「エリカ 奇跡のいのち」

 すぐ近くのふみきりで、村の人たちが汽車がとおりすぎるのをまっていて、わたしが汽車からなげだされるのを目撃しました。お母さまは、じぶんは「死」にむかいながら、わたしを「生」にむかってなげたのです。(本文引用)
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 人は、絶望を確信したとき、何をするだろうか。
 たとえば、会社の経営破綻、死の宣告・・・。

 やはり希望を見つけ出そうとするだろうか。ひとすじの希望を見つけ出そうとあがくだろうか。
 それとも静かに受け止めるだろうか。
 あるいは、絶望からも希望からも逃げ、自暴自棄になるかもしれない。

 しかしここに、

 まったく希望の見えない絶望のなか、
 静かに受け止めることもできない不合理な絶望のなか、
 逃げることも許されない絶望のなか、

 大きな希望に賭けた人がいた。

 そして、その希望は花開いた。
 花の名は「エリカ」。
 ユダヤ人の女の子である。


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 エリカは両親の名前も顔も、自分の誕生日も、そもそも「エリカ」という名なのかもわからない。
 ただ確かなのは、1944年、第二次世界大戦中に生まれたということだけらしい。

 第二次世界大戦中、ユダヤ人・・・ときけば、おわかりになるだろう。
 エリカの家族は、ナチス政権の下、全員アウシュビッツ強制収容所行きの列車に乗せられたのだ。
 当時、エリカはまだ生まれて間もない赤ん坊だった。

 片道運行の列車。もう二度と戻らない列車。
 何の罪もない人々が、「死」という切符を握らされて、牛を運ぶ貨車にギュウギュウ詰めに押し込められたのである。

 発車して数時間後、列車がスピードを少しゆるめた瞬間、

 「今だ!」

 ・・・とばかりに、毛布に包んだ小さなエリカを、列車の小窓から外に放り投げたのである。


 ・・・線路脇の草むらに投げ出されたエリカは、その後、温かく勇気ある人たちの手で育てられ、立派な大人になり、優しい男性と家庭を築くことになる。


 エリカの両親が、その後どうなったのかはわからない。
 過酷な強制労働や途方もない屈辱のなか、、死んでしまったのかもしれない。
 何とか生き延びることができたのかもしれない。

 しかし、この世とも思えない地獄を味わったことは確かであろう。

 エリカの母親は、何としてもエリカを助けたかった。
 その気持ちが、絶望の糸にみっちりと編みこまれた未来に、自ら裂け目を作り、わが子をその裂け目から希望に向かって投げる行動につながったのである。


 私は、この母親の行動を、手放しで賞賛するわけではない。
 列車から投げられたことでエリカが死んでしまったかもしれないし、親切な人に拾われたかどうかもわからない。
 愛情が深かったから助かった、などというつもりもない。

 しかし、人が簡単に「絶望」という名を口にするとき、
 それは本当に絶望なのだろうか。
 あきらめていいのか。
 何か希望は見出せないか。

 ということを、この本は考えさせてくれる。

 絵本の装丁をとり、本自体は薄い作品ではあるが、内容はとてつもなく重厚な一冊である。
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アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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