花埋み 渡辺淳一

 「何故、女に生れたかと、そればかりが口惜しくて」
 (本文引用)
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 この小説は、何回読んでも感動と興奮が衰えない。
 これほどまでに、厚く高い壁がそびえ、荒波が次々と襲ってくる物語があるだろうか。
 これほどまでに、不可能を可能にした物語があるだろうか。

 日本初の女性医師・荻野吟子の生涯を描いた小説「花埋み」。凄絶な差別と偏見のなか医学を学んだ女性の物語は、読む者を骨の髄から奮い立たせる名作だ。
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 時は江戸時代後期。ある地方の名家に、一人の娘が帰ってくる。聞けば嫁ぎ先から戻ってきたとのこと。夫に業病をうつされたのだという。


 ぎんという名のその娘は、医師に病気を診てもらうのだが、そこにいるのは全て男性。業病を異性に診察され、恥辱に打ちひしがれたぎんは、ある決意をする。 

「お医者になろうと思うのです」

 同じ苦しみをもつ女性を救うべく、ぎんは立ち上がるが、「学問好きの娘は家門の恥」といわれる時代。そこには、想像を絶する苦難が待ち受けていた。
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 この小説を読んだきっかけは、ある日、立て続けに、この本をバイブルとする人の話を聞いたからだ。
 そのうちの一人は、ブライダルファッションデザイナーの桂由美氏だ。おそらく新聞で読んだのだと思うが、桂氏は仕事で壁にぶつかるたびに本書を読み返すのだと言う。そして、勇気をもらうのだと語っていた。

 その桂氏の言葉で本書を手に取ったのだが、なるほど、これは一流の女性経営者が心動かされるはずだと納得した。
 とにかく、ぎん(後に吟子と改名)に次々と襲いかかる苦難の度合いが、半端ではない。

 まず第一に、いずれの困難も、自分の努力でどうにかなるものではないものばかりなのだ。
 どんなに優秀でも「女というだけで」跳ね返され、やっとのことでそれを乗り越えたとしても、そこで「女というだけで」激しい嫌がらせに遭う。

 なかでも、唯一入れてもらえた医学校でのいじめは凄まじい。
 「女に学問などいらない」うえに、「医学は男だけがやるべきもの」という考えが非常に根強かった時代。同窓の医学生らは、吟子の頑張りを認めるどころか、「自分たちが女と同等に成り下がった」と教室の前で演説をぶちはじめるのである。
 さらにひどいことに、男子学生数人に襲われかけるという犯罪行為もおこなわれる。

 しかし吟子は、それを訴えることもできない。

女子は家にいるべきものであり、外の世界は万事が男に好都合に出来ていた

 そんな世の中で、自分が男性に襲われたと言って、誰が信じてくれるだろう。守ってくれるだろう。
 せっかく開けた勉学の道が閉ざされないためにも、吟子はそんな理不尽に耐えねばならなかったのである。

 また、患者の中にも、女性の医師に対する強い差別意識があった。
 研修中、女の医者に見られるぐらいなら腹をかき切るとまで言いだす患者もおり、屈辱を晴らすために医師になろうとしているのに、そこでまた吟子は屈辱を受け続けるのである。
 そんな風潮のなかで医師への道を決して諦めず、努力に努力を重ねる吟子の姿には、畏敬の念を抱かずにはいられない。どんな賞賛の言葉も霞んでしまうだろう。

 紆余曲折の末、吟子の不屈の努力は見事報われるが、彼女を襲う荒波はまだまだ鳴りを潜めない。
 医学の学校を抜群の成績で出たにも関わらず、女というだけで医師免許への出願を何度も却下されるのだ。
 
 女というだけで、前例がないというだけで、なぜここまで人生を狭められるのか。可能性を潰されるのか。読みながら腸が煮えくり返るような気持ちになる。

 しかし、もちろんそんな男ばかりではない。真摯に勉学と向き合う男子学生は、男も女もなく「ともに医学の道を歩む同志」という感覚で吟子を見、学友となる。
 そして勉強のため、吟子の先導のもとこっそりと人骨を掘り起こしに行き、犬に追いかけられるといったエピソードも。
 
 また、医学校入学や医師免許取得の際に、吟子は女というだけでことごとく門前払いにあうが、ここでもそんな男ばかりではない。 

「法治国である以上法に従うのは致し方ない。だが女医者の場合は女の医者は困るというだけで、“女が医者になってはいけない”という条文はない。ない以上は受けさせて及第すれば開業させてやるのが筋だ」

 と、心から吟子に理解を示し、力添えをする男性官僚もいる。
 かような柔軟な思考の男性たちが、この波乱の物語に涼風を吹き込んでいる。
 彼らの姿からは、「ああ、誠実な心と実力のある人間は、誰かを貶めて自分の地位を高めるようなことはしない。常に自分も相手も尊重し、公正な目でものを見るのだな、そして真の勇気があるのだな」と改めて思わされる。

 とにかく、この小説ほど不撓不屈という言葉が似合う本もないだろう。
 「前例がなければ作ればいい」とはいうが、自らが前例となること、そして社会に根強く残る差別や偏見を払拭することは、この小説の時代から150年経った今でも非常に難しい。
 性別、戸籍、病気・・・自分ではどうしようもできないことで世界が閉ざされることは、あまりにも悲しく悔しい。
 しかし強い意志と夢をもち、弛まぬ努力を続ければ、必ず道は開けるという希望を、この小説はもたらしてくれる。

 それには相当な覚悟が必要であろう。自棄になってしまうこともあるだろう。
 そんな時に、この荻野吟子の生涯を読めば、必ずや発奮できる。「ここまでやらなければならないのか」と慄いてしまうかもしれないが・・・。

 桂由美氏が語っておられるように、「壁にぶつかるたびに」読み返したい一冊である。

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アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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