「風をつかまえた少年 ~14歳だったぼくは たったひとりで風力発電をつくった~」

 「学校の勉強は役に立たない」

 私はこの言葉が嫌いだ。
 なぜか。それは、ものすごく贅沢で傲慢な言葉だと思うからだ。

 「学校の勉強は役に立たない」。
 そう言えるのは、学校で勉強をすることができたからだ。

 たとえば、「あの薬は効かないよ」「あのテーマパークに行っても面白くないよ」
 いずれも、その薬を飲んだことがなければいえない言葉だし、そのテーマパークに行ったことがなければ言えない言葉である。

 世の中に、どれほど、勉強したくてもできない子供がいるか。
 学校に行きたくても行かれない子供がいるか。
 夜は電灯がつかず寝るしかなく、朝から家の手伝いに追われ、たとえ学校に通えたとしても学費を工面できず退学を余儀なくされる。

 勉強をすることができないために、知識を得ることができないために、21世紀になってもなお著しく不便で不衛生な環境で生活することを強いられ、それに何の疑問も抱かず、子孫につないでいく。

 しかし、彼らは気づいている。

 そこから抜け出すには、教育が必要なのだ、と。
 だから、僕は私は勉強がしたいんだ。
 勉強をして、世界を知りたいんだ。
 勉強をして、自分で未来を切り開きたいんだ。
 こう願っても叶えられない子供たちが、世界中に数多くいる。
 願っても叶えられない子供たちが・・・。

 このドキュメンタリーの主人公、ウィリアム・カムクワンバも、そんな子供のひとりだった。
 勉強をしたいという願いが叶えられない少年だった。
 しかし、彼は自分の力でその願いを叶えた。
 どうやって叶えたかって?
 何と彼は、電気のない村に風力発電を作ったのだ!
______________________________________

 アフリカ南東部に位置する共和国・マラウイ。この国はいわゆる最貧国といわれ、平均寿命も世界一短い(50歳前後)とされる。

 その平均寿命の短さは、もちろん洪水や旱魃による食糧難という気候条件もあるが、教育水準の低さというのも大きな原因となっている。

 教育のなさゆえ、HIVの感染率も高く、また医療機関で適切な処置を受けるべき病気すら、医学的知識のない村の魔術師に頼ろうとする有様である。

 ウィリアムは、そのような周囲の現状に、前々から疑問を持っていた。この村には科学的知識が必要だ、と常に感じていたのである。

 ある日のことだった。
 好奇心旺盛なウィリアムは、自転車のライトがつく仕組みを知りたいとの思いから電気に興味を持ち、そこから使用済みの電池やリード線を使って壊れたラジオを直す実験をしていた。
 そのラジオから音楽が聞こえてきた瞬間、ウィリアムは思った。
 自分で電気を作り出せないか、と。

 そう考えたのには理由がある。

 マラウイで電気を使っているのは人口のたった2%。ほとんどの家は日没と同時に暗闇と化し、ランプに使う灯油は高くてなかなか手が出ない。
 また電気が使えないために、主要作物である煙草の葉の乾燥や、家庭での料理の際には火を使うしかなく、その薪のために森林伐採をするようになる。
 そしてその伐採により森がなくなり、洪水が起き、ダムが止まって停電・・・そしてまた電気が使えず森林伐採をする、という負のスパイラルが、この国には完全にできあがってしまっていたのだ。

 自分で電気を作る、という夢を携えて、ウィリアムは初等学校を卒業。親友と共に中等学校に進む。より高等な勉強ができることに胸をふくらませて。

 しかしその頃、マラウイには深刻な食糧危機がじわりじわりと迫っていた。
 未曾有の洪水と絶え間ない日照りによりトウモロコシの収穫高がガクンと下がり、ついに村の食料備蓄が底をつきはじめる。

 飢饉だ。

 日に日に減っていく食事の量と回数。
 枯れた草を食べ、這いずりながら日雇いの仕事を探す人々、疫病の蔓延、そしてついに肋骨が体から突き出るほどやせ衰え、栄養不足から目が見えなくなり、道路に横たわったまま息絶える。・・・その瞬間が自分にいつ来てもおかしくない。明日か、今日か、数時間後か。

 そんな状況の中、ウィリアムの一家もほとんど食料を口にできないまま多額の借金を抱える。そしてまず削られたのが、やはり教育費であった。
 ウィリアムは涙を飲んで学校を中退することになる。しかし、学校を辞めたのは彼だけではない。
 よほど裕福な家の子供でない限り、ほとんどの生徒が学校に行くことができなくなっていた。衰弱や疫病で亡くなった生徒も少なくなかった。

 しかしウィリアムは、学ぶことをあきらめなかった。

「考える楽しさが欲しい」



 ウィリアムは、無料で利用できる図書館に足しげく通うようになる。

 とくに熱心に読んだのが、物理学の本であった。
 そこで運動エネルギーを知ったウィリアムは、思いついた。
 自転車を漕ぐ人を風に置き換えれば、つまり風車を作れば電気を作れるのではないか、と。

 電気を作れば、夜も本が読める。
 電動ポンプを作れば、井戸から水を楽に汲むことができる。
 電気があれば、電気があれば・・・。

 ウィリアムはもう、いても立ってもいられなかった。
 さっそく親友と風車の試作品作りを始める。
 材料は村のゴミ捨て場を漁って集めた。傍から見るとガラクタを集めたようなこの風車を使い、ウィリアムはラジオを鳴らすことに成功する。

本物の風車をつくろう!

 そうして外で何やら怪しい物を作るウィリアムは、村一番の変わり者と笑われる。しかしついに、皆を見返す日がやってきた。
 ついに完成した風車を取り付け、風が吹き、羽根が風をとらえ、回った瞬間、電球が光った。チラッとした光から、やがて・・・

「煌々と輝く堂々とした光に変わった」


それを見た人々は驚き、歓声を上げた。ウィリアムはついにやってのけたのだ。

 その噂を聞きつけた教育委員会や博士の強い後押しにより、ウィリアムは念願の学校復帰を叶える。
 5年ぶりの学校。
 クラスメイトは自分より何歳も離れ、いまひとつ慣れない環境の中、ウィリアムは遅れを取り戻すためにも勉学に没頭する。

「どれほどまわりの世界になじめなくても、本を読んでいれば、いつでも家のマンゴーの木の下に坐っているような気分になれた」


 ウィリアムが、どれほど勉強をしたかったかが痛いほど伝わってくる。

 そしてウィリアムは、生まれて初めて飛行機に乗り、国際会議で風車のプレゼンテーションを行うことになる。
 認められた喜びと興奮とで、上手く言葉が出ないウィリアム。
 胸をこみあげる、今までの苦しみ。死におびえ続けた飢饉、学校の中退、周囲の嘲笑・・・。
 さまざまな苦難が脳裏に浮かぶ中、ウィリアムはしどろもどろになりながらも、最後にこう言った。

「トライして、そして、やり遂げました」


 私はこの言葉を目にした途端、はじかれるように涙が出た。
 トライすることすら思いつかない厳しい状況のなかで、村の人々の生活のために途方もない挑戦を続けた姿に。
 学ぶ機会どころか、生命すら奪われかねないなかで学び続ける姿勢に。
 こんな少年の前で、どうして「学校の勉強は役に立たない」などといえるだろう。

 私は何も「良い点数をとれ」といっているわけではない。点数は問題ではない。
 不自由なく勉強をすることができる、教育を受けることができることがどんなに贅沢で、逸してはならない機会なのかを考えるべきだと思うのである。

 ウィリアムは、何もないゼロの地点から、いや、大きくマイナスの地点からトライを続け、そして大きな夢をつかんだ。
 少なくとも、教育を受ける機会が全てお膳立てされている日本は、大きくプラスの地点にすでに立っている。それを活かさない手はないのではないか。

 「学校の勉強は役に立たない」

 そう言いたいのなら、それを証明できるほど勉強して、何かにトライして、やり遂げる。まずそこからだ。

 そうしなければ、ウィリアムの風車を笑う人間の立場のままで留まってしまうであろう。

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アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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