罪の声 塩田武士
評価:★★★★☆
「事件を起こして、あなたの言う“社会”を見せて、世の中は変わったんですか?」
(本文引用)
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そのテープの声とノートから、俊也はある重大事件を思い出す。
かつて多くの製菓会社や食品メーカーが脅迫された「ギン萬事件」。
その事件の犯人が使ったテープは、紛れもなくさっきのテープだった。自分の声の入ったカセットテープだった。
その一方で、新聞記者の阿久津も「ギン萬事件」を追っていた。
俊也と阿久津、この二人がギリギリまで「ギン萬事件」の真相に迫った時、二人の心に残されたものは何か。そして、この事件が社会に残したものとは何なのか。
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まず、著者の取材力と緻密な描写に度肝を抜かれた。
事件自体は30年前で、すでに時効を迎えているが、この物語の家族にとっては時効ではない。家族の来し方行く末に大きく関わり、これからの生き方を左右する一大事だ。
それだけに、事件に関わる「とるに足らなそうな小さな点」が念入りに書かれているのが生きる。そして、そんな小さな点が徐々に太い線になっていく過程も、実に読み応えがある。
その迫力ある描写は、どこか横山秀夫作品を彷彿とさせる。新聞社に勤めた経験のある小説家は、やはり取材力や描写力が一段優れているのだろうか。とにかく、読み手の私まで一緒に事件を追っているような気分になりドキドキした。
また、実際の事件を題材としながら、ここまで人情味豊かなドラマに仕上げられるというのもすごい。
明らかに、実在した事件をモデルとした内容であるため、それを人情ドラマに仕立て上げるなど不謹慎との気持ちが湧きそうなものだが、ここまで綺麗に融合しているとそんな気も起らない。ひとつのれっきとした読み物として堪能でき、また同時に「事件の裏には、私たちには計り知れない苦しみがある」事実に思いを馳せることもできる。
そんな純粋な気持ちで本書を読めるのは、作中にあるこのセリフのせいだろう。
そしてその因数分解が終わった時に、さらに大きな割り切れぬものが立ちはだかる。
人生とは、生きるとは、いつまでも割り切れぬものを割り続けようとする作業なのかもしれない。
「罪の声」は、そんなことを教えてくれる大作であった。
「事件を起こして、あなたの言う“社会”を見せて、世の中は変わったんですか?」
(本文引用)
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若い方はご存知ないかもしれないが、その昔、「グリコ・森永事件」というものがあった。その事件の頃に小学生以上だった人は、みな覚えているのではないだろうか。
江崎グリコの社長が誘拐されたことに始まり、その後、多数の食品会社が脅迫された。その犯人とされる「キツネ目の男」は、今もなおテレビ等で時々報道される。昭和・平成を通じて、屈指の大事件といえるだろう。
「罪の声」は、その「グリコ森永事件」をモチーフとした、家族の物語だ。
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京都でテーラーを開く曽根俊也は、ある日、自宅でカセットテープとノートを見つける。
テープを聞くと、幼い頃の自分の声が入っていた。
江崎グリコの社長が誘拐されたことに始まり、その後、多数の食品会社が脅迫された。その犯人とされる「キツネ目の男」は、今もなおテレビ等で時々報道される。昭和・平成を通じて、屈指の大事件といえるだろう。
「罪の声」は、その「グリコ森永事件」をモチーフとした、家族の物語だ。
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京都でテーラーを開く曽根俊也は、ある日、自宅でカセットテープとノートを見つける。
テープを聞くと、幼い頃の自分の声が入っていた。
そのテープの声とノートから、俊也はある重大事件を思い出す。
かつて多くの製菓会社や食品メーカーが脅迫された「ギン萬事件」。
その事件の犯人が使ったテープは、紛れもなくさっきのテープだった。自分の声の入ったカセットテープだった。
その一方で、新聞記者の阿久津も「ギン萬事件」を追っていた。
俊也と阿久津、この二人がギリギリまで「ギン萬事件」の真相に迫った時、二人の心に残されたものは何か。そして、この事件が社会に残したものとは何なのか。
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まず、著者の取材力と緻密な描写に度肝を抜かれた。
事件自体は30年前で、すでに時効を迎えているが、この物語の家族にとっては時効ではない。家族の来し方行く末に大きく関わり、これからの生き方を左右する一大事だ。
それだけに、事件に関わる「とるに足らなそうな小さな点」が念入りに書かれているのが生きる。そして、そんな小さな点が徐々に太い線になっていく過程も、実に読み応えがある。
その迫力ある描写は、どこか横山秀夫作品を彷彿とさせる。新聞社に勤めた経験のある小説家は、やはり取材力や描写力が一段優れているのだろうか。とにかく、読み手の私まで一緒に事件を追っているような気分になりドキドキした。
また、実際の事件を題材としながら、ここまで人情味豊かなドラマに仕上げられるというのもすごい。
明らかに、実在した事件をモデルとした内容であるため、それを人情ドラマに仕立て上げるなど不謹慎との気持ちが湧きそうなものだが、ここまで綺麗に融合しているとそんな気も起らない。ひとつのれっきとした読み物として堪能でき、また同時に「事件の裏には、私たちには計り知れない苦しみがある」事実に思いを馳せることもできる。
そんな純粋な気持ちで本書を読めるのは、作中にあるこのセリフのせいだろう。
俊也や阿久津らの、終わりの見えない因数分解への挑戦は、本当に並大抵の努力・労力ではない。それが素数になった瞬間、読者はホッとすると同時に、思わず涙がこぼれるだろう。「俺らの仕事は因数分解みたいなもんや。何ぼしんどうでも、正面にある不幸や悲しみから目を逸らさんと『なぜ』という想いで割り続けなあかん。素数になるまで割り続けるのは並大抵のことやないけど、諦めたらあかん。その素数こそ事件の本質であり、人間が求める真実や」
そしてその因数分解が終わった時に、さらに大きな割り切れぬものが立ちはだかる。
人生とは、生きるとは、いつまでも割り切れぬものを割り続けようとする作業なのかもしれない。
「罪の声」は、そんなことを教えてくれる大作であった。