「100年の難問はなぜ解けたのか」

 「100年に一度の奇跡を説明するのは、実に困難です。しかし、ペレリマンが孤独に耐えたことが成功の理由かもしれません。孤独の中の研究とは、日常の世界で生きると同時に、めくるめく数学の世界に没入するということです。人間性を真っ二つに引き裂かれるような厳しい闘いだったに違いありません。ペレリマンはそれに最後まで耐えたのです」
(本文引用)
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 現代は、孤独を恐れる時代だと思う。

 私自身、こうしてブログやツイッターなどをやっているので他人のことは言えないが、多くの人が24時間「誰かとつながっていたい」と強く願い、もはや孤独でいることが難しい時代にまでなっている。
 そんなことを感じる今日この頃だ。

 しかし、時にそんな「つながっていたい」欲求は、増大すると集団浅慮を引き起こし、暴徒化する危険もはらむ。

 それを防ぐためにも、あえて孤独になり、孤独の厳しさに耐え、孤独の楽しさを味わう、ということも必要なのではないだろうか。


 そんなことを教えてくれたのが、この「100年の難問はなぜ解けたのか」
 世紀の難問ポアンカレ予想の解決に挑む、数学者たちの物語である。
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 ポアンカレ予想―それは、20世紀初頭にフランスの学者アンリ・ポアンカレが提唱した、地球の形、そして宇宙の形にまで迫る大問題である。

 地球が丸いことは、今や誰でも知っている不変の真理だ。
 しかしそれは、我々が、人類が宇宙に飛び立つことができる時代を生きているからであり、それ以前の人々には想像もつかないことであった。

 16世紀初めのマゼランの世界一周により、「地球は丸い」ことが実証されたといわれるが、まだ宇宙飛行はおろか人工衛星もない時代のこと、誰も地球の姿を外から見た者はいなかった。

 そこでマゼランの航海から400年の月日を経て登場したのが、ポアンカレによる、ある提言であった。

 「マゼランの方法では、地球が丸いことを証明したことにはならない」

 当時、まだ北極点も南極点も確認されていなかった。よってポアンカレは、極点を貫く巨大な穴が開いていても、つまり「地球がドーナツ型でも世界一周はできる」と考えたのだ。

 そこで生み出されたのが、ポアンカレ予想だ。
 1本のロープの端を岬にくくりつけ、もう一端を船に結びつけて地球を一周する。そして同じ岬に帰ってきてからロープをたぐり寄せ、見事に回収できれば地球は丸いといえる。
 仮にドーナツ型だったとしたら、ロープは途中で引っかかってしまうか、宙を舞ってしまうだろう。

 そしてそれは宇宙全体にも応用できる。
 ロープをロケットにくくりつけて宇宙を一回りし、地球に戻ってからロープをひっぱる。そしてロープを回収できれば宇宙は丸いということになる。
 ポアンカレはそう提唱したのだ。

 まるで子供の遊びや空想のように感じるかもしれないが、これはいわば物の形を「外から眺めることなく調べる方法」であり、物の形を「外から眺めることでしか判断したことのない」多くの人にとっては、発想の大転換を要する驚天動地の理論なのである。

 かくして、このポアンカレ予想は学者たちの興味の的となるが、これを証明することは、どんな頭脳をもってしてもできない難儀なものであった。

 しかしその予想から100年以上経った2006年、ついにロシアの数学者ペレリマンが証明し、世界中を驚愕させるのであるが・・・?
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 この本は、2007年にNHK総合で放映された番組「100年の難問はなぜ解けたのか ~天才数学者 失踪の謎~」を書籍化したものである。

 このポアンカレ予想は、正確に言うと「単連結な三次元閉多様体は三次元球面と同相である」というもの。
 これだけ聞くと私には何が何だかさっぱりわからないのだが、この本は元がテレビ番組ということもあり、写真や図が豊富で非常にわかりやすい構成となっている。

 そして、この証明に挑戦した様々な数学者たちのインタビューが載せられているのだが、驚くべきはその頭脳とともに、その純粋さ。誰も地位や名誉がほしくて研究をしているわけではない点だ。
 その姿は、たとえ数学界最高の栄誉、フィールズ賞を受けたとしても変わらない。
 彼らは「天才」と賞賛されながらも、時に悩み、迷い、逃げ出したくなる誘惑にかられ、でも数学の魅力からは離れがたく、どこまでも愚直なまでに研究を続けていく。その清廉な彼らの姿に、私は涙を抑えることができなかった。

 特に感銘を受けたのが、コーネル大学のウィリアム・サーストン博士の話だ。

 サーストン博士は、ポアンカレ予想につながる理論を提唱するが、途中で研究を止めてしまう。
 それは、数学のより大きな発展への思いが高じて、自分の研究スタイルに疑問をもったためだった。

 ペレリマン博士に勝るとも劣らない能力をもち、いくらでも高い名声を得ることができたというのに、数学界全体、ひいては自分の人生全体を考えて引き下がる。その姿は、寂しさを感じるとともに、まぶしいほどに崇高だ。
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 そしてそれは、ペレリマン博士も同じであった。
 彼は世紀の難問を解き、世界中から賞賛を受けたにもかかわらず、それに背を向けるようにフィールズ賞の受賞を辞退する。
 それが更なる衝撃を与え、ロシアでは「ペレリマンをさがす」=「不可能なことを行う」という流行語まで生まれたという。 しかし、この本で紹介される数学者たちの姿を見ていると、何となく辞退の気持ちもわかるような気がしてくる。

 彼らは、賞賛の声も万雷の拍手も必要としていない。
 厳しい孤独に耐え、そして孤独を心から愛する力をもっているのだ。

 学生や研究者と話すことはあっても、出勤も一人きり、昼食も一人きり、散歩も一人きり、誰に何と言われようが、彼らは孤独と共生しながら研究を重ねる。
 だからこそ、周囲に惑わされることなく、新しい観点をもち、独自の理論を展開することができる。
 写真では明るい笑顔を見せてくれている彼らだが、おそらく心の中はいつも、あえて「一人きり」であろうとしているのではないだろうか。

 この本を読んだからと言って、何もわざわざ一人で行動する必要はない。
 ただ、誰かと一緒に行動しなくてはならない、誰かと合わせなくてはならない、という考えは捨てたほうが良い。この本は、難解な理論・研究をわかりやすく伝えつつも、そんな力強いメッセージも伝えてくれている。

 孤独でいることは、決して恥ずかしいことではない。
 孤独を味方につけたとき、きっと真実が見えてくる。
 この世界をひもとく研究者たちの足跡は、孤独の軌跡でもあるのだ。

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happa.jpg nashi.jpg
 ↑本書で紹介されている、サーストン博士の“マジック”を自宅でやってみました。
 葉っぱも梨も、元は端と端がくっついていたのですが、切り離してみるとアラ不思議!
 葉っぱは交差し、梨は離れてしまうことがわかりますね。
 交差する葉っぱは「負の曲率」、離れる梨は「正の曲率」と言うそうです。
 ちなみに造花は、この曲率がきちんと表現されているかどうかで、
本物らしさが変わってくるそうですよ~。
 今度造花を見つけたら、マジマジと見てみよっと。
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アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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