「偽りの来歴 ~20世紀最大の絵画詐欺事件~」
インターネットの掲示板を見ていると、こんな文面によく出会う。
「私の家系はみんな医師で・・・」
「旧帝大卒です」
「うちの子は県内一の進学校に通っていますが」
「母の実家は造り酒屋で、お手伝いさんが何人もいる家で育ったそうです」
そんなコメントを見かけるたびに、
「顔も見えない相手に、そんなこと自慢してどうするんだろう」と思いつつ、
「でも顔が見えないからこそ自慢したくなるよね(身近な人には話せないしね)」と、ある種ほほえましい気持ちになる。
たとえそれが嘘だとしても、罪のないものである。
しかしそれが、誰かに多大な損失を与えることになったら・・・。
いや、誰かの命すら奪うことになったら・・・。
1980~90年代に、イギリスで発生した「20世紀最大の絵画詐欺事件」。
絵画だけでなく、その来歴も捏造して巨万の富を得つづけたこの事件は、人間のそんな虚栄心が肥大化した末の悲劇ともいえる出来事である。
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場所はロンドンの最高級レストラン
そこに、貴族のような気品漂う紳士がひとり、優雅に食事をしている。
男の名は、ジョン・ドゥリュー。
彼は、
原子物理学者で、
歴史家で、
国防省の顧問で、
陸軍中尉で、
イギリスの秘密情報部とも通じていて、
運転手付の車で移動をするという生活を送っている。
しかし、その全ては「嘘」。
彼は、自分の身分を偽り、偽の絵画を売り歩く詐欺師なのだ。
ここまで華麗な経歴を並べ立てれば、誰でも「そんな馬鹿な」と疑いそうなものだが、彼は見事にその疑いの目をすりぬけ、次々と有名絵画を売りさばいては、億万長者への階段をひた走ってゆく。
それはなぜか。
その秘密は、彼が偽の絵画を作っただけでなく、偽の来歴も作ったからである。
「来歴」とは、その絵画が作者の手元を離れてから、どこの誰に所有されてきたかを記録したものである。
この記録は、一般の我々の目に触れることもなく思い及ぶものですらないが、美術を扱う世界ではこと重要なものなのである。
本書でも、美術館の役割を人々に絵画を見せることのほかに、「すべての重要な美術作品について、それらが生み出されたときから現在の所蔵家の手に渡ったときまでの所有権移転の連鎖の記録を、途切れることなく蓄積することである(本文引用)」としている。
そしてこれは、あるひとつの法則を導くことになる。
「来歴さえあれば、たとえ贋作でも『ほんもの』になる。」(本書帯引用)
作品自体が少々怪しくても、この来歴さえしっかり書かれていれば、たいてい本物と認定されてしまうのだ。
その来歴の重要性に目をつけたドゥリューは、あちこちの美術館や画商に言葉巧みに近づき、記録の捏造を重ねてゆく。
そうして何万ポンドもの大金を手にしていくドゥリューだが、所詮ハリボテの贋作、そんな日々が長く続くはずはない。
背後から、破滅の足音が近づいてくる。
真実を追う足音がヒタヒタと、確実に。
そうして追い詰められたドゥリューは、証拠を消すために、放火という凶行に及ぶのだが・・・。
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いやもう、まさに「事実は小説より奇なり」を地でいく第一級ドキュメンタリー!
松本清張の「迷走地図」などを思わせるサスペンスなのだが、これが事実とは、驚くと同時に恐れ入った。
これを一言に「絵画詐欺事件」と片付けることもできるのであろうが、それだけではない、人間の深層心理を深くえぐった事件である。
ドゥリューは、本当に絵画を売ることで、お金が欲しかったのだろうか?
お金ではなく、
原子物理学者で、
歴史家で、
国防省の顧問で、
陸軍中尉で、
イギリスの秘密情報部とも通じている、
という姿が欲しかったのではないだろうか。
彼が本当に欲しかったのは、絵画作品の「来歴」ではなく、自分自身の華麗なる「来歴」・・・そんな気がしてならないのだ。
冒頭にも書いたが、よほど能力のある人は別として、人は誰でもちょっと見栄を張りたい、ちょっと自分をかっこよく見せたいと思うものだ。
(私もそうだ。こんなレビューを書いている時点で、すでに自分を賢く見せたいと思っている証拠であろう。)
たしかにドゥリューはやりすぎた。
しかし、誰が彼を一方的に責めることができるだろう。
彼自身も苦しんだ。
ありのままの自分を自他共に認めることが出来ない自分の姿に、苦しんだ人生だったのだ。
家に放った炎は、そんな自分自身を焼き尽くすための炎だったのではないだろうか。
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この「偽りの来歴」は、ただの詐欺事件の記録ではない。
誰もが持つ「自己愛」や「虚栄心」の行き着く先を鋭く描きぬいた、人間の真理(心理)の記録でもあるのだ。
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