さようなら、オレンジ 岩城けい

 こんなあたしを罵るなら罵るがいい。去る者は立ち去ればいい。だけどあたしの生まれ持ってきたものは誰も奪えない、そして摑んだものを奪うことは二度と許さない--。
(本文引用)
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 今まで、生きるためには何か目的がなくてはならないと思っていた。仕事、家庭、勉学、趣味・・・何でもいいから生き甲斐というものをもち、それらにおいて使命感や達成感を得るために生きるものだと思い込んでいた。逆に言えば、それがないと生きる意味などないとすら思っていた。

 しかし、この作品を読み、考えをそっくり改めざるを得なくなった。
 「生きることそのものを目的にしてもよいではないか」。
 そう思ったのだ。

 そして自分が猛烈に恥ずかしくなった。
 「予め生きる目的を設定する」ということは、それができる資本や環境があるということ。つまり「目的・目標のない人生は無意味」などという考えは、非常に贅沢で傲慢な考えなのだ。


 この小説の登場人物は皆、必死に生き抜こうとしている。
 己を誤魔化すことも取り繕うことも装うこともなく、とにかく生きている。その姿はまるで、大声で泣く赤ん坊のように力強く、たまらなく愛おしい。
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 アフリカ難民であるサリマは、家族の命を守るために母国を離れ、新天地で暮らす。そこで彼女は、肉を捌く仕事に従事しながら、必死で英語を勉強する。夫が家を出て行き、子供2人と共に残されたサリマは、日々とにかく生き抜くことに集中する。しかし言葉も通じず外見も土地の人と異なる彼女は、孤独感も募らせていく。

 そしてその気持ちは、英語学校に通う生徒たち共通のものだった。
 日本から来たインテリ風の女性、何かと皆の世話をやくイタリアン・マンマ・・・。
 同じ異国人同士というつながりはあるものの、過去の学歴等バックボーンの違いから、どことなくお互い壁を感じながら接していく。

 しかしそんな彼女たちの形は、次第に大きく姿を変えていく。
 運命が牙をむいた後に、彼女たちが見た原風景とは-。
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 作中、こんな言葉がある。インテリ風日本人女性が、ある本を読んだ感想だ。

人間の最良の部分と最悪の部分が綿密に織られてあり、途中で放り出すことができません。

 これは、まさに本書を表した言葉だ。
 彼女たちはいずれも運命に裏切られ、滅多に味わうことのない悲しみと苦難を強いられ、自分しか信じられなくなっていく。そして、ほんの小さなことで妬み嫉み、人を厭う心が生まれる。この小説は、まさに「人間の最悪の部分」をチクチクと突いていく。
 
 しかし、どんな風雨にさらされても、どんなに醜い姿を見せても、ひたすら「生きる」ことに邁進する彼女たちの姿からは、どうしても目を離すことはできない。この等身大の、丸裸の人間の姿から目を背けることは、それを照らしだすオレンジ色の太陽からも逃げ出すことになる。この物語を読んでいると、そんな畏怖にも似た気持ちが起こってくる。短いながらも、途轍もない偉大さを秘めた小説だ。

 そして次第に、彼女たちは「人間の最良の部分」を見せ始める。
 ただひたむきに生きてきたからこそ見えてきた風景。見えてきた心。頑なに自分の殻に閉じこもっていた頃とは見違えたように、彼女たちは己を解き放ち、自分以上に他人を愛し慈しむようになっていく。

 それはもしかすると、あらかじめ目的や目標を設定していたら、見逃してしまったかもしれない宝物だ。
 生き抜くことに集中してきたからこそ、得ることができた貴重な財産なのだ。

 この作品を読み、一度、名誉やプライドといった鎧を解き、「生きる」ことに集中してみようと心から思った。
 そう思っている時点で邪心があるのかもしれないが、こんな風景に出会えるのならば、やってみる価値は十分ある。


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プロフィール

アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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