間には「まぼろしをまぼろしでないと思いこませる」力があるのだ。
 そしてそれを聞かされた人間も、筋道の通った話を聞くと「ははぁ、なるほどそういうことか。それが真理か」と納得してしまう。

 しかしそれがいけない、と日高氏は言う。

 それは真理なのではなく、幻を幻でないと思いこませる物語に過ぎない、と。
 だから、何か理論を聞いても「それが真理なのだ」と思うのではなく、「ああ、真理はわからないのに、真理っぽく見せようとしているだけなのだな」と思え、と、こういうわけである。
 これは、日高氏の考え方の背骨となっているものらしく、表現を変えては、繰り返し同様の主張をしている。
 なかでも 

正しく見えることと、ほんとうに正しいかどうかは関係ない。そう見ればそう見えるというだけの話だ。

 という言葉は、それを最も簡潔に表していると言えよう。

 さらに面白いことに、日高氏はその考えを示す一環として、ある行動に出る。
 架空の動物について、まことしやかに書かれた本を翻訳するのである。
 その本は、原作が非常によく練られており、まるでその動物が実在するようだったという。よって、問い合わせや標本貸し出しの依頼まであったそうだ。
 その後、日高氏は研究者としてあるまじき行為と批判されたそうだが、そこで日高氏はこう答える。筋道立てて話をされると信じ込んでしまう「人間」というものを笑ってやりたかった、と。

 科学者の方の書かれた本で、このような話を聞くとは、私は夢にも思わなかった。
 が、これこそ学者の本という気もする。

 他人がゴテゴテと筋道を立てて話すことに、何の疑問も持たずに納得し、それ以上の「なぜ?」をシャットアウトしてしまう。
 出されたデータは、研究者の認知バイアスがかかっているかもしれないのに、そのまま社会全般に当てはめて一喜一憂する。
 それは時に、非常に楽であり、逆に無駄に心を傷めることにもなる。

 そうではいけない。データや理論に疑問をもち、もっと「なぜ?」を繰り返し、本当のよりどころなどないと思いながら柔軟に生き、物事の本質を見んと尽力する。これは、常に徹底的に「なぜ?」を追究しつづけてきた科学者ならではの言明であろう。

 そして読み終えて、気がつく。
 最初は、美しい表紙が似合わない本だと思っていたが、とんでもない。
 これほど純粋に「美しい」と思える本は、そうそうないのである。

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アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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