「ぼく にげちゃうよ」
うちの子(3歳)は、いまだに私(母親)がそばにいないと眠れない。
万が一、目を覚ましたときに私がピッタリと隣にいないと大変なことになる。
「おかあたーん!!どこに行ったの!?」(1mも離れとらんわい)と、それはもう地球の終わりのような泣き叫びっぷりである。
なので、子供が寝ついた後、そうっと布団から抜け出し隣室で本を読んでいても、「ウッ」という声が聞こえたら、すぐさま盗塁王・福本豊のごとく布団の中にスライディングし、手をギュッと握る。
そうすると安心するらしく、また寝付いてくれる。・・・正直、疲れる。
いつになれば、目の前に私がいなくても安心してくれるようになるのだろう。
絶対に見捨てることはないのだから、ベッタリ密着していなくても眠ってくれるようにならないかなぁ
・・・と日々願うのであるが、ある絵本のおかげで、「まあ、いいか」と思えるようになった。
その救世主的存在ともいえる絵本とは「ぼく にげちゃうよ」である。
これは、うさぎの母子の話である。
ある日、少し成長したこうさぎは、母親にこう告げる。
「ぼく にげちゃうよ」
そして母親は答える。
「おまえがにげたら、かあさんはおいかけますよ。
だって、おまえは とってもかわいい わたしのぼうやだもの」(本文引用)
と、ここから始まるのだが、こうさぎは巧みに、山の上の岩になったり、小鳥になったり、しまいには空中ブランコ乗りになってまで母親の手からすりぬけようとする。
そしてそのたびに、母親は、登山家になったり、止まり木になったり、軽業師になったりして、こうさぎのぼうやをつかまえようとするのである。
こんな風に親子で問答を繰り返していくゲームのような語りなのだが、これを読んでいると面白くも、ちょっと怖くなる。
いつか必ず、わが子も私の腕から巣立っていくだろう。
いや、巣立ってもらわないと困るのだが、早くもさびしい気持ちになってしまう。
いつまでも手元においておきたいような、でも自分の人生を歩かせなくては、と葛藤してしまう。
こんなことで、子離れ・親離れできるのだろうか。逆に考えすぎて子供と心が離れてはもっといけないし・・・。ページをめくるうちに、不安がどんどん膨らんでいった。
しかし、そんな心配は無用だった。
ページの最後にはきちんと、それを解決してくれるようなエンディングが待っていた。
「ああ、これでいいんだ」
そこにいる2匹のうさぎの姿が、私の心を軽くしてくれた。
「親」という漢字は「木の上に立って見る」という意味だそうだが、子供が手を離れても、私の手から飛び出していっても、物理的にそばにいなくても、「あなたには帰るところがある」と、いつまでも見守っていさえすればいい。
そんなことを穏やかに静かに伝えてくれる絵本である。
「ぼく にげちゃうよ」
そう言い出すまで、布団にスライディングしつづけてあげよう。
※余談だが、この絵本はうちの子の大のお気に入り(大の10乗ぐらい)である。
どうやら、この絵本のセリフをまねて母親と問答できるのが楽しいらしく、毎晩やっている。
例:
「ぼく キティちゃんになっちゃうよ」
「おまえがキティちゃんになったら、お母さんはジュエルペットになっておまえと宝石に囲まれて仲良く暮らしますよ」
「おかあたんが・・・だったら(←ここがうまく言えないらしい)、ぼくは仮面ダー(仮面ライダーのことらしい)になるよ」
「仮面ダーになったら、お母たんはショッカーになって世界征服をして、おまえを意のままにしますよ」(←本から何も学んでいない私)
など・・・。
うちの子はだいたい、キティちゃん、仮面ダー、プリキュアの3パターンぐらいで回しているようだ。(時々、消防車の「ぱんぷくん」などのスペシャルゲストあり)
各ご家庭で、さまざまなバージョンの「マイ『ぼく にげちゃうよ』」を作ることをおすすめする。
万が一、目を覚ましたときに私がピッタリと隣にいないと大変なことになる。
「おかあたーん!!どこに行ったの!?」(1mも離れとらんわい)と、それはもう地球の終わりのような泣き叫びっぷりである。
なので、子供が寝ついた後、そうっと布団から抜け出し隣室で本を読んでいても、「ウッ」という声が聞こえたら、すぐさま盗塁王・福本豊のごとく布団の中にスライディングし、手をギュッと握る。
そうすると安心するらしく、また寝付いてくれる。・・・正直、疲れる。
いつになれば、目の前に私がいなくても安心してくれるようになるのだろう。
絶対に見捨てることはないのだから、ベッタリ密着していなくても眠ってくれるようにならないかなぁ
・・・と日々願うのであるが、ある絵本のおかげで、「まあ、いいか」と思えるようになった。
その救世主的存在ともいえる絵本とは「ぼく にげちゃうよ」である。
これは、うさぎの母子の話である。
ある日、少し成長したこうさぎは、母親にこう告げる。
「ぼく にげちゃうよ」
そして母親は答える。
「おまえがにげたら、かあさんはおいかけますよ。
だって、おまえは とってもかわいい わたしのぼうやだもの」(本文引用)
と、ここから始まるのだが、こうさぎは巧みに、山の上の岩になったり、小鳥になったり、しまいには空中ブランコ乗りになってまで母親の手からすりぬけようとする。
そしてそのたびに、母親は、登山家になったり、止まり木になったり、軽業師になったりして、こうさぎのぼうやをつかまえようとするのである。
こんな風に親子で問答を繰り返していくゲームのような語りなのだが、これを読んでいると面白くも、ちょっと怖くなる。
いつか必ず、わが子も私の腕から巣立っていくだろう。
いや、巣立ってもらわないと困るのだが、早くもさびしい気持ちになってしまう。
いつまでも手元においておきたいような、でも自分の人生を歩かせなくては、と葛藤してしまう。
こんなことで、子離れ・親離れできるのだろうか。逆に考えすぎて子供と心が離れてはもっといけないし・・・。ページをめくるうちに、不安がどんどん膨らんでいった。
しかし、そんな心配は無用だった。
ページの最後にはきちんと、それを解決してくれるようなエンディングが待っていた。
「ああ、これでいいんだ」
そこにいる2匹のうさぎの姿が、私の心を軽くしてくれた。
「親」という漢字は「木の上に立って見る」という意味だそうだが、子供が手を離れても、私の手から飛び出していっても、物理的にそばにいなくても、「あなたには帰るところがある」と、いつまでも見守っていさえすればいい。
そんなことを穏やかに静かに伝えてくれる絵本である。
「ぼく にげちゃうよ」
そう言い出すまで、布団にスライディングしつづけてあげよう。
※余談だが、この絵本はうちの子の大のお気に入り(大の10乗ぐらい)である。
どうやら、この絵本のセリフをまねて母親と問答できるのが楽しいらしく、毎晩やっている。
例:
「ぼく キティちゃんになっちゃうよ」
「おまえがキティちゃんになったら、お母さんはジュエルペットになっておまえと宝石に囲まれて仲良く暮らしますよ」
「おかあたんが・・・だったら(←ここがうまく言えないらしい)、ぼくは仮面ダー(仮面ライダーのことらしい)になるよ」
「仮面ダーになったら、お母たんはショッカーになって世界征服をして、おまえを意のままにしますよ」(←本から何も学んでいない私)
など・・・。
うちの子はだいたい、キティちゃん、仮面ダー、プリキュアの3パターンぐらいで回しているようだ。(時々、消防車の「ぱんぷくん」などのスペシャルゲストあり)
各ご家庭で、さまざまなバージョンの「マイ『ぼく にげちゃうよ』」を作ることをおすすめする。