芥川賞で初めて号泣しました。「おらおらでひとりいぐも」(若竹千佐子)感想
評価:★★★★★
おらは後悔はしてねのす。見るだけ眺めるだけの人生に
それもおもしぇがった。おらに似合いの生き方だった。
んでも、なしてだろう。こごに至って
おらは人とつながりたい。
(本文引用)
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読んでいるシチュエーションがまた、良かったのかな。
遠出から帰ってくる娘を、駅で待ちながら読んでいたら・・・もう涙が止まらなくて止まらなくて・・・ああ、今すぐわが子をこの手に抱きたい、精一杯抱きしめてやりたいと思いました。
そして、時々手紙をくれる老母を、生まれてから最大に愛おしく思いました。
私の母は未来の私、そして私の娘は、今の私になる。
そんな連鎖が、何と輝いて見えることか。
「おらおらでひとりいぐも」を読み、この世に生まれ、今、この一瞬を生き、いつか自分が朽ちても何かがつながり、何かが残るであろうことに感謝せずにはいられなくなりました。
若竹千佐子さん、このような素晴らしい小説を書いてくださり、どうもありがとうございます。
そして芥川賞選考委員の皆さま、この本を読む機会を与えてくださり、本当にありがとうございます。
ありがとう、ありがとう、ありがとう!
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主人公の桃子さんは、独り暮らしの老女。
40過ぎの息子と娘はとうに独立し、夫はすでに他界しています。
ひとりごちる部屋では、ネズミが動く音がカサコソカサコソ。
桃子さんは部屋で、自分の生きてきた軌跡を思います。
娘との確執、オレオレ詐欺・・・。
東北弁で訥々と語る、桃子さんの人生の「答」とは?
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「おらおらでひとりいぐも」は、全体の8割以上が濃厚な東北弁です。
「方言だらけだと読みにくそう」と思うかもしれませんが、方言だらけだからこそ読みやすいです。
本書の文章に一度触れてみてください。
あれ?あれれ?と思うぐらい、言葉の海にグイグイ引き込まれます。
それはまるでニューオーリンズのバーでジャズを聴くような、南米でラップを聴くような感覚。
方言のおかげで、文章が流れるようにナチュラル。
そして見栄や虚飾をはぎとった生の言葉なので、読み手の心までまっさらに洗い流されます。
だから本書は、ストレートに心を打ちます。
読み手の心を、怖いぐらい裸にするから、素直に感動できるんです。
夫を失った時のうろたえ、どのように向き合えばいいかわからなかった娘との関係、息子をめぐるハプニング・・・。
一人の母親として、今まで精一杯「よかれ」と思ってやってきたことはいったい何だったのだろうと虚しく思う気持ちを、静かに、時に熱く語る桃子さん。
その内容は、名もなき家事に明け暮れ、子どもの価値を自分と同一化しそうになる女性の気持ちを、悔しいぐらい見事に代弁しています。
本書を読んだら、女性たちは皆、自分の言葉で「今まで見て見ぬふりをしてきた、自分の本当の気持ち」を訴えはじめそう。
家族のために生きてきた自分を、「一個の人間」として見つめ、人生の軌道修正をする。
本書は、そんな「新たな女性の生き方のムーブメント」を起こすかもしれません。
そして本書は、「一つしかない自分の人生」を見つめなおすチャンスを与えてくれます。
さらにそれを通して、改めて家族を愛おしく思うきっかけも与えてくれます。
桃子さんは、自分の家族や、自己犠牲をしてきた己の人生へのいらだちをぶつけるうちに、一周廻って、幸せな方向に着地していきます。
そんなラストがまた、涙が吹き出すほど泣けます。
「生きるのって面白いんだかつまらないんだか、意味があるんだかないんだかわからない」とウダウダ考えている方は、本書のラストだけでも読んでみてください。
「生きてみるって、悪くないな」と、きっと思えますよ。
自分を愛したい、そして、自分の家族をはじめ何らかのつながりがある人を愛したい。
「おらおらでひとりいぐも」は、孤独であるあなたと、誰かと絆を持つあなたの両方を、力強く応援する一冊です。
おらは後悔はしてねのす。見るだけ眺めるだけの人生に
それもおもしぇがった。おらに似合いの生き方だった。
んでも、なしてだろう。こごに至って
おらは人とつながりたい。
(本文引用)
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私、芥川賞のことを誤解してました。
芥川賞といえば、今まで「よくわからない小説に与えられるもの」と感じていました。
受賞作を読むたびに、「何だかよくわからないけど、これを面白いと言っておけば『読書通』みたいに見てもらえるのかな」なんて、かっこつけアイテムのようにとらえていたんですよね。
本当はあまり感動してないのに、「あ、あれ、良かったよねぇ(と言っておく)」みたいな。
でも、この「おらおらでひとりいぐも」を読み、認識がグワァッと変わりました。
もう、心の真ん中をズドーンッ!と撃ち抜かれてしまったんです。
芥川賞といえば、今まで「よくわからない小説に与えられるもの」と感じていました。
受賞作を読むたびに、「何だかよくわからないけど、これを面白いと言っておけば『読書通』みたいに見てもらえるのかな」なんて、かっこつけアイテムのようにとらえていたんですよね。
本当はあまり感動してないのに、「あ、あれ、良かったよねぇ(と言っておく)」みたいな。
でも、この「おらおらでひとりいぐも」を読み、認識がグワァッと変わりました。
もう、心の真ん中をズドーンッ!と撃ち抜かれてしまったんです。
読んでいるシチュエーションがまた、良かったのかな。
遠出から帰ってくる娘を、駅で待ちながら読んでいたら・・・もう涙が止まらなくて止まらなくて・・・ああ、今すぐわが子をこの手に抱きたい、精一杯抱きしめてやりたいと思いました。
そして、時々手紙をくれる老母を、生まれてから最大に愛おしく思いました。
私の母は未来の私、そして私の娘は、今の私になる。
そんな連鎖が、何と輝いて見えることか。
「おらおらでひとりいぐも」を読み、この世に生まれ、今、この一瞬を生き、いつか自分が朽ちても何かがつながり、何かが残るであろうことに感謝せずにはいられなくなりました。
若竹千佐子さん、このような素晴らしい小説を書いてくださり、どうもありがとうございます。
そして芥川賞選考委員の皆さま、この本を読む機会を与えてくださり、本当にありがとうございます。
ありがとう、ありがとう、ありがとう!
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■「おらおらでひとりいぐも」あらすじ
主人公の桃子さんは、独り暮らしの老女。
40過ぎの息子と娘はとうに独立し、夫はすでに他界しています。
ひとりごちる部屋では、ネズミが動く音がカサコソカサコソ。
桃子さんは部屋で、自分の生きてきた軌跡を思います。
娘との確執、オレオレ詐欺・・・。
東北弁で訥々と語る、桃子さんの人生の「答」とは?
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■「おらおらでひとりいぐも」感想
「おらおらでひとりいぐも」は、全体の8割以上が濃厚な東北弁です。
「方言だらけだと読みにくそう」と思うかもしれませんが、方言だらけだからこそ読みやすいです。
本書の文章に一度触れてみてください。
あれ?あれれ?と思うぐらい、言葉の海にグイグイ引き込まれます。
それはまるでニューオーリンズのバーでジャズを聴くような、南米でラップを聴くような感覚。
方言のおかげで、文章が流れるようにナチュラル。
そして見栄や虚飾をはぎとった生の言葉なので、読み手の心までまっさらに洗い流されます。
だから本書は、ストレートに心を打ちます。
読み手の心を、怖いぐらい裸にするから、素直に感動できるんです。
夫を失った時のうろたえ、どのように向き合えばいいかわからなかった娘との関係、息子をめぐるハプニング・・・。
一人の母親として、今まで精一杯「よかれ」と思ってやってきたことはいったい何だったのだろうと虚しく思う気持ちを、静かに、時に熱く語る桃子さん。
その内容は、名もなき家事に明け暮れ、子どもの価値を自分と同一化しそうになる女性の気持ちを、悔しいぐらい見事に代弁しています。
本書を読んだら、女性たちは皆、自分の言葉で「今まで見て見ぬふりをしてきた、自分の本当の気持ち」を訴えはじめそう。
家族のために生きてきた自分を、「一個の人間」として見つめ、人生の軌道修正をする。
本書は、そんな「新たな女性の生き方のムーブメント」を起こすかもしれません。
そして本書は、「一つしかない自分の人生」を見つめなおすチャンスを与えてくれます。
さらにそれを通して、改めて家族を愛おしく思うきっかけも与えてくれます。
桃子さんは、自分の家族や、自己犠牲をしてきた己の人生へのいらだちをぶつけるうちに、一周廻って、幸せな方向に着地していきます。
そんなラストがまた、涙が吹き出すほど泣けます。
「生きるのって面白いんだかつまらないんだか、意味があるんだかないんだかわからない」とウダウダ考えている方は、本書のラストだけでも読んでみてください。
「生きてみるって、悪くないな」と、きっと思えますよ。
自分を愛したい、そして、自分の家族をはじめ何らかのつながりがある人を愛したい。
「おらおらでひとりいぐも」は、孤独であるあなたと、誰かと絆を持つあなたの両方を、力強く応援する一冊です。