河北新報のいちばん長い日 河北新報社[著]

 新聞=ニュース、としか思っていませんでしたが、そうではなかったのだと気づきました。励ましや共感、あることに対するいろいろな角度からの意見などが詰まっているのです。今、私にとっての新聞は「毎朝のプレゼント」です。
 (地震翌日の朝刊について、編集局宛てに届けられた読者からの手紙より)
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 これは感動を与える本ではない。残酷なまでに鋭く問題提起をする本だ。

 仙台市に本社を置き、東日本大震災で最も被害を受けた地域一帯に支局をもつ河北新報。
 2011年3月11日14時46分に始まった、尋常ではない激震のなか新聞を発行しつづけた同社の社員たちは、どんな思いでこの未曽有の災害を見つめ、伝えようとしたのか。
 それを克明に描いた本書は、報道という枠をはるかに超えて、読む者にこう訴える。

 あの時、私たちは何をしたのか、何ができたのか。そして、本当にすべきことは何だったのか。
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 この本は、タイトル通り、河北新報の震災当日およびその数日間の奔走を描いたドキュメンタリーだ。
 機械設備の倒壊により新聞発行は不可能と思われるなか、他社からの救いの手や様々なアイデア、そして何より「読者に恩返しがしたい」という情熱のもと、歯を喰いしばって新聞を発行しつづける。
 テレビもインターネットも頼れない環境下、新聞の果たした役割は大きかった。自分の町や家族がどうなっているのかわからない極限の不安のなか、新聞は最新の情報と心のゆとりをもたらしていくのである。
 とはいえ発行者たちも全員被災者。何とか残った米と、いつ枯渇するかわからない水で小さなおにぎりを作りながら、懸命に紙面づくりに励むのだが-。
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 本書の魅力は、これだけの偉業を全く美談にしていないところであろう。
 読み終えて浮かぶのは、記者たちの晴れやかな表情ではない。葛藤、悔恨、自責・・・とにかく「記者として、人として自分は何ができたのか」をどこまでも深く問いつづける苦悶の表情だ。

 以前、テレビで「災害後の精神面のフォローは、直後よりも時間経過後のほうが大事」と聞いたことがある。災害直後はとにかく必死だから、まだ『頑張ろう』という前向きな気持ちになれる。ある程度落ち着いてからのほうが、精神的に不安定になる。そういう意味だ。それを聞いた当初は、「そんなものなのかぁ」とわかるようなわからないような感触だったが、本書を読むとそれが如実にわかる。
 地震直後は、心ひとつになった河北新報スタッフたちだが、次第に小さなほころびが見えてくる。少ない食料への不満、記者としての仕事ができない苛立ち、次々と発見される遺体を前にしての無力感・・・。それでも何とかチームを立て直し、被災者に寄り添いながら真摯に新聞を作りつづける姿には本当に頭が下がるが、これを読み、災害が壊すのは体や建物だけではない、心も壊滅させるのだとよくわかる。その苦しみをも包み隠さず書いた功績は、決して小さくはないだろう。

 この本からは、どこまでも続く延長線が見える。
 「あの時、私たちは何をしたのか、何ができたのか、そして、本当にすべきことは何だったのか」、そして「これから何ができるのか」。
 それらのことを考える機会や動機づけを、本書は与えてくれる。そして災害に終わりはないということをも、本書は教えてくれる。だからこの本からは未来が見える。

 そう、「河北新報のいちばん長い日」は、誰にとっても永遠に終わることのない一日なのだ。

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アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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