単純な脳、複雑な「私」  池谷裕二

 残念なことに私たちは、意識できるところしか意識できないですよね。当たり前ですけど。だから、その意識できている自分こそ、自分のすべてであると思い込んでしまいがちなんですよ。
 (本文引用)
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 実は以前、池谷裕二氏のトークショーを観覧したことがある。
 それは高嶋ちさ子氏主催のバギー・コンサート(子供向けクラシックコンサート)の一環として行われたもので、講演内容はもちろん、コンサートの趣旨に合わせて「子供の脳」に関するものであった。

 「お子さんが絵を描いたら、『まあ、●●ちゃん、上手ね』と言うのではなく、『ママ、こういう絵、好きよ』と言った方がいい・・・ということが、このグラフからわかりますね」

 ・・・このような研究成果を池谷氏はバラエティ豊かに披露してくれたのだが、私は子供の脳云々よりも、氏の巧みな話術に惹き込まれた。
 気がつけば、他の母親達も同様「ふ~むふむふむ」と大きく頷きながら聴き入っており、そこは完全に池谷ワールド。その握力たるや脱帽の一言である。

 池谷氏のすごいところは、一流の研究者でありながら、著作でも講演でも門外漢を決して置いてきぼりにしない点であるが、本書でもその能力がいかんなく発揮されている。

 今回の相手は高校生。本書は、池谷氏の母校で行われた「脳」に関する授業をまとめた一冊である。
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 授業のテーマは、「脳は私のことを本当に理解しているのか」

 一見難しそうに思えるが、そこはさすが池谷氏、悩める若き高校生たちに合わせた講義内容で、冒頭から生徒たちの心をガッチリとつかむ。




 「指の長さで、理系か文系かわかる?」
 「髭剃りもお化粧も、顔の片側だけで良い?」
 「(^-^)、o(^0^)o、(^_^;)・・・なぜこれらの文字列は顔に見えるのか?」
 「本当に恋は盲目か?」
 「人間とロボットを分けるものとは何か?」
 「人として成長するには?」
 
 ・・・など、人間、特に若者なら気にならないはずがない様々な謎に、脳の働きという見地から迫っていく。

 そしてその中心には、常に「私が脳を支配するのか。脳が私を支配するのか」という大疑問が鎮座しており、そこから驚きの真実が次々と明かされる。

 たとえば「手を挙げる」という行動ひとつとっても、自分の意志で「さあ、手を挙げるぞ」と指令を出してから挙げているのではなく、自分の手が挙がってから、手を挙げることを認識するという。
 つまり、自分の行動は全て無意識のうちに脳が先に知っており、それはある意味極端に言うと「お前はもう、死んでいる」というセリフにもつながる。

 これにはさすがに驚き、受講している高校生も思わずつぶやいていたが、「自分が自分ではないような」幽体離脱感覚に襲われる。

 「我思う、ゆえに我あり」か「我あり、ゆえに我思う」か。いや、「我」など元々ないのか。

 そんな脳・心・体の上下関係を問う禅問答のような講義は、受講者だけでなく読者をも深い迷宮の森に誘いこんでいく。

 さらにその問答は哲学的色彩をも帯び、「自由とは何か?」-自由だから行動するのか、行動してから自由だったとわかるのか-という疑問にまで発展する。
 池谷氏のこのような話の持っていき方に、改めて「うまいな~」と唸ってしまう。

 人生の進路選択を迫られ、最も「私とは何か」に悩み、最も「自由と不自由の間」をさまよう頃であろう高校生。
 そのような時期にこの講義を受けることができたのは、理科系云々関係なく、人生にとって大いにプラスとなったことだろう。

 この授業は、かつて進路や「自分とは何か」に悩んだであろう先輩からの、脳科学という姿をした、脳科学という分野を超えたプレゼントなのではないだろうか。

 そんな温かい気持ちになりながらも、まだまだ「私とは?心とは?自由とは?」と自己に問い続ける猶予がたっぷりと与えられている高校生たちに、私は少し嫉妬した。

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アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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