「目の見えない人は世界をどう見ているのか」感想。「太陽の塔」の顔は何個?見える人ほど見えていなかった!

評価:★★★★★

「あ、これがメッシのプレイか、と思いながらブラインドサッカーをやってますよ」
(本文引用)
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 読書は視野を広げる作業だ。
 それにしたって、本書ほど視野を広くする本はそうそうない。
 
 何も「目」に関する本だから、「視野」と言っているわけではない。
 いわゆる「見える人」にとって、本書はコペルニクス的転回をさせる本。
 
 「目が見えない」ということに対する考え方が、180度変わる革命的な一冊だ。

 本題に入る前に、ひとつクイズを。
 大阪の万博公園にある「太陽の塔」。
 ちょっとムスッとした顔が印象的だが、実は顔は1つではない。



 では顔はいくつあるでしょう?
 
 「それぐらい知ってるよ。顔は2つでしょ?てっぺんにも顔があるんだよね。あの金色の・・・」

 ふっふっふ、そう、いちばん多い解答は「2つ」。
 しかし残念ながら不正解。

 もしあなたが「見える人」なら、不正解の理由は「見えているから」。
 実は世の中、「目が見えるから見えない」ことと、「目が見えないから見える」ことがたくさんあるのだ。

 これは星の王子様的な「大切なものは目に見えない」という比喩的なものではない。

 本当に「見えるから見えない」「見えないから見える」ものというのは、存在するのである。

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■「目の見えない人は世界をどう見ているのか」内容



 本書の内容は、ただ純粋に「目の見えない人は世界をどう見ているのか」というもの。
 
 かつて生物学者を目指し、東工大リベラルアーツセンター准教授(当時)を務める著者が、目の見えない人々にインタビュー。

 待ち合わせをしたり、共に歩いたり、話をしたりしながら、「自分と異なる体を持った」人に意識を変化させていく。

 インタビューをするなかで、目の見えない人はこう言う。

 「なるほど! そっちの見える世界の話も面白いねぇ!」


 どちらが上で、どちらが下は関係なし。
 彼らと語るうちに判明する、「見える人と見えない人」の驚くべき違いとは?
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■「目の見えない人は世界をどう見ているのか」感想



 本書を読むと「弱者」「障害者」という言葉が使えなくなる。

 なぜなら、目の見えない人が「弱者」とも「障害者」とも全く思えなくなるから。
 「目が見える」のが良くて、「見えない」のが悪い、「見える」が上で「見えない」が下、「見える」が強くて「見えない」が弱い。
 そんな考えがスコーンッッと抜けていってしまうからである。

 たとえば道を歩くだけで、すでに「見える」と「見えない」の上下関係は逆転する。
 (※もともと「見える」が上で、「見えない」が下と考えていた場合である。)

 目の見えない人は長い坂を歩きながら、「山の斜面を降りている」ととらえる。
 足の裏で感じる傾斜から、「山のてっぺんから麓に降りている様子」をイメージしているのだ。

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 一方、見える人は「都心の街中の坂道を降りている」ととらえ、お店や看板など様々な情報量を大量に脳内に取り込みながら歩く。
 脳内をパンパンにし、先々を予測しながら道順通り歩いて行く。
 その過程でかなり、視野や行動、空間イメージが縛られているのだ。

 よって「見えない人」のほうが、より大きな空間を想像しながら歩いていることになるという。

 確かに交通事故の危険性などは、「見えない人」のほうがより慎重を期さねばならないだろう。

 しかし視野の広さ、空間イメージの広大さという点では、「見えない人」のほうが勝っているのである。 
 
 また「富士山」を表現する言葉にも、「見える人」と「見えない人」の違いが出る。

 「見えない人」は「上が欠けた円錐形」と語り、「見える人」は「上が欠けた三角形」と語る。
 実はここに、「見える人の視野の狭さ」が現れている。

 「見える人」は気がつけば、富士山の絵を目にしている。
 よってどうしてもイラスト的、二次元的な目で富士山をとらえている。

 一方「見えない人」はそうした固定観念がないため、立体的に富士山をとらえているのだ。

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 どうだろう。
 こう聞くと「見える人」が上で「見えない人」が下、どちらが強者でどちらが弱者など言えなくなるのではないだろうか。

 さらに驚いたのが、見えない人は「内と外が等価である」という分析だ。

 ここで登場するのが「太陽の塔」。

 「見える人」の多くが「太陽の顔は2つ」ととらえるのは、面に順位をつけているから。
 外側の全面が1位で、裏側は2位、そして表から見えない内側は3位ないしは問題外・・・。
 「見える人」は知らず知らずのうちに、そんな順位をつけている。

 しかし「見えない人」は面に順位をつけない。
 だから工作などをする際、内側に顔や模様をつけることがある。
 それは全くおかしいことではなく、芸術としてはおおいに「あり」なことだ。
 
 では実際に「見える人」が、内側に模様や顔をつける発想ができるだろうか?
 なかなかできないのではないだろうか?

 本書では「見えない人」について「視覚がないから死角がない」と分析。
 読めば読むほど「弱者」「障害者」という言葉が使えなくなってくる。
 「見えない人」にとって「見える人」も十分、弱い部分、障害といえるものを持っている。
 つまり「見える人」と「見えない人」は、どう考えても対等であると思えてくるのだ。

 本書ではさらに、「見えない人への変身」を通して、「見えない人への誤解」を解説。

 本当に触覚が優れているのか? 見えない人はみな「点字」で生活しているのか?
 
 「見える人」の様々な思い込みを打ち砕いていく。

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 読みながら「本当のバリアフリー、共生社会を考えるには、こういう本が必要なんだろうなあ」とつくづく思った。

 「見えない人」「聞こえない人」「歩けない人」等が様々な場面で不便を感じる理由は、社会が「見える人」「聞こえる人」「歩ける人」に重きを置いているからではないだろうか。
 「できる人」を上に見て、「できない人」を下に見て、蔑ろにしているからではないだろうか。
 多数の「できる人」に合わせた方が、楽だと思っているからではないか。

 本書を読めばとうてい、「見えない人」を下に見ることなどできなくなる。
 人間に上下などない、と言い切れるようになる。
  
 あくまで「対等」であることを念頭に置き、体の構造が違う者同士、足りない部分・不自由な部分は補っていく。
 そう考えた方がずっと、適切なバリアフリー施策などが整うはず。
 デザイン性ばかり考え、見えにくい点字ブロックを作るような愚行はおかさないはずだ。

 本書は福祉を考える本ではなく、あくまで「自分とは異なる体の構造をする体験をする本」だ。
 分野でいえばサイエンスであろう。

 しかし真のバリアフリーを考えるなら、本書を読むことは欠かせない。

 まずは互いに「そっちの世界って面白いねぇ!」という対等な立場にたつこと。

 そこから、誰もが安心して暮らせる「共生の一歩」が始まるのだから。

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プロフィール

アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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