冷血 トルーマン・カポーティ

 無意味な殺人が起きるとき、それは加害者の中で被害者と接触する前から増大しつつあった緊張と混乱の最終的な結果と見なされる。被害者は加害者の無意識の葛藤の中にはめこまれ、そうとは気づかぬまま、その殺人の潜在力に点火するのに役立ってしまうのである。
(本文引用)
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 殺人事件のうち、理由が明白なものはどれぐらいあるのだろう。

 毎日、数々の事件報道を聞いていると、その多くは動機が不明なものであるように思う。
 それがさまざまな憶測を呼び、報道は過熱し、被害者も加害者も深く傷つけることになる。また、その不明瞭さが、被害者遺族にとって納得のいかない判決になる一因でもあるだろう。

 そんなことを思いながら読んだのが、この「冷血」。「ティファニーで朝食を」の作者が放つ、冷酷無比な殺人事件のノンフィクション小説だ。

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 事件が起きたのは1959年晩秋、場所は米カンザス州にある小麦畑が広がる地域だ。
 被害者は、そこに住む裕福な農家クラッタ―家。地域のために尽力する名士の夫婦と、成績優秀で心も優しいティーンネイジャーの娘と息子の4人だ。
 4人は、自身に待ち受ける運命を知らずに、家族仲良く幸せに暮らすが、その日々は突然断ち切られる。
 彼らはある夜、1人ひとり手足を縛られ、至近距離から銃で撃たれ絶命する。
 捜査の末つかまったのは、ペリーとヒコックという2人の男だった。
 過去にも散々罪を犯し、牢屋の出入りを繰り返してきた2人だが、なぜこれほどまで残酷な事件を起こしたのか。
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 まず驚くのは、その描写の細かさだ。クラッター家の日常から犯人の会話、捜査官による聞き取りから浮かび上がる動機、犯人の生い立ち等々が非常に詳しく書かれている。
 これは著者カポーティの綿密な取材や資料収集によるものなのだが、これほど被害者・加害者・捜査側の3点から詳述されたノンフィクションもなかなかないだろう。

 特に注目すべきは、犯人のひとりペリー・スミスの人間像だ。
 教戒師はペリーについて、 

「誰にもかまうことなく、責任も負わず、信仰や友人や思いやりもなく生きていくことを望んでいる」

 と語り、共犯のヒコックさえ、ペリーを「生まれついての殺し屋」と言い、 

間違いなく正気なのだが、良心のかけらもなく、動機の有無にかかわらず冷酷無比な死の一撃を加えられる人間

 と確信したという。

 本書にはペリーの悲惨な成育過程が細かく書かれているが、読む際にはそれと犯罪との関係性の有無を考えながら読むと、見えてくるものがある。
 凶悪犯罪の裁判では、しばしば被告の成育歴や家庭環境等が取り沙汰される。そのような報道を聞くたびに、私は「同じような環境にあった人でも、ほとんどの人は事件を起こさないのに・・・」と釈然としない思いがする。さらに共犯のヒコックは、両親に愛され、ヒコック自身も両親を深く愛していた様子がうかがえる。ならばなぜペリーとヒコックは、このような酷いことをしたのか。

 そう、この「成育歴・家庭環境と犯罪との関連性が見えてこない」ということが、「本書を読んで見えてきたこと」なのだ。
 なかには、本書を読み「やはり家庭環境と犯罪には相関関係があるのでは」と思う人もいるかと思うが、少なくとも私は本書を読み「相関関係はあまりないのではないか」と感じた。

 だからこそ犯罪は恐ろしい。人間は恐ろしい。どのような事件が起きても、我々は他人事とは思えず震撼するのである。
 カポーティが「冷血」と言っている対象は、この事件の犯人ではなく、人間そのものを言っているのかもしれない。

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アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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