「博士と狂人」感想。「舟を編む」英語版!?あの大辞典は殺人事件から始まった。
(本文引用)
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しかし「舟を編む」と、決定的に違う点が1つある。
それは「完成の影に殺人事件があった」こと。
全11巻、総ページ数1万6570頁、収録語数41万4825語、用例182万7306。
史上類を見ない、圧倒的な語数を誇るオックスフォード英語大辞典。
そんな世界的権威のある辞書が、「殺人事件のおかげで完成した」と聞いたら、「まさか」と思うだろう。
しかしその「まさか」なんだから、事実は小説より奇なり。
「そんな馬鹿な」とお思いなら、ぜひ本書を読んでみてほしい。
ちなみに本書は10月に映画化。
メル・ギブソンとショーン・ペンが、その数奇な運命をどのように演じるのか。
少々怖いが・・・これはちょっと観るしかない!
■「博士と狂人」あらすじ
舞台は19世紀半ばのイギリス。
英国の文壇や言語協会のなかで、あるプロジェクトが進められていた。
そのプロジェクトとは、誰もが信頼できる大辞典を作ること。
差別や偏りがなく、誰でも平易な言葉を知ることができ、時代をも反映させた、未だかつてない辞典を作り上げる。
そんな一大事業を完遂させるべく、英国の知識人らは、話し合いに話し合いを重ねていた。
ジェームズ・マレーもその一人。
秀才の誉れ高く、言語学に多大な興味を持つマレーは、オックスフォード英語大辞典の編纂に参加。
編纂主幹としてプロジェクトを導くうちに、ある人物に目をつける。
ある人物とはウイリアム・マイナー。
米国の上流階級出身で、イェール大学で医学を学ぶなど、学歴・知性ともに申し分ない人物だった。
マレー博士はマイナーをスカウトしに行くが、そこで意外な事実が判明。
一人の男性に「マイナー博士でいらっしゃいますね?」と声をかけたところ、男はこう答える。
「まことに残念ですが、それは違います。誤解なさっているようです。私はブロードムア刑事犯精神病院の院長をつとめる者です。マイナー博士は間違いなくここにおりますが、彼は入院患者であります」
ウイリアム・マイナーは殺人犯として、精神病院に収容されていた。
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■「博士と狂人」感想
本書のサブタイトルは「世界最高の辞書OEDの誕生秘話」。
そう聞くと、すぐに「辞書編纂の物語、すなわち外国語版『舟を編む』!」と、ワクワクする人が多いだろう。
もちろんそれは間違いではない。
例えばこんなくだりを読めば、「おお、これはまさしく『舟を編む』」と思うはず。
誰もがこう尋ねたかった――どんな語を捜すべきなのか?
マレーが定めた初期のルールは、明快であいまいなところがなかった。あらゆる語が見出し語になりうるとしたのだ。篤志文献閲読者は本のなかのあらゆる語について用例を見つけようとしなければならない。彼らが努力を傾けるのは、まれな語や廃語、古臭い語、新語、変わった語や変わった使われ方をしている語と感じたものになるかもしれないが、そういう語だけでなく、普通の語も熱心に捜さなければならない。
本はめずらしい語を捜すために調べるのではありません――マレーはこの事実を何度も篤志文献閲読者に想起させなければならなかった。閲読者は興味深いと思われるあらゆる語を、すべて見つけて書きとめなければならない。また興味深い用法や重要な用法、正しい用法、適切または意味深い用法の場合も、すべて書きとめなければならない、と彼は説明した。
つまりマレー博士は、19世紀の「馬締さん」。
辞書とは「珍しい言葉・難解な言葉」だけを載せるものではない。
「わざわざ誰も調べないよ」というような「普通の言葉」でも、誰かが調べるかもしれない。
その「誰か」が「この言葉が載ってない」と嘆くことがないように、「普通の言葉」をわかりやすく、用例豊富に載せることに、彼らは粉骨砕身する。
その「普通の言葉」に対する熱意は、まさに「舟を編む」のマジメさんである。
しかし、本書が描き出すのは「辞書編纂」だけではない。
歴史上稀に見る辞典に潜む、歴史上稀に見る完成「秘」話。
その意外性は、いきなり本書が「深夜に起きた射殺事件」から始まることからもよくわかる。
正直、私も最初は「なぜ殺人事件から始まるの? 辞書の話はどこへ??」と謎だった。
「舟を編む」や「辞書を編む」が好きなので、「辞書編纂の話が知りたかったのに・・・」と、期待外れの気持ちすらした。
ところがこの射殺事件こそが、大辞典編纂の鍵を握るもの。
同じ辞書編纂でも、「舟を編む」のようなハートウォーミングなものとは、やや違う。
読むうちに「歴史に残る大辞典が完成したのは、冒頭の殺人事件あってこそ」とわかり、あまりに奇妙な巡り合わせに驚愕した。
このような「信じられないつながり、巡り合わせ」が描かれるのは、ノンフィクションならでは。
フィクションでは、このような発想はまず出てこないし、出たとしても書けないであろう(不謹慎との誹りを受けること必至)。
だが本書は「本当のこと」なのだから、仕方がない。
「博士と狂人」はノンフィクションならではの魅力、底力というものを世に見せつけた。
「ね? 事実は小説より奇なりって、本当だろう?」
本書からは、そんな声が聞こえてくる。
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