「熱中症 息子の死を糧にして」は、熱中症対策必読の一冊。
評価:★★★★★
「熱による体の変化は先生にも正確に判断できない。先生も今は元気だが途中で倒れるかもしれない。だから今『がんばります』といった君たちの言葉が、すぐに『疲れたので休ませてください』に変わっても、先生は起こらないよ。先生は君たち全員の力を借りて熱中症という病気を防ぎたいと思っているんだ」
(本文引用)
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熱中症とは何と、先が読めない恐ろしいものであるか。
人間の心理・体のスキを突いた、悪魔であることか。
ある意味、癌よりも恐ろしいものかもしれません。
シュルシュルと背中から這い上がる虫のように、あっという間に体を破壊する熱中症。
本書の著者は、「息子の死」という大きな悲しみを通して、身をもって熱中症対策を教えてくれています。
「こんなことまで、考えたこともなかった」「自分の思い込みが、熱中症を呼び込んでいた・・・!」
読めば必ず、「自分の固定観念が熱中症の危機を招いていた」ということに気づき愕然としますよ。
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著者・中村純友氏は、ある日、信じられない報告を受けます。
医大生の息子が、ゴルフ部での合宿中、倒れたとのこと。
「水を飲みに行くから、先に帰ってくれ」と他の部員に言った2時間半後に、呼吸停止状態で見つかったのです。
著者は息子さんの合宿での行動を、つぶさに聴き取り。
そこから熱中症の原因をあぶり出し、自分の体まで使って、熱中症対策を練っていきます。
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本書ほど、熱中症対策で実効性を感じる本はありません。
その理由は、「子どもの死」と「自分が医師である」ということも、もちろんあります。
でもそれ以上に本書は「人間の思い込み」「心理の盲点」に言及。
「私たちは知らず知らずのうちに、熱中症を呼び込んでいた」-そんな事実を鋭く突きつけます。
たとえば、つい「敵」に回しがちな「塩分」。
著者は医師だけに、息子さんに「塩分の弊害」をしょっちゅう話していたと言います。
息子さんの死後、著者はそれを猛烈に後悔。
人間の体にとって、ナトリウムがいかに必要なものであるか。
猛暑のなか、汗をかいた体にとって、水分だけではいかに無力か。
「水分プラス塩分」の重要性を、著者は自らが実験台となって解説していきます。
さらに著者は、心理的な側面からも熱中症対策を主張。
子ども・青少年は、「がんばること」に重きを置きがちです。
でもその真面目さが、熱中症を招きます。
そこで著者は、先生や指導者の立場でも、熱中症対策を指南。
先生は子供達に、こう話すべきだと語ります。
「生徒」という立場にある者は、先生・指導者の前ではなかなか手を抜けません。
特に真面目な子ほど熱中症になりやすいと、著者は細かく分析します。
だから著者は主張します。
「がんばれ」という言葉は最後に使う言葉だと。
「がんばれ」という言葉は、最後まで使ってはいけないと。
スポーツをしていたら、「前日と比べて調子はどうか」「球はまっすぐ飛んでいるか」などといった会話を通じて、体の危険を察知すべきと解説。
いつもよりユーモアや根気がなかったり、話がちぐはぐだったりしたら、「熱中症の危険を疑え」と主張します。
私が「本書ほど実効性のある本はない」と言った理由、おわかりいただけたでしょうか。
つい「頑張れ」と言ってしまうこと、塩分をいっしょくたに「敵」とみなしてしまうこと、「水分さえとっていればよい」と安心してしまうこと・・・。
どれもこれも「そこまで気づかなかった!」と、思わず膝を打つ提言です。
まだまだ暑さは続きます。
残暑に突入しても9月になっても、曇っていても屋内にいても、熱中症はそろそろと忍び寄ります。
本書の対策を参考にして、鉄壁の熱中症対策をしたいものです。
「熱による体の変化は先生にも正確に判断できない。先生も今は元気だが途中で倒れるかもしれない。だから今『がんばります』といった君たちの言葉が、すぐに『疲れたので休ませてください』に変わっても、先生は起こらないよ。先生は君たち全員の力を借りて熱中症という病気を防ぎたいと思っているんだ」
(本文引用)
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2018年7月・・・これほど過酷な夏があっただろうか。
中国・九州・四国地方の豪雨に加え、前代未聞、災害レベルの酷暑が日本を直撃。
学校の授業時間内に、小1の男児が熱中症で死亡するという痛ましい事件まで起きました。
この事態を受け、手に取ったのが「熱中症 息子の死を糧にして」。
本書の著者は医師。
そして、亡くなった息子さんは医大生。
そんな医学的知識を親子で持っていたにも関わらず、息子さんが夏合宿中、熱中症で死亡するという悲劇に見舞われます。
この本を読むと、熱中症の恐ろしさに背筋が凍ります。
中国・九州・四国地方の豪雨に加え、前代未聞、災害レベルの酷暑が日本を直撃。
学校の授業時間内に、小1の男児が熱中症で死亡するという痛ましい事件まで起きました。
この事態を受け、手に取ったのが「熱中症 息子の死を糧にして」。
本書の著者は医師。
そして、亡くなった息子さんは医大生。
そんな医学的知識を親子で持っていたにも関わらず、息子さんが夏合宿中、熱中症で死亡するという悲劇に見舞われます。
この本を読むと、熱中症の恐ろしさに背筋が凍ります。
熱中症とは何と、先が読めない恐ろしいものであるか。
人間の心理・体のスキを突いた、悪魔であることか。
ある意味、癌よりも恐ろしいものかもしれません。
シュルシュルと背中から這い上がる虫のように、あっという間に体を破壊する熱中症。
本書の著者は、「息子の死」という大きな悲しみを通して、身をもって熱中症対策を教えてくれています。
「こんなことまで、考えたこともなかった」「自分の思い込みが、熱中症を呼び込んでいた・・・!」
読めば必ず、「自分の固定観念が熱中症の危機を招いていた」ということに気づき愕然としますよ。
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■「熱中症 息子の死を糧にして」概要■
著者・中村純友氏は、ある日、信じられない報告を受けます。
医大生の息子が、ゴルフ部での合宿中、倒れたとのこと。
「水を飲みに行くから、先に帰ってくれ」と他の部員に言った2時間半後に、呼吸停止状態で見つかったのです。
著者は息子さんの合宿での行動を、つぶさに聴き取り。
そこから熱中症の原因をあぶり出し、自分の体まで使って、熱中症対策を練っていきます。
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■「熱中症 息子の死を糧にして」感想■
本書ほど、熱中症対策で実効性を感じる本はありません。
その理由は、「子どもの死」と「自分が医師である」ということも、もちろんあります。
でもそれ以上に本書は「人間の思い込み」「心理の盲点」に言及。
「私たちは知らず知らずのうちに、熱中症を呼び込んでいた」-そんな事実を鋭く突きつけます。
たとえば、つい「敵」に回しがちな「塩分」。
著者は医師だけに、息子さんに「塩分の弊害」をしょっちゅう話していたと言います。
息子さんの死後、著者はそれを猛烈に後悔。
人間の体にとって、ナトリウムがいかに必要なものであるか。
猛暑のなか、汗をかいた体にとって、水分だけではいかに無力か。
「水分プラス塩分」の重要性を、著者は自らが実験台となって解説していきます。
さらに著者は、心理的な側面からも熱中症対策を主張。
子ども・青少年は、「がんばること」に重きを置きがちです。
でもその真面目さが、熱中症を招きます。
そこで著者は、先生や指導者の立場でも、熱中症対策を指南。
先生は子供達に、こう話すべきだと語ります。
「疲れてきたら先生のところへ必ず行ってください。頑張って歩いていては、仲間に逆に迷惑のかかることがあります。“しんどい”時に“しんどい”と言うのはわがままではありません。社会性のある立派なことなのです」
「生徒」という立場にある者は、先生・指導者の前ではなかなか手を抜けません。
特に真面目な子ほど熱中症になりやすいと、著者は細かく分析します。
だから著者は主張します。
「がんばれ」という言葉は最後に使う言葉だと。
「がんばれ」という言葉は、最後まで使ってはいけないと。
スポーツをしていたら、「前日と比べて調子はどうか」「球はまっすぐ飛んでいるか」などといった会話を通じて、体の危険を察知すべきと解説。
いつもよりユーモアや根気がなかったり、話がちぐはぐだったりしたら、「熱中症の危険を疑え」と主張します。
私が「本書ほど実効性のある本はない」と言った理由、おわかりいただけたでしょうか。
つい「頑張れ」と言ってしまうこと、塩分をいっしょくたに「敵」とみなしてしまうこと、「水分さえとっていればよい」と安心してしまうこと・・・。
どれもこれも「そこまで気づかなかった!」と、思わず膝を打つ提言です。
まだまだ暑さは続きます。
残暑に突入しても9月になっても、曇っていても屋内にいても、熱中症はそろそろと忍び寄ります。
本書の対策を参考にして、鉄壁の熱中症対策をしたいものです。
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