蛙鳴 莫言

 蛙の声は鼓のようだと言うけどね、と伯母はつづけました。あの夜の蛙は泣いているようでね、何千何万という新生児が泣いているようだったよ。もともと私は新生児の泣き声ほど好きなものはなかったんだよ。
 (本文引用)
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 かつて「打ちのめされるようなすごい本」という書評集があったが、私にとってこの小説は、まさに打ちのめされるような本だった。

 作者は、2012年ノーベル文学賞受賞者・莫言。

 「言う莫(なか)れ」という意味が込められたペンネームもあってか、保守派・体制内作家という声も聞かれる。
 しかしそのペンネームは、敢えて自らの口から何かを語るのを避け、飽くまで「作品を通して語る」という信念の表れではないだろうか。

 その証拠ともいえる作品が、この「蛙鳴」。
 テーマは、かの有名な「一人っ子政策」だ。
 1979年から本格的に取り入れられた、この人口計画において、中国当局は避妊のみならず堕胎や不妊手術まで人々に強要してきた。


 明らかに生命を脅かすその政策に、本作は真っ向から切り込んでいる。

 文化大革命と並ぶ“タブー”といわれる「一人っ子政策」。
 亡命することなくこのテーマに取り組むということは、命を賭すほどの勇気と覚悟を要したであろう。
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 物語の形式は、書簡(+劇のシナリオ)というちょっと異色なものだ。
 
 手紙の送り主は劇作家の男性で、宛先は恩師である日本人。
 手紙の中で男性は、産婦人科医であった伯母について切々と語る。

 専門知識と確実な技術を身につけ、れっきとした医師として尊敬を集めていた伯母は、いつしか大量の胎児を殺すようになる。
 それは全て、「一人っ子政策」を掲げる党への忠誠心故だ。
 その政策をめぐり、人々は願う。
 
 男の子が欲しい。女の子はいらない。産み分けができる秘薬はあるか。
 
 次第に村には、強引な堕胎手術による母子死亡事故や、戸籍のない子供があふれていく。
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 子供は産みたい。しかし産めば、国が滅びる。今ある命をとるか、未来の命をとるか。
 極限状況に置かれた人々が奏でる「一人っ子政策狂想曲」は、読む者を十分震撼させる異常さだ。
 読みながら、まるで私自身まで血なまぐさい臭気を放っているような錯覚に陥り、思わず手を見つめた。
 1ページ1ページから激しくほとばしる血と罪に、両の掌が染まっていないか。それを確認するために、だ。

 日本にも確かに、子供の有無や人数に関するプレッシャーは存在する。
 しかしそれは罰則などのない、いわば暗黙のプレッシャーであり、無視できるものだ。
 だがこれがもし、明らかに肉体的苦痛を伴う罰則付きのものだったとしたら・・・。
 それはもう苛烈なマインドコントロールであり、生じるプレッシャーは想像を絶するものだ。判断力・思考力が正常でなくなるのも、無理からぬことであろう。

 それだけに、物語後半、時代とともに人々の認識が変わっていく様子はひときわ爽やか。解脱したように贖罪の気持ちを吐き出す主人公の姿には、許しにも安堵にも似た平穏な気持ちで読むことができた。
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 作中、こんな言葉がある。

 「地球って小さいわね、パパ。
 文化は大きいですねえ、先生。」


 そして莫言氏は、2006年に日本経済新聞のインタビューにおいて、こう語ったという。

 「文学は政治よりも大きい」
(2012/10/12 日本経済新聞 朝刊)

 地球より重い命、その命より重んじられる文化・政治、しかしその政治よりも文学は大きい。
 莫言氏はその大いなる文学で、さらに命の重さを引き出す作品を、これからも届けてくれるだろう。



プロフィール

アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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