「わからない」という方法 橋本治

 「わかる」をスタート地点にするということと、「傲慢なる恥知らずを省みない」とは、一つなのである。
(本文引用)
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 かなり前の話になるが、映画監督の周防正行とバレリーナ(当時)の草刈民代夫妻がゲスト出演しているラジオを聴いた。

 当時、新婚ホヤホヤだった二人に、番組のパーソナリティーは尋ねた。

 「相手の、どんなところに惹かれたのですか?」

 それに対する周防監督の答は、実に新鮮なものだった。
 草刈さんは撮影中、少しでも疑問があるとすぐに「先生、せんせーい!質問!」と、手を挙げて周防監督に聞いてきたというのだ。監督は、その姿が非常に印象的だったという。
 それを聞いた瞬間、「これはベストカップルだな」と、あてられた気持ちになった。


 「わかるふり」をせず、わからないことを自ら認め、見栄を張ることなく質問をする草刈さんの素直さ。
 それを真っ直ぐに受け止める周防氏の度量の大きさ。

 お二人は、男女や結婚という枠を超えた素晴らしいペアだと、思わず唸った。
 そしてそんな率直な姿勢が作品に爽やかさを持たせ、「Shall we ダンス?」の大ヒットへとつながったのであろう。

 前置きが長くなったが、今回ご紹介する橋本治著「『わからない』という方法」は、そんなエピソードを思い出させる一冊だ。

 「わからない」ことを認めないことは、いかに浅薄で厚顔無恥であることか。
 「わかる」「知っている」という思い込みから始めることが、いかに生きる道筋を見失わせてしまうことか。
 そして逆に、「わからない」ことから地道に歩き出すことが、いかに「本当にわかる」までの最短距離であるか。

 情報があふれ、「わからない」と言いにくくなっている現代に、改めて“本当の生きやすさ”を教えてくれる人生訓。それがこの「『わからない』という方法」である。
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 まず、タイトルになっている「『わからない』という方法」とはどういう意味か。
 それはそのまま、「なぜ、橋本治は色々なことをするのか」という質問に対する答になる。

 その理由はいたって簡単である。「わからないから」である。「わからないからやってみよう」とか、「こんなにも“わからない”と思ってしまった以上、自分のテーマにするしかないな」などと思う。


 つまり、橋本治氏の方法論とは、そのまま「わからない」ということが方法論なのである。

 そして、そこから「わかると思い込むこと」および「わからないことを隠すこと」の罪をしつこいほどに述べていく。

 まず、「わかる」(という思い込み)をスタート地点にしても、本当にわかってはいないのだから、早晩「わからない」という壁にぶつかってしまう。これは自明の理である。
 しかし、それでもなお「わかる」と思い込みたい人は、自分の無能を認めず環境のせいにするというとんでもない判断ミスをおかし、引き返そうにも、新たなるレースに挑戦する気概もない、と橋本氏は断ずる。
 要するに、「わかる」から始めようとする無駄なプライドの高さは、人生にとって百害あって一利なしなのである。

 特に興味深かったのは、「わかる」から始めてしまう思考法は、「いじめ」にもつながるという主張だ。
 自分だけの「わかる」を「へんじゃない」と位置づけ、自分にとって「わからない」を「へん」と決め付ける。
 引いては「わかる」者同士でつるみ、「わからない」を排除する。これがすなわち、いじめの構図である、と橋本氏は語る。

 さらに面白かったのは、女性の社会進出における、「へん」の排除論。
 男と女が違うのは当たり前である。しかしその「違い」を、男たちが「へん」と位置付けてしまったばかりに、社会の不均衡が始まったという。

 誰も彼もが「自分はへんじゃない」と疑うことなく信じ、自己批判の精神を持たなくなるとは、どういうことか。
 世の中を「わかる」=「へんじゃない」、「わからない」=「へん」で片づけ、己を前者に置きつづけると、どのような結果をもたらすか。

 それは「へん」とか「わかる」などといった柔らかな字面からは想像もできないほど、恐ろしいものだ。
 逆に、「わからない」から始めることで得られるものは、ちょっと腑抜けた語感からは想像もできないほど大きい。
 それは前述の「Shall we ダンス?」を考えれば一目瞭然であろう。

 色々なことを学び、考える時間ともいえる夏休み。
 ここらへんでひとつ、自分の「わからない」を素直に認め、「わからないからやる」というレースに挑んでみたい。そう私は考えている。
 そうすればもう少し、あと少しでも、成長できるのではないか。そんな淡い期待を抱いているからだ。

 本書最後で橋本氏はこう語る。
 「わからない」を宿らせた身体は、サナギの状態である、と。しからば、サナギを羽化させるにはどうしたらよいか。

「自分の無能を認めて許せよ」


 「無能」であることを認め、言葉は悪いが「馬鹿」といわれることを恐れない人間になり、「『わからない』という方法」を実践する。それがこの夏休みの目標のひとつである。

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反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
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