「七夜物語」

 「ね、きれいだけだったり、いい子だけだったりするのって、つまらないでしょう。なんだか薄っぺらいでしょう。いいところも悪いところもまじりあってでこぼこしていて、いつそのいいところが出てくるか、いつ悪いところが出てくるか、わからないのが、すてきでしょう」
(本文引用)
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 「児童文学のファンタジー」

 私はこの表現を見ると、いつもこう感じる。
 「これはひどく恐ろしい本に違いない」
 と。

 「モモ」、「はてしない物語」、「トムは真夜中の庭で」・・・「児童文学のファンタジー」は、たいてい子供ではなく大人たちに強烈な現実を突きつける。それはもう、首根っこを押さえて「目を背けるな」と言わんばかりに。
 ではこの、酒井駒子さんのイラスト眩い「児童文学の新たな金字塔」と銘打たれた小説「七夜物語」はどうか。

 ・・・やはり間違いなかった。黄金の宝箱をこじ開けるように、重厚で美しい表紙を開くと、そこは清濁併せ呑む混沌とした子供の世界が広がっていた。と同時に、その世界から目を背けようとする大人たちへの残酷なまでに厳しい提言が多分に含まれていたのだ。
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 主人公の鳴海さよは小学4年生。幼い頃に両親が離婚し、母親と二人で暮らしている。

 本を読むのが大好きなさよには、今、気になっている本があった。
 その本の名は「七夜物語」。近所の公立図書館の片隅に置かれている。
 表紙には、さよと同じ年ぐらいの男の子と女の子が描かれている。




 さよは、この本を毎日一生懸命読むのだが、不思議なことに読んでも読んでもその端から内容を忘れてしまう。

 しかしある日、ひょんなことから、さよはその物語の中に入り込んでしまう。
 しかも一人ではなく、同じく本好きのクラスメート仄田くんとだ。

 物語の第一夜を経験して以後、第二夜、第三夜・・・と、さよと仄田くんは物語の世界と現実とを行き来する日々を過ごす。
 二人は、いつ次の夜に引きずり込まれるかわからないという不安とも期待ともつかぬ気持ちで日常生活を送るが、その夜を通して、二人にある変化が訪れる。

 炊事の手伝いも満足にできない自分、本当はクラスの人気者になりたいと願う自分、父親を乞う自分、現世の者たちを汚らわしく思う自分・・・。
 様々な本来の自分と出会い、ぶつかりながら、夜の世界をさまよい続けるさよと仄田くん。

 さて、この大冒険の結末とは?
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 このように書くと、やはり児童文学のファンタジーに過ぎないように思われるかもしれないが、とんでもない。子供だけでなく、いや子供に対する以上に大人への強いメッセージを感じる作品であった。

 たとえば7つの夜の世界のなかに1つ、金髪や銀髪輝く美しい肢体をもつ子供たちがうごめく世界がある。
 仄田くんは、その完璧な美しさに心惹かれ、その世界にいつづけることを望むが、その子供たちは次第に輝きを失い、寒そうに体を縮こまらせていく。

 そしてすっかり変わり果てた、白髪の子供はいう。

 「いいところも悪いところもひっくるめて一筋縄ではいかないはずのぼくたちを、ばらばらにこわしてきれいにならそうとする、そういう力が、この夜の世界には働いているんだ」

 さらに白髪の子供が続けて言ったのが、当レビュー冒頭で引用した言葉だ。

 その瞬間、私は「あること」を思い出し、頭の中に火花が散るような衝撃を覚えた。
 その「あること」とは、「いじめ」という名の殺人事件を隠し続けた大人たちのことだ。

 私が見聞きしているのは、マスコミによる二次情報、三次情報にすぎず、学校や教育委員会等がどこまで隠蔽しようとしているのか等、本当のことはわからない。

 しかしもし、大人たちがそれを隠そうとしていたのならば、その大人たちが見ている、いや見ようとしているのは、この夜の世界なのだ。

 子供たちの「いいところ」しか見ようとせず、一筋縄ではいかない部分から敢えて目をそらし、子供たちや民間が無抵抗なのをよいことに「きれいにならそうとする」。
 しかしそれは、どんなに頑張ったところで、畳の上の水練のごとく幻想のなかをフガフガと泳いでいるにすぎない。子供たちは現実の陸地を歩いているにも関わらず、だ。

 よって、それらを金色の砂で綺麗にならそうとしたということは、子供という存在自体を否定し、踏みにじった行為といえる。決して守ったことにも、尊重したことにもならないのだ。
 そしてその結果、死を強いられることとなった少年のことを思うと、私は胸が張り裂けそうな気持ちになる。

 子供たちは生きている。
 いいところも悪いところも入り交じってでこぼこしながら、それがない人間など薄っぺらいということを知りながら、一筋縄ではいかないはずの存在であることを自覚しながら、懸命に生きている。
 私たち大人のすることは、そのでこぼこをひたすら隠し、ハリボテを作ることではない。
 そのでこぼこを直視し、認め、ぶつかり、生命をもつ人間を育てることなのだ。

 この小説は、迷える子供たちの冒険を描きながら、そのことを痛切に訴えてきているように思えてならない。

 何と手厳しい物語だろう。

 しかし、数々の絶望に喘ぐこの冒険のラストは、実に、実に素晴らしいものだ。
 久しぶりに喜びの涙がこぼれた。
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 最後に、もし当ブログを読んでくれている人で、今何か辛い思いをしている人がいれば、僭越ながら伝えたい。

 今は耐えることではなく、闘うことではなく、ただ死なないことだけを考えてほしい。
 息をしているだけでもいいから、死なないことだけを考えてほしい。

 生きていれば、必ずこの物語のラストを、身をもって体験することができるだろう。
 死んでしまっては、決して訪れない結末だ。

 これが、この物語の一読者からの、心からの願いである。

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プロフィール

アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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