柚子の花咲く 葉室麟

 「われらは先生が丹精込めて育ててくださった柚子の花でございます。それでもお斬りになりますか」
(本文引用)
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 「幸せになりたければ、葉室麟を読みなさい」。
 
 口幅ったいことを言うようだが、最近、私はこういう新書の一冊でも書きたい気持ちでいっぱいだ。

 素人ゆえそのような機会もないであろうが、とりあえず自分自身には、都度この言葉を言い聞かせている。

 何かに迷った時、自分に対する不満がねじれて、外に刃を向けそうになった時、無理やり自己を正当化しようとした時・・・。
 要するに、自分で自分を不幸にしてしまいそうな時には、己にこう唱えている。
 「今こそ、葉室麟を読みなさい」と。


 「桃栗三年、柿八年、柚子は九年で花が咲く」
 -このような教えのもと、人を愛し信じ抜いた者を描いた作品「柚子の花咲く」
 炎上と鎮火をめまぐるしく繰り返す現代の社会において、絶対と言ってよいほど読まれるべき小説だ。
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 ことの始まりは、1人の武士の遺骸だった。
 斬られたのは、日坂藩の郷学、青葉堂村塾の教授・梶与五郎。
 当初は盗賊の仕業かとも思われたが、調べていくうちに、それほど単純なものではないことがわかってくる。

 折しも、日坂藩と隣国・鵜ノ島藩は、干拓地の境界線をめぐって争っていた。鵜ノ島藩の領内で殺された与五郎は、どうやらその争いにおける重要な覚書を持っていたとのこと。藩内では、その覚書がねらわれての犯行ではないかと疑う。
 しかしそのうち、与五郎が女連れだったという証言も飛び出し、その夫による妻敵討ちではないかとの噂がまことしやかに広がる。

 それを聞き、与五郎の教え子である筒井恭平は、事件の真相を突き止めるべく奔走する。
 恭平の知る与五郎は、そんなだらしのない男ではないからだ。

 恩師の汚名を晴らすべく、恭平は旧友の孫六と共に調べを進めるが、ある日、その孫六の遺骸も発見される。
 いったい誰が?何のために?
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 こう書くと、サスペンス色が濃厚な小説に見えるかもしれないが、本書が強調しているのは、やはり「人間」そのものだ。
 この物語に登場する人物は、誰もが皆、過ちを犯し、誰かを激しく妬み、憎み、時に己を蔑んでは自暴自棄になった経験をもつ。そんな感情のもつれあいが殺人事件という最悪の事態につながるのだが、その経緯は実に悲しく虚しい。そのような罪を犯してしまう人間というものに、嫌気がさしてくる。

 しかしそこは葉室作品。どんなに絶望しそうな時でも、必ず希望の薄日を差し込んでくれる。
 
 たとえば、恭平が、ある武家の奥方と話すシーン。
 彼女は聡明な女性でありながら、不貞をはたらく夫への憎悪、その相手である美しい女への嫉妬から感情のコントロールに苦しみ、果ては容貌の醜い自分を嫌悪し嘆き悲しむ。
 その様子を見て、恭平は声をかける。自分の不幸な出自から「私も自分のことが大嫌いだ、と思うことがよくある」と語り、つづけて

「自分を嫌ってはいけないのだ。それは自分を大切に思う人の心を大事にしないことになる」

 と。

 そう、この小説はこのように「自分を大切にし、自分を大切に思う人の心も大事にする」人だけが幸福を得る物語なのだ。
 その幸福は、決してすぐに得られるものではない。目に見えて効果があるわけではない。
 しかしその即効性のみを求め、事を急いた者の末路は言うまでもない。

 解説で江上剛氏が、本作について

「人」をじっくりと育てない現代教育へのアンチテーゼにもなっている。

と書いているが、まさにそのとおり。
 柚子の花が咲くまで根気よく人を信じれば、いかに大きなものを得られるか。逆にそれを待たずに目先の幸せだけを追い求めると、いかに大きなものを失うか。本作ではその対称性を、流麗な文章でくっきりと描いている。

 与五郎は、覚書と共に絵図をもっていた。それが干拓地問題の要となると知った与五郎は、他の者に奪われぬよう、絵図を「大切な人」に預けていた。
 その「大切な人」とは誰か。
 すでに読んだ方の多くは、それを知った瞬間に大量の涙を流したことだろう。

 たとえ今生きるのが辛くても、心健やかに待っていれば、必ず喜びの日が訪れる。
 焦ることはない。長期的視野でじっくりと生きようではないか。
 そう言いたくなる、「素晴らしい」の一言に尽きる名作である。

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アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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