竹林はるか遠く 日本人少女ヨーコの戦争体験記 ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ

 少女時代の経験は、戦争とは恐怖そのもので、勝負はなく互いに「負け」という赤信号なのだということを私に教えてくれました。
 (著者によるあとがき「日本語版刊行によせて」より)
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 先月26日、「はだしのゲン」の閲覧制限が撤回された。
 そもそもこの閲覧制限は、主に「作品中の暴力描写が過激」というごく一部の意見からなされたものなのだが、実は今回ご紹介する本も、そのような理由で消されようとした名著だ。

 1986年に「So Far from the Bamboo Grove」の名で出版され、以来アメリカ教育課程の副読本として読まれていたものの、突如反対運動が勃発。
 「日本人を被害者にしており、日本人が朝鮮人に対して与えた苦痛を書いていない」「兵士による暴行等の描写が、中学生の読むものとして相応しくない」といった声が、主な理由のようだ。

 しかし、著者はこう反論する。

私の意図は、個人や民族を傷つけるためのものではなく、この物語を通して戦争の真っ只中に巻き込まれたときの生活、悲しみ、苦しさを世の中に伝え、平和を願うものでした。


 本書を読み終え、私も著者の意図はそのとおりであると感じた。
 どちらの国が正しいとか、どちらの民族が悪いとか、そんなことは決して言っていない。
 戦争そのものが、間違っている。ただそのひとつを伝えているのだ。

 「竹林はるか遠く」。これは日本人の幼い少女が、竹林茂る朝鮮の自宅から、竹林茂る日本の家を目指す、命を賭けた引き揚げの記録である。



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 第二次世界大戦中の1945年、著者であり主人公である川島擁子は、父親が満州鉄道に勤めている関係で朝鮮北部の羅南に住んでいた。
 何不自由なく平穏に暮らしていたが、ある日突然、憲兵が自宅に乗り込み、家中の金属を取り上げていく。母親の眼鏡を無理やり奪い取り、小さな擁子を蹴り飛ばし、憲兵は去って行った。
 戦争の不穏な空気は、確実に擁子たち一家に影を落とし始めていた。

 そしてついにソ連による侵攻が始まり、一家は日本への避難を決意する。
 母親は、軍需工場で働く息子に書き置きを残し、二人の娘と自分の手首とを紐で縛り、ひたすら南へ向かう。
 わが祖国へ!
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 逃亡中の描写は、言葉にならない壮絶さだ。
 すし詰めの列車内で、死んだ赤ん坊に乳をやる母親、喉が渇き、傍らの小便桶から尿をすくって飲む者・・・車内で死んだ者は即座に名簿から消され、容赦なく外に捨てられる。

 知り合った伍長の計らいにより、特別に乗車許可を得た擁子たちとて例外ではない。
 何しろ乗っているのは赤十字の列車だ。病人か怪我人でないと、無理やり降ろされ殺される。
 擁子たちは、車内に広がる大量の血を体にすりつけるなどして、軍の点検を逃れる。

 列車から降りても、決して安心はできない。
 森の中で共産兵に襲われかけ、もはやこれまでというところで爆撃。
 兵士たちは即死し、擁子たちは間一髪で難を逃れる。
 しかしこの一件で、女であることの不利を身をもって知った擁子たちは、その場で髪を剃り、死んだ兵士の軍服を着て逃避行を続ける。

 どこへ行っても目の当たりにする、殺人、略奪、婦女暴行・・・。
 擁子たちの味わった恐怖は、いったいどれほどであったか想像もつかない。「戦争とは、ここまで人を狂わせるものなのか」-私は言いようもない怒りと悲しみにうち震え、と同時に人間という生き物の弱さを痛感した。

 しかし私が最も憤怒したのは、擁子たちが日本に帰ってからの話だ。
 擁子は帰国後、優秀な成績で京都の女学校に編入するのだが、そこで陰湿ないじめを受ける。

 身を守るために切った髪の毛を笑われ、まっさらな紙と鉛筆を拾い集めて勉強に励めば、「民主主義制度万歳!高名な我が女学校はごみ拾いを生徒として受け入れた」という紙を掲示板に張られる。ついたあだ名は“ぼろ人形”である。

 私はこのくだりを読み、兵士たち以上に、その女学校の生徒たちに腹が立った。家族と手を携え、命がけで避難してきた人をいじめるとは何と卑怯なのかと、腸が煮えくり返る思いで文字を目で追った。

 しかし、ふと考えてみた。
 生徒たちは、何も知らなかった、知らなさすぎたのではないか。
 何があろうといじめなど許されるはずはないが、彼女たちのこの卑劣かつ幼稚な行為は無知ゆえのもの-そうとも言えるのではないだろうか。
 もし彼女たちが、それまでの擁子たちの行動を見ていたら、もし戦争というものの残酷さを知っていたら、とうてい擁子を嘲るような真似はできまい。

 そう、「知らない」ということは実に恐ろしいことなのだ。
 さらに言えば、大人が「知る機会を与えない」「知る機会を奪う」ということは、もっと恐ろしいことなのではないか。

 本書も「はだしのゲン」も、子供たちの目から遠ざけられ、葬り去られようとしていた。
 ひとりの人間が書いたものである限り、確かに主観的な部分や偏った描写などもあるだろう。
 しかしそれを、「残酷だから」「子供が読むにふさわしくないから」という、それこそ大人の偏見で隠してしまうのには反対だ。
 陰惨な過去、過酷な現実にフタを閉めた結果が、あの女子生徒たちの姿-そう思えて仕方がないからだ。

 本書は、戦争の惨さだけでなく、そんな「知る権利を奪われる」ことの悲劇をも教えてくれる。これからも読まれ続けてほしい、実に貴重な一冊である。


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Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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