笹の舟で海をわたる 角田光代

 ああやっぱり、悪いことをしたら不幸になるのでも、いいことをしたから幸せになるのでもない。そのどちらもが、人生に影響など及ぼさず、ただ在るのだ。ただ在る、でも私たちはそれから逃れられない。
(本文引用)
___________________________________

 何か選択を迫られる時、私は心の中で、この曲を歌いながら考える。 

「この船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな」

 中島みゆきさんの「宙船」だ。

 例えば何かを依頼された時、何か都合をつけてほしいと言われた時、返事に迷ったら、この一節を頭に浮かべる。
 そして、自分が漕ぎたい方向と相手の望む方向が一致しそうならOKし、望む方向が逆方向だったり、相手の波に巻き込まれる危機を感じたりしたときは、申し訳ないがお断りするようにしている。まぁ、実際にはなかなか難しいのだが。


 しかし時々、驚くほど自分のオールでズバズバと進んでいける人がいる。そういう人は周囲に眉をひそめられることも多いが、その「眉をひそめる」心理のなかには、幾分の羨望もある気がする。

 「私もあんな風にできたら、どんなにいいだろう」と。

 角田光代の新作「笹の舟で海をわたる」は、まさにそんな人間たちの物語。
 他人にオールを預けてしまう人と、他人のオールをひったくってでも自分の舟を漕いでいく人。自分の人生を他人に振り回されたと感じる人と、そう感じさせてしまう人。
 そんな正反対の者たちが織り成すドラマは、「人生をいかに舵取りしていくか」をしみじみと考えさせてくれる。
_______________________________

 物語は、2人の女性の住まい選びから始まる。
 共に60代半ばの左織と風美子は、夫が兄弟同士という間柄。2人ともすでに伴侶は亡く、子どもも巣立ったため、新しい住まいを見て歩く。

 この2人の付き合いは、40年以上にのぼる。22歳の左織が、給料で家族へのプレゼントを買おうとデパートに立ち寄った際、突然風美子に声をかけられたのだ。
 左織にとって風美子は、全く見ず知らずの女性だったが、風美子は左織を覚えているという。何と戦時中、疎開先で一緒だったというのだ。

 それをきっかけに、風美子は左織の人生にまとわりつくようになる。
 左織の結婚に口を出し、左織の家族の葬儀に家族同然の顔で居座り、ついには左織の義弟と結婚する。さらにそれと併行して、風美子は料理研究家として名を馳せていく。

 親に言われるまま、時代に流されるままに淡々と人生を送る左織と、他人の人生を奪い取るようにして人生を切り開いていく風美子。
 左織は、そんな風美子を半ば疎ましく思いながらも、風美子がいないとやっていけない自分の姿に気づいていく。
_______________________________

 相変わらず「う~ん・・・うまい!」と唸ってしまう角田光代の小説だが、本書はまたその「うまさ」が光っている。
 角田作品の「うまさ」とは、その恐ろしさにある。「人の心というものは、無意識のうちに驚くほど何かに蝕まれてしまう」ことの恐ろしさだ。
 「八日目の蝉」「紙の月」・・・どれも憎悪や虚無感、お金に心を蝕まれ人生を壊していく女が描かれている。そして本書に登場する女も、「何か」に心を蝕まれ、気がつけば遠く沖に流されていたかのように、本来の自分から遠ざかっていく。
 その「何か」とは、風美子は戦争であり、左織は風美子なのだが、特に左織の変心が面白い。逆に言うと、左織に対する風美子の粘つくような影響力から目が離せない、ということだ。

 古風な考えをもち、世間体の良い生活を第一と考える左織にとって、決して素行が良いといえない風美子の暮らしぶりや発展的な考え方は、ついていけないものがある。またその刺激的な生き方が、夫や子どもを吸い取ってしまうのではないかと、左織は疑心暗鬼に駆られる。
 それなのに、左織はどうしても風美子を頼ってしまう。
 風美子がいないと生きていけない、家庭が立ちゆかないと思われてはいけない、どうにかして風美子から離れたい、と思っても、左織の心はもはや風美子なしではいられなくなっている。
 1つ開いた小さな穴が少しずつ大きくなっていくように、左織の心に巣食っていく風美子。数十年という長い年月をかけて、自らのオールで左織を沖へと流していく風美子のしぶとさ、不気味さは、読んでいて鳥肌が立つ。

 こう書くと風美子ばかりが悪者のように思えるかもしれないが、終盤に近づくにつれて左織はあることに気づいていく。それはおそらく、読者も気づくことだろう。 

「そう思うのなら巻きこまれないようにすればいいじゃん。勝手に巻きこまれて、こっちに文句言わないでよ」

 そう、本当に他人にオールを取られることなどない。
 もし取られたと思うのなら、私自身が「取られることを選んだ」に過ぎない。人生を他人のせいにすることなど、決してできないのだ。

詳細情報・ご購入はこちら↓
関連記事
プロフィール

アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

最新記事
シンプルアーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
RSSリンクの表示
QRコード
QR

書評・レビュー ブログランキングへ
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村
カテゴリ
広告
記事更新情報
リンク
広告