光 三浦しをん

 「暴力に暴力で返したものは、もう人間の世界にはいられないのかもしれない」
(本文引用)
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 作中、こんなシーンがある。

 5歳の少女が描いた絵に、白く塗り残された部分がある。形は丸く、それはどうやら太陽を表しているらしい。
 それを見た母親は、他の子のように赤色で表現していないことを気に病む。しかし主人公である父親は、こう言う。

「いいんじゃないか。俺は、昼間の太陽が赤く見えたことなんてないけど?」


 私はこの一言が、本作品全体を象徴しているように思える。


 赤色に見えたことなどない太陽を、人は赤色で描こうとする。
 それはまるで、実際に見えていることを、自分が見たいものに歪めてしまうかのようだ。しかしそうして歪めつづけた結果、どうなるか。

 三浦しをん作「光」
 これは、過去を糊塗し、現実をねじまげることの虚しさと恐ろしさを峻烈に描いた、地獄譚である。
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 舞台は自然豊かな離島、美浜島。中学生の信之と美花、そして小学生の輔は、島に暮らす数少ない若者だ。人口が少ないだけに人間関係は密で、親戚同士である家も多い。
 
 ある日、美浜島を大津波が襲う。
 助かったのは、たまたま高台にいた信之ら3人と、ごく少数の大人のみ。未曾有の大惨事であった。
 信之らは島を出ることになるが、その最後の夜、信之はある罪を犯す。

 それを誰にも知られぬまま時は過ぎ、信之は幸せな家庭を築くが、徐々に平穏な日々は崩れ始める。
 奈落の底に突き落とされる信之の家族。そのなかで彼らは何を捨て、何を守ろうとするのか。
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 本書の帯には、「暴力はやってくるのではない。帰ってくるのだ。」という言葉が書かれている。たしかにこの物語には、数々の暴力が存在する。そのほとんどは明らかに法に触れるような陰惨なものであり、一見、自分とはかけ離れた話に思える。

 しかし解説によると、三浦氏はこう語っていたという。日常の中に潜んでいる暴力についてどうしたらいいのか、読者に考えてほしい、と。

 それを読み、いつの間にか自分は暴力の波のなかにいることに気づき、慄然とした。

 容赦なく歩行者の脇をすり抜ける車、駅の混雑、仕事上の行き違い、SNSでの炎上・・・。どれもこれも、ひとつタガが外れれば暴力になりうるものであり、すでに暴力へと発展しているものもある。
 そして考える。暴力と非暴力の違いは何だろう、と。

 それが前述の、白い太陽なのだ。太陽を赤く描こうとする限り、腰を据えて現実を見つめることはできない。
 現実を見ず、自分にとって都合の良いものばかりを見つづける限りは、相手の胸ぐらをつかんで離さないだろう。それはすでに暴力だ。
 
 この小説の登場人物は、誰もが皆、赤い太陽を見つづけたばかりに最悪の事態を引き起こす。
 その末路は、あまりに無惨だ。

 朗らかでユーモアあふれる「三浦しをん節」とは一線を画す内容で、あまりのブラックさに眉をしかめる人もいるだろう。私もその一人だ。
 
 しかし私は、この作品を忘れることはないだろう。いや、忘れてはいけないのだ。
 目に映る太陽を、「赤い」と思い込まないためにも。

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プロフィール

アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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