恋歌 朝井まかて

 怒りも己を支え、命をつなぐ水脈になり得るのだということを、私は生まれて初めて知った。
(本文引用)
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 凄みのある小説だ。いや、凄みではない。凄い小説だ。のめりこみすぎて、私は何度も嘔吐しそうになってしまった(汚くてすみません)。それは、人間という生き物が生み出すあまりの醜さと、あまりの愛の深さ故である。
 これほどの悲劇があっていいのか。これほどの蹂躙があっていいのか。そして、これほどの優しさがあっていいのか。
 幕末に水戸で起きた、天狗党の乱。第150回直木賞受賞作「恋歌」は、その争乱で無残にも引き離された家族たちの物語である。
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 主人公の中島歌子は、歌塾「萩の舎」の主宰者であった。萩の舎は、樋口一葉などが学んだ名門塾である。
 ある日、かつて門下生だった花圃のもとに、歌子が入院したとの報せがはいる。花圃は歌子を見舞い、その後自宅を訪ねる。
 と、そこに、歌子による大量の書が見つかる。見ればそれは、歌子が歩んできた壮絶な半生記であった。


 大店・池田屋の娘に生まれた登世(後の歌子)は、一目惚れした志士・林忠左衛門以徳との恋を実らせ結婚する。しかし、時はおりしも尊王攘夷派と佐幕派とに分かれ、紛糾する時代。水戸藩では、さらに尊王派のなかでも物別れが生じ、天狗党と諸生党とが醜い争いを続けていた。
 そしてついに、歌子の夫が属する天狗党が筑波山で挙兵。その結果、天狗党は諸生党の謀略により賊徒、ついには朝敵とされ、その家族まで根絶やしの刑を受ける。
 夫と引き離され、投獄、斬首される妻子たち。そんな極限の恐怖をくぐり抜けた登世が、決意したこととは-。
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 本書は、タイトルどおり短歌が物語の要となっている。
 登世と以徳の出合いのきっかけとなった歌「瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」等百人一首の歌、そして登世や以徳ら登場人物たちの手による歌たちも数多く登場し、それらが彼らの心情を慎み深く代弁している。

 なかでも、文字にこめられた想いが受け手によって変わってくる場面などは、歌ならでは。
 たとえば、尊王の志を貫かんと命を燃やした藤田小四郎の歌は、ある者には帝への忠誠心を指していると取れるが、より小四郎に近しい者にとっては、愛する女性への歌と取れる。
 たとえば、いくら憎んでも憎みきれない敵と思っていた人物が、歌を通して同じ思いでいることがわかる。
 無駄を削いだ三十一文字から、血にまみれ、刑場の露と消えた者たちの心情が浮き彫りとなる場面の数々には、都度「ハッ」とさせられ、涙が滂沱のごとく流れた。

 また、本書には、歌の思わぬ効用まで描かれている。
 牢獄の中で、日々処刑を待つ登世たちは、幼い子供たちを集めてカルタ遊びを始める。どんなに小さな子供でも、容赦なく首が斬り落とされる毎日。登世ら大人の女性たちは、途轍もない恐怖のなか、少しでも子供達の不安を和らげようと百人一首を詠みあげるのだ。

「よろしいですか、では始めますよ。・・・・・・天つ風雲のかよひ路吹きとぢよ」
すると紅組の子が手を挙げた。利発そうな目をした十二、三の女の子だ。
「をとめの姿しばしとどめむ」
「御名答、紅組に一点入りましたよ」
紅組の子らは嬉しそうに顔を見合わせ、手を叩く。

 しかし、そんなつかの間の小さな幸せすらも、牢番は奪おうと罵詈雑言を浴びせる。その瞬間に一気に際立つのは、人間の恐ろしいまでの二面性だ。

 愛する人への思いを、自然の風や雲に重ねていく優美さをもつ人間。
 しかし時として、罪のない人間の首をためらいなく斬り落とすこともできる人間。

 獄中で詠まれる百人一首での一幕は、そんな人間の姿をくっきりと描き出しているように思える。

 そしてラストでは、登世自身がもつ、隠された思いが明かされる。激しく憎んでいたはずのあの人物を、登世は-。

 朝井まかて「恋歌」は、恋い慕う男性への歌だけではない。人間という存在そのものを、このうえなく恋い慕った歌、人間への賛歌なのである。

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アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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