宮本輝最新刊「灯台からの響き」感想。人間の心とは、ここまで大きくなれるのか!
「俺を騙してまで、十五歳のときの誓いを貫きとおしやがって。お前はなんて凄いやつだろうなぁ」
(本文引用)
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現在、人間不信に陥っている人や、「世の中がカリカリしている」「狭量となっている」と感じてる人は、ぜひ手に取ってみてほしい。
人間って、自分が思っているよりはるかに、大きくて優しくて広いんだ。
人間って、人間って、すごいぜ!
そんな風に、人を信じられるようになる。
(本文引用)
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新刊が出ると必ず買っちゃう、宮本輝リン(←大好きなので、勝手にテルリンと呼んでます)。
なぜ私は宮本輝作品が好きなのか。
理由は、人間の心の雄大さ・・・それも「どこまで行っても見果てぬことのない、途轍もない広さ」を感じられるから。
映画化された「草原の椅子」などは、その最たるもの。
何の見返りも望まず、他人に対してここまで優しく、ここまで熱くなれるのか。
舞台となったタクラマカン砂漠以上に、人の心は広いことを、「草原の椅子」は教えてくれた。
そして最新刊「灯台からの響き」も同様。
「灯台」というだけあり、「人間は海より広い、はるかに広い」と圧倒されてしまった。
なぜ私は宮本輝作品が好きなのか。
理由は、人間の心の雄大さ・・・それも「どこまで行っても見果てぬことのない、途轍もない広さ」を感じられるから。
映画化された「草原の椅子」などは、その最たるもの。
何の見返りも望まず、他人に対してここまで優しく、ここまで熱くなれるのか。
舞台となったタクラマカン砂漠以上に、人の心は広いことを、「草原の椅子」は教えてくれた。
そして最新刊「灯台からの響き」も同様。
「灯台」というだけあり、「人間は海より広い、はるかに広い」と圧倒されてしまった。
現在、人間不信に陥っている人や、「世の中がカリカリしている」「狭量となっている」と感じてる人は、ぜひ手に取ってみてほしい。
人間って、自分が思っているよりはるかに、大きくて優しくて広いんだ。
人間って、人間って、すごいぜ!
そんな風に、人を信じられるようになる。
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牧野康平は中華そば屋の店主。
店は繁盛していたが、妻・蘭子が突然の他界。
二人三脚でやってきたこともあり、康平は店を休業する。
ある日、康平が読んでいた本から、一通の葉書が落ちる。
それは30年前、蘭子宛に届いた男子大学生の葉書。
内容は「見たかった灯台をすべて見て満足した」というものだ。
届いた当時、蘭子は差出人を「知らない」と言い、男子学生に「あなたを知らない」と返信。
その後、蘭子と男子学生が連絡をとっている様子はない。
やはり人間違いだったのかもしれない。
しかし康平は、今になって首をかしげる。
なぜ蘭子はわざわざ、人違いの葉書に「あなたを知らない」などと返事をしたのだろうか。
どうしてそのまま放置しなかったのか。
康平は蘭子の過去を追うべく、灯台めぐりをする。
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感動できる小説には、たいてい「懐が深く、度量が大きい人物」がいる。
しかし本書が描く「人間の大きさ」は、レベルが違う。
物語終盤、葉書の謎が解き明かされるにつれ、「人はここまで大きく深く広くなれるのか」と茫然とした。
やや種明かしになるが、その大きい人物とは「蘭子」のこと。
実は蘭子には、「康平に伝えていない過去」があった。
それは一時期、出雲に住んでいたこと。
康平は、ある親子の橋渡し役をするなかで、「蘭子の知られざる空白期間」に行き当たる。
配偶者に伝えていない過去となると、やはり「自分にとって都合の悪い過去」と思うもの。
想像どおり、蘭子の空白期間は「思い出したくない忌まわしい過去」である。
そう聞くと、こう思う人もいるだろう。
「配偶者に隠し事をする人物の、どこが大きいの?」と。
しかし本書を読めば、その考えを撤回せざるを得なくなる。
世の中には「隠し事」にするからこそ、「人としての倫」が通ることがある。
しかも蘭子の場合、「隠し事」にしただけではない。
忌まわしい出来事を「知らない」と言い切り、自分の人生のなかで「抹消したこと」にする。
「隠した」だけではすまず、「知らない」と言い切ること、言い切ったことに、常人には計り知れない「雄大さ」が潜んでいるのだ。
そしてラストで、「灯台からの響き」というタイトルが、まさに胸に響く。
灯台が海を照らすたび、「なかったことにした」蘭子の姿が水面に現れ、蘭子の誓いがこだまする。
しかし灯台は決して、蘭子の姿全てを映すことはできないだろう。
蘭子の心は海よりもはるか、想像もできないほど広いのだから。
■「灯台からの響き」あらすじ
牧野康平は中華そば屋の店主。
店は繁盛していたが、妻・蘭子が突然の他界。
二人三脚でやってきたこともあり、康平は店を休業する。
ある日、康平が読んでいた本から、一通の葉書が落ちる。
それは30年前、蘭子宛に届いた男子大学生の葉書。
内容は「見たかった灯台をすべて見て満足した」というものだ。
届いた当時、蘭子は差出人を「知らない」と言い、男子学生に「あなたを知らない」と返信。
その後、蘭子と男子学生が連絡をとっている様子はない。
やはり人間違いだったのかもしれない。
しかし康平は、今になって首をかしげる。
なぜ蘭子はわざわざ、人違いの葉書に「あなたを知らない」などと返事をしたのだろうか。
どうしてそのまま放置しなかったのか。
康平は蘭子の過去を追うべく、灯台めぐりをする。
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■「灯台からの響き」感想
感動できる小説には、たいてい「懐が深く、度量が大きい人物」がいる。
しかし本書が描く「人間の大きさ」は、レベルが違う。
物語終盤、葉書の謎が解き明かされるにつれ、「人はここまで大きく深く広くなれるのか」と茫然とした。
やや種明かしになるが、その大きい人物とは「蘭子」のこと。
実は蘭子には、「康平に伝えていない過去」があった。
それは一時期、出雲に住んでいたこと。
康平は、ある親子の橋渡し役をするなかで、「蘭子の知られざる空白期間」に行き当たる。
配偶者に伝えていない過去となると、やはり「自分にとって都合の悪い過去」と思うもの。
想像どおり、蘭子の空白期間は「思い出したくない忌まわしい過去」である。
そう聞くと、こう思う人もいるだろう。
「配偶者に隠し事をする人物の、どこが大きいの?」と。
しかし本書を読めば、その考えを撤回せざるを得なくなる。
世の中には「隠し事」にするからこそ、「人としての倫」が通ることがある。
しかも蘭子の場合、「隠し事」にしただけではない。
忌まわしい出来事を「知らない」と言い切り、自分の人生のなかで「抹消したこと」にする。
「隠した」だけではすまず、「知らない」と言い切ること、言い切ったことに、常人には計り知れない「雄大さ」が潜んでいるのだ。
そしてラストで、「灯台からの響き」というタイトルが、まさに胸に響く。
灯台が海を照らすたび、「なかったことにした」蘭子の姿が水面に現れ、蘭子の誓いがこだまする。
しかし灯台は決して、蘭子の姿全てを映すことはできないだろう。
蘭子の心は海よりもはるか、想像もできないほど広いのだから。
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