「氷壁」 井上靖
「切れないはずのザイルが切れた!確かに、それは問題であるだろう。しかし、いまの魚津にしたら、そんな論議はどうでもよかった。とにかくザイルは切れ、小坂は落ちたのである。そして、小坂乙彦はもうこの世に居ないのである。この記事を読んで、魚津はまた、自分がひとりであるという思いを新たにした。」
(本文引用)
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ある日、魚津は、同じく山を愛する親友の小坂乙彦に、恋の悩みを打ち明けられる。その相手は他人の細君であるという。
そんな恋愛は不毛だと止める魚津に対し、「ぼくはもうだめだ」と恋の炎に身を焦がさんばかりにもだえる小坂。
そんな小坂に、「山に登って、そんな思いは振り切れ」と、年末恒例である奥穂高登山の予定を立てる。
二人は無心で登り、山中のテントの中で元旦を迎える。
そして再び足場を探しながら登り始め、もう少しで楽になる、そう思った瞬間。
-小坂は、落ちたのだ。
穂高の山の中を、降りゆく雪と共に吸い込まれるように・・・。
原因は、二人をつなぐザイルが突然、切れたためだった。
この事故は、新聞でも大きく報道された。しかし、社会面に書かれた見出しは、思いもよらぬものだった。
しかし、当時世間では、ナイロン・ザイルは絶対に切れないものと信じられていた。
そのために、魚津が殺したのではないか、小坂が自殺したのではないか、二人の登山技術が未熟だったのではないか、と様々な噂が世間を飛び交うようになる。
そこから、魚津恭太の闘いの日々が始まる。
度重なる実験の結果、ナイロン・ザイルは、ある一定の条件のもとでは切れる可能性があると証明され、魚津は自分と小坂の名誉挽回のためにも、新聞社にその実験結果を報じてくれるよう懇願する。
しかし、新聞社の反応はまたも魚津を痛めつけるものだった。
絶望に打ちひしがれた魚津は、小坂のため、小坂の愛する人のため、そして自分のために、再び山に登る。
それは、人生の全てをかけた登はんであった。
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私は、この小説を読んで背筋が凍った。
毎日、どこかで事件・事故が報道され、悲しんでいる人がいることは知っている。
しかし、その瞬間は心を痛めても、必ずその出来事は自分の中で風化していく。
同時に、世の中でも風化していく。
そして、いったん疑いを持った世の中の目は、穂高連峰の岩壁以上の硬さをもつ、まさしく氷壁となって、当事者たちの思いや願いを撥ねつけていくのである。
しかし、決して忘れてはならない。
その事件・事故にまつわる人にとっては、加害者であろうと被害者であろうと、当事者であろうとなかろうと、一生風化することはないことを。
真相を究明しようと日夜努力を重ね、心身ともに血も涙もにじませているということを。
世間の目に苦しめられ、心晴れやかに太陽の下を歩くのを夢見ているということを。
この小説は、そのような世の中の隠れた苦しみを、私に命がけで教えてくれた。
もうすぐ2011年が幕を閉じる。
いつの間にか報道されなくなった出来事も数多くあるだろう。
しかし、報道されなくなったから、終わりなのではない。
裁判が終わったから、終わりなのではない。
いつまでも終わることのない事件・事故がある。
年が改まっても、そのことを肝に銘じながら、2012年を迎えようと思う。
(本文引用)
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もし、自分が社会的信用を一度に失うような目にあったら、あいそうになったら、どうするだろう。どうあがくだろう。
世の中には、犯人と被害者が明確な事件はもちろん、冤罪事件や未解決事件、事故かもしれない事件も常にどこかで起きている。
私たちは、テレビや新聞で事件の存在程度は知るが、果たしてその事件に関わる人達の苦しみや闘いにまで、思いが及んでいるだろうか・・・。
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商社に勤める魚津恭太は、登山を趣味としており、そのキャリアは日本屈指の難所・穂高を制するほどである。
世の中には、犯人と被害者が明確な事件はもちろん、冤罪事件や未解決事件、事故かもしれない事件も常にどこかで起きている。
私たちは、テレビや新聞で事件の存在程度は知るが、果たしてその事件に関わる人達の苦しみや闘いにまで、思いが及んでいるだろうか・・・。
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商社に勤める魚津恭太は、登山を趣味としており、そのキャリアは日本屈指の難所・穂高を制するほどである。
ある日、魚津は、同じく山を愛する親友の小坂乙彦に、恋の悩みを打ち明けられる。その相手は他人の細君であるという。
そんな恋愛は不毛だと止める魚津に対し、「ぼくはもうだめだ」と恋の炎に身を焦がさんばかりにもだえる小坂。
そんな小坂に、「山に登って、そんな思いは振り切れ」と、年末恒例である奥穂高登山の予定を立てる。
二人は無心で登り、山中のテントの中で元旦を迎える。
そして再び足場を探しながら登り始め、もう少しで楽になる、そう思った瞬間。
「小坂の体が急にずるずると岩の斜面を下降するのを見た。次の瞬間、魚津の耳は、小坂の口から出た短い烈しい叫び声を聞いた」
-小坂は、落ちたのだ。
穂高の山の中を、降りゆく雪と共に吸い込まれるように・・・。
原因は、二人をつなぐザイルが突然、切れたためだった。
この事故は、新聞でも大きく報道された。しかし、社会面に書かれた見出しは、思いもよらぬものだった。
魚津は確かに、ナイロン・ザイルが切れたのを見た。「ナイロン・ザイルは果して切れたか」
しかし、当時世間では、ナイロン・ザイルは絶対に切れないものと信じられていた。
そのために、魚津が殺したのではないか、小坂が自殺したのではないか、二人の登山技術が未熟だったのではないか、と様々な噂が世間を飛び交うようになる。
そこから、魚津恭太の闘いの日々が始まる。
度重なる実験の結果、ナイロン・ザイルは、ある一定の条件のもとでは切れる可能性があると証明され、魚津は自分と小坂の名誉挽回のためにも、新聞社にその実験結果を報じてくれるよう懇願する。
しかし、新聞社の反応はまたも魚津を痛めつけるものだった。
刹那、魚津の眼前は闇と化したのである。「ちょっとニュースとしては弱いでしょうね」
「いまとなっては古いと思うんです」
絶望に打ちひしがれた魚津は、小坂のため、小坂の愛する人のため、そして自分のために、再び山に登る。
それは、人生の全てをかけた登はんであった。
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私は、この小説を読んで背筋が凍った。
毎日、どこかで事件・事故が報道され、悲しんでいる人がいることは知っている。
しかし、その瞬間は心を痛めても、必ずその出来事は自分の中で風化していく。
同時に、世の中でも風化していく。
そして、いったん疑いを持った世の中の目は、穂高連峰の岩壁以上の硬さをもつ、まさしく氷壁となって、当事者たちの思いや願いを撥ねつけていくのである。
しかし、決して忘れてはならない。
その事件・事故にまつわる人にとっては、加害者であろうと被害者であろうと、当事者であろうとなかろうと、一生風化することはないことを。
真相を究明しようと日夜努力を重ね、心身ともに血も涙もにじませているということを。
世間の目に苦しめられ、心晴れやかに太陽の下を歩くのを夢見ているということを。
この小説は、そのような世の中の隠れた苦しみを、私に命がけで教えてくれた。
もうすぐ2011年が幕を閉じる。
いつの間にか報道されなくなった出来事も数多くあるだろう。
しかし、報道されなくなったから、終わりなのではない。
裁判が終わったから、終わりなのではない。
いつまでも終わることのない事件・事故がある。
年が改まっても、そのことを肝に銘じながら、2012年を迎えようと思う。