天翔る 村山由佳
それでも何とか踏みとどまってこられたのは、こうして馬に乗っているときだけはすべてのことから解放されて自由になれるからだ。まったく違う自分に生まれ変われるはずはなくても、あんなに弱い自分が時にはこんなふうにもなれるという小さな希望に救われるのだ。
(本文引用)
______________________________________
_________________________
舞台は北海道。
地元の小学校に通う少女・まりもは、幼い頃母親が家を出て以来、祖父母、父親と共に暮らす。特に父親とは、身を寄せ合うように互いを守りながら生きている。
そんなある日、クラスの女子が、まりもの父親を執拗にののしる。
最愛の父親を罵倒されたまりもは、その女子に反撃するが、そこから連なるいじめにより不登校となる。
不運にも時を同じくして父親が亡くなり、まりもはますます居場所をなくし、ついに自傷行為まで繰り返すようになる。
そんなまりもが心から信頼する女性・貴子も、同じく心に深い傷を負っていた。
かつて母親の恋人から虐待をされ、以来男性に心を閉ざし、現在は看護師として働く。
人を恐れ、自分の殻に閉じこもろうとする二人だが、そんな二人にも安心して心を開ける人物がいた。
牧場で馬を育てる男・志渡だ。
明るく誠実な志渡のもとで、まりもは並々ならぬ乗馬の才能を発揮していく。
そして貴子も、医療従事者として馬の体を見る目を買われ、牧場にとってなくてはならない存在に。と同時に、貴子の中で志渡への想いがふくらんでいく。
しかしそんな志渡にも、人には言えない、深い心の傷があった。
ある日、牧場に、日本一の芸能事務所社長・漆原が訪れる。
志渡の技術と、まりもの才能を高く評価した漆原は、驚きの依頼を持ち込んでくる。
―エンデュランスをやってみないか―
160キロもの距離を走破するエンデュランス-乗馬耐久競技-を共に戦おうと、漆原は言う。
彼もまた、過去に忘れられない痛手を受けた男だった。
そして彼らは、エンデュランスの世界大会に向けて米国に発つ。
癒えない傷と、大いなる夢を携えて-。
____________________________
この作品を読み、まず思ったのは、「人間は居場所をひとつにすべきではない」ということだ。
以前、平野啓一郎著「私とは何か ~『個人』から『分人』へ」のレビューでも書いたが、人は複数の世界をもった方がよい。
あそこでは萎縮してしまうが、ここでなら自分は明るくなれる、伸び伸びできる、心が軽やかになる。
たとえそこまでいかなくても、人生に行き詰まったときのためにも「別の自分になれる場所」を常に確保すべきだ、と常々思っている(現在の主な居場所が気楽であれば、そうする必要もないであろうが)。
まりも、貴子、志渡、漆原・・・皆、どんなに栄光を勝ち取っても、成功者となっても、決して過去の傷が癒えてはおらず、また最後まで乗り越えることはなかった。
その証拠にこの物語、最高の大団円を迎えつつも、エピローグに「望み通りになることなんて、この世にほんのちょっとしかない」とある。
現実はまさにその通りで、仲違いした人間と再び仲良くなることも実際はなかなか難しいであろうし、自分を傷つけた人間が改心して反省している、ということも、悲しいかな先ず「ない」と言ってよいであろう。期待するほどストレスがたまるというものだ。
馬と出合いアメリカの広大な山脈を駆け抜けるなど、まるで夢物語のようであるが、残酷なほど現実味があり、読む者をのめりこませる圧倒的な説得力がある。
それはおそらく、人は結局嫌な場所からは逃げるしかない、理不尽な苦しみと無理して闘う必要などない、自ら別の居場所を探し生きていくのが最善の道だ、ということを描ききっているからだ。
こう書くとひどく後ろ向きのようだが、一つの苦しい場所であがき復讐や自死の時を待つよりも、よほど前向きで建設的である。
この小説は、爽やかさの仮面をかぶりながらも、世の中の残酷さ、理不尽さをザックリとえぐり出しており、そのなかでの一つの立派な生き方を、堂々と提唱している。いや、天晴れである。
ここまできたら、ぜひ続編を書いてもらいたい。
まりもは学校に戻れるのか、貴子は最後まで志渡に心を開くことができるのか、志渡はそれを受け止めることができるのか、漆原の次なる夢は何か。
人生の底から再生した者たちの、次なるドラマをぜひ観てみたい。
(本文引用)
______________________________________
「自分の居場所はここではない気がする」、「今いる場所が苦しい」、「生きていることそのものが辛い」・・・今、そう感じている人にぜひ読んでほしい物語だ。
人生に大きくつまずき、命の灯が今にも消えそうになった者たちが、馬を通して再起していく青春小説「天翔る」。
人はどうすれば本来の自分でいられるのか、輝けるのか。
そしてどうすれば「自分は生きていてもいい」、いや「生きたい」と感じることができるのか。
この小説は、そんな永遠のテーマに答えてくれる。このうえなく厳しく優しく、ストレートに。
読後、久しぶりに心が隅々まで晴れわたった感動作だ。
人生に大きくつまずき、命の灯が今にも消えそうになった者たちが、馬を通して再起していく青春小説「天翔る」。
人はどうすれば本来の自分でいられるのか、輝けるのか。
そしてどうすれば「自分は生きていてもいい」、いや「生きたい」と感じることができるのか。
この小説は、そんな永遠のテーマに答えてくれる。このうえなく厳しく優しく、ストレートに。
読後、久しぶりに心が隅々まで晴れわたった感動作だ。
_________________________
舞台は北海道。
地元の小学校に通う少女・まりもは、幼い頃母親が家を出て以来、祖父母、父親と共に暮らす。特に父親とは、身を寄せ合うように互いを守りながら生きている。
そんなある日、クラスの女子が、まりもの父親を執拗にののしる。
最愛の父親を罵倒されたまりもは、その女子に反撃するが、そこから連なるいじめにより不登校となる。
不運にも時を同じくして父親が亡くなり、まりもはますます居場所をなくし、ついに自傷行為まで繰り返すようになる。
そんなまりもが心から信頼する女性・貴子も、同じく心に深い傷を負っていた。
かつて母親の恋人から虐待をされ、以来男性に心を閉ざし、現在は看護師として働く。
人を恐れ、自分の殻に閉じこもろうとする二人だが、そんな二人にも安心して心を開ける人物がいた。
牧場で馬を育てる男・志渡だ。
明るく誠実な志渡のもとで、まりもは並々ならぬ乗馬の才能を発揮していく。
そして貴子も、医療従事者として馬の体を見る目を買われ、牧場にとってなくてはならない存在に。と同時に、貴子の中で志渡への想いがふくらんでいく。
しかしそんな志渡にも、人には言えない、深い心の傷があった。
ある日、牧場に、日本一の芸能事務所社長・漆原が訪れる。
志渡の技術と、まりもの才能を高く評価した漆原は、驚きの依頼を持ち込んでくる。
―エンデュランスをやってみないか―
160キロもの距離を走破するエンデュランス-乗馬耐久競技-を共に戦おうと、漆原は言う。
彼もまた、過去に忘れられない痛手を受けた男だった。
そして彼らは、エンデュランスの世界大会に向けて米国に発つ。
癒えない傷と、大いなる夢を携えて-。
____________________________
この作品を読み、まず思ったのは、「人間は居場所をひとつにすべきではない」ということだ。
以前、平野啓一郎著「私とは何か ~『個人』から『分人』へ」のレビューでも書いたが、人は複数の世界をもった方がよい。
あそこでは萎縮してしまうが、ここでなら自分は明るくなれる、伸び伸びできる、心が軽やかになる。
たとえそこまでいかなくても、人生に行き詰まったときのためにも「別の自分になれる場所」を常に確保すべきだ、と常々思っている(現在の主な居場所が気楽であれば、そうする必要もないであろうが)。
まりも、貴子、志渡、漆原・・・皆、どんなに栄光を勝ち取っても、成功者となっても、決して過去の傷が癒えてはおらず、また最後まで乗り越えることはなかった。
その証拠にこの物語、最高の大団円を迎えつつも、エピローグに「望み通りになることなんて、この世にほんのちょっとしかない」とある。
現実はまさにその通りで、仲違いした人間と再び仲良くなることも実際はなかなか難しいであろうし、自分を傷つけた人間が改心して反省している、ということも、悲しいかな先ず「ない」と言ってよいであろう。期待するほどストレスがたまるというものだ。
この物語の素晴らしいところは、そんな現実を全く美化せずに描いている点だ。
意地悪な女子はついぞ優しい子になるわけでもなく、進学時にクラスを分けるぐらいしかなす術はなく、いじめられているまりもを責める教師まで出てくる始末。
志渡や漆原を手ひどく裏切った男は、金になびくわ、レースは煽るわ、仲間は蔑むわ・・・と最後の最後まで感心するほどの自己チュー人間として描かれている。
時代劇に出てくる悪役も真っ青の、徹底したヒールぶりである。(村山氏はサディストなのか?)
だからこそ、この物語は実に面白く、光っている。
意地悪な女子はついぞ優しい子になるわけでもなく、進学時にクラスを分けるぐらいしかなす術はなく、いじめられているまりもを責める教師まで出てくる始末。
志渡や漆原を手ひどく裏切った男は、金になびくわ、レースは煽るわ、仲間は蔑むわ・・・と最後の最後まで感心するほどの自己チュー人間として描かれている。
時代劇に出てくる悪役も真っ青の、徹底したヒールぶりである。(村山氏はサディストなのか?)
だからこそ、この物語は実に面白く、光っている。
馬と出合いアメリカの広大な山脈を駆け抜けるなど、まるで夢物語のようであるが、残酷なほど現実味があり、読む者をのめりこませる圧倒的な説得力がある。
それはおそらく、人は結局嫌な場所からは逃げるしかない、理不尽な苦しみと無理して闘う必要などない、自ら別の居場所を探し生きていくのが最善の道だ、ということを描ききっているからだ。
こう書くとひどく後ろ向きのようだが、一つの苦しい場所であがき復讐や自死の時を待つよりも、よほど前向きで建設的である。
この小説は、爽やかさの仮面をかぶりながらも、世の中の残酷さ、理不尽さをザックリとえぐり出しており、そのなかでの一つの立派な生き方を、堂々と提唱している。いや、天晴れである。
ここまできたら、ぜひ続編を書いてもらいたい。
まりもは学校に戻れるのか、貴子は最後まで志渡に心を開くことができるのか、志渡はそれを受け止めることができるのか、漆原の次なる夢は何か。
人生の底から再生した者たちの、次なるドラマをぜひ観てみたい。