はじめてのサイエンス 池上彰
評価:★★★★★
国際情勢から日本という国も未来まで、あらゆる局面に科学の考え方や発想が密接にかかわっていることに、あらためて気がつきました。
(序章より引用)
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なぜ「科学を知ること」=「世の中を知ること」になるのかは本書をお読みいただければすぐにわかると思うが、とにかくこの本を読めば、世の中に対する視野が一気に広がることが実感できるだろう。
どんな出来事も、科学を無視しては語れない。逆に科学的な目線をもてば、どんな出来事も、より大きな手で鷲掴みにできるのだ。
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本書に収められている授業は6科目。
1時間目「物理」は素粒子や原子力、2時間目「化学」は水素エネルギー、3時間目の「生物」では生命の源について探究し、4時間目「医学」はウイルスと再生医療、5・6時間目は地震や地球温暖化等「地学」系の授業である。
こう書くと、特に何の変哲もない普通の科学解説書に見えるかもしれない。
しかし本書では、冒頭の序章でこう書かれている。
たとえば素粒子。
昔は原子がもっとも小さいと思われていたが、それに疑いをもった誰かがその原子を分解。原子核と電子に分けられるが、それにさらに疑いを持った誰かが、原子核を中性子と陽子に分解。さらにさらに疑いを持った誰かが、中性子と陽子をもっと細かく分けられないかと考え、クォークという粒に分けられることがわかった。
他、ヒッグス粒子の存在に関し、科学の世界では「正体がよくわからないけれど、何かあるにちがいない予測」がしばしば行われると解説。
このように、科学は「疑うこと」=「とどまることのない人間の知的好奇心」によって進んでいる。すなわち「真理とは絶対的なものではなく、『とりあえずの真理』」ということになるのだ。
本書では、物理・生物・化学・医学・地学等々に関して、人類の「疑い」の軌跡を徹底的に紹介。最終的には、そんな「疑いをもつ科学の目」は社会問題にも効力を発揮することを説く。
特に環境問題については、このような科学的視点を持たないと取り返しのつかないことになると、池上氏は主張する。
科学・サイエンスと聞くだけで、「もうわからない!」と突き放してしまう方も多いかもしれない。
しかし本書を読めば、科学と自分とを切り離すことなど決してできないことがよくわかる。そして、切り離さずに考えることで、いかに見える世界が広くなるかがわかるだろう。
「はじめてのサイエンス」は、「はじめての社会」「はじめての世の中」「はじめての私」ともいえるのだ。
国際情勢から日本という国も未来まで、あらゆる局面に科学の考え方や発想が密接にかかわっていることに、あらためて気がつきました。
(序章より引用)
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「はじめてのサイエンス」と聞くと、小学校の理科か、はたまた高校の物理や生物の初歩をいきなり教えてくれるようなイメージがある。
しかし、本書の指す「はじめて」はそんなレベルではない。
「サイエンス」、「科学」というもののとらえ方から教えてくれるのだ。
だからこそ、この本は面白い。だからこそ、この本は五臓六腑に沁みる。
いわゆる「知識の詰め込み」ではなく、「科学そのもの」をじっくりと根本から考え、科学に関する知識を得る。それはつまり、「世の中」というものを根本から知ることにつながる。
しかし、本書の指す「はじめて」はそんなレベルではない。
「サイエンス」、「科学」というもののとらえ方から教えてくれるのだ。
だからこそ、この本は面白い。だからこそ、この本は五臓六腑に沁みる。
いわゆる「知識の詰め込み」ではなく、「科学そのもの」をじっくりと根本から考え、科学に関する知識を得る。それはつまり、「世の中」というものを根本から知ることにつながる。
なぜ「科学を知ること」=「世の中を知ること」になるのかは本書をお読みいただければすぐにわかると思うが、とにかくこの本を読めば、世の中に対する視野が一気に広がることが実感できるだろう。
どんな出来事も、科学を無視しては語れない。逆に科学的な目線をもてば、どんな出来事も、より大きな手で鷲掴みにできるのだ。
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本書に収められている授業は6科目。
1時間目「物理」は素粒子や原子力、2時間目「化学」は水素エネルギー、3時間目の「生物」では生命の源について探究し、4時間目「医学」はウイルスと再生医療、5・6時間目は地震や地球温暖化等「地学」系の授業である。
こう書くと、特に何の変哲もない普通の科学解説書に見えるかもしれない。
しかし本書では、冒頭の序章でこう書かれている。
今、私たちが知っている科学知識は永遠に真実というわけではない。真理を疑ってきた研究者たちの現・到達地点なのだ。真理とは絶対的なものではなく、「とりあえずの真理」なのです。
たとえば素粒子。
昔は原子がもっとも小さいと思われていたが、それに疑いをもった誰かがその原子を分解。原子核と電子に分けられるが、それにさらに疑いを持った誰かが、原子核を中性子と陽子に分解。さらにさらに疑いを持った誰かが、中性子と陽子をもっと細かく分けられないかと考え、クォークという粒に分けられることがわかった。
他、ヒッグス粒子の存在に関し、科学の世界では「正体がよくわからないけれど、何かあるにちがいない予測」がしばしば行われると解説。
このように、科学は「疑うこと」=「とどまることのない人間の知的好奇心」によって進んでいる。すなわち「真理とは絶対的なものではなく、『とりあえずの真理』」ということになるのだ。
本書では、物理・生物・化学・医学・地学等々に関して、人類の「疑い」の軌跡を徹底的に紹介。最終的には、そんな「疑いをもつ科学の目」は社会問題にも効力を発揮することを説く。
特に環境問題については、このような科学的視点を持たないと取り返しのつかないことになると、池上氏は主張する。
科学・サイエンスと聞くだけで、「もうわからない!」と突き放してしまう方も多いかもしれない。
しかし本書を読めば、科学と自分とを切り離すことなど決してできないことがよくわかる。そして、切り離さずに考えることで、いかに見える世界が広くなるかがわかるだろう。
「はじめてのサイエンス」は、「はじめての社会」「はじめての世の中」「はじめての私」ともいえるのだ。