「八日目の蝉」
「面白い小説は、登場人物がいつしか作者の手を離れて、一人歩きをしていくらしいよ」
時々そんな話を聞く。
たしかにそうなのだろう。
聞けば、国民的に人気のある漫画などとなると、登場人物が死んだ(もちろんストーリー上で)だけで、ファンの間で本当に葬儀がとりおこなわれるというではないか。
ここまでくると、もはや一人歩きを通り越して現実世界で生きていく市民権が得られているわけだが、この「八日目の蝉」に出てくる人物たちも、私にとってそれぐらいのリアリティがあった。
時々そんな話を聞く。
たしかにそうなのだろう。
聞けば、国民的に人気のある漫画などとなると、登場人物が死んだ(もちろんストーリー上で)だけで、ファンの間で本当に葬儀がとりおこなわれるというではないか。
ここまでくると、もはや一人歩きを通り越して現実世界で生きていく市民権が得られているわけだが、この「八日目の蝉」に出てくる人物たちも、私にとってそれぐらいのリアリティがあった。
一人ひとりが、この世で生きている息遣い、地面を踏みしめる足音が聞こえてくるようであった。
ゆえに、この小説が映画化されると聞き「なるほどな」と大きくうなずいた、と同時に胸が高鳴った。
なぜなら、物語に出てくる彼らの息遣いや足音を、実際に聞くことができるのだから。
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映画で永作博美さん演じる野々宮希和子は、ある日、不倫相手の家から、生まれたばかりの赤ん坊を連れ出してしまう。
自分の子ではない。
不倫相手と正妻との間に生まれた子供である。
当然、それですむはずはなく、希和子は赤ん坊を抱いたままひたすら逃げる。それはもう、ただひたすらに。
その間、希和子は赤ん坊を愛情こめて育て、赤ん坊はそれに応えるように、希和子を本当の母親と信じきったまま成長する。
しかしそれは所詮、あまりに細く、そして一向に先の見えない綱渡りの日々。
幸せだった擬似親子の生活は、確実に破綻へと向かっているのであった・・・。
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これだけ書くと、単なる逃亡劇で、ハラハラドキドキ感を味わえるアクションもののようであるが、それだけではない。
私はこの小説を、ハラハラドキドキの「楽」だけでなく、「喜怒哀」も含めた感情を全て総動員して味わうことができた。
それはやはり、登場人物一人ひとりが本から飛び出して現実世界で生活できるぐらい、キャラクター設定がしっかりしているからであろう。
とくに「赤ん坊を盗まれた夫婦」2人の描写がいい。
事件の発端は、そもそも正妻が赤ん坊をひとり部屋に置いて外出することが、日常化していたことである。
そして多くの読者(特に女性)は、希和子以前に正妻に対して、怒りと違和感を感じるであろう。
しかし作者・角田光代氏はストーリー全般を通して、正妻を「そういうことをしそうな」人物として小出しにディテールを描いており、そうすることで、この架空の事件を「今すぐに起こりそうな事件」にまで昇華させている。
よって、存分の臨場感を持って、読者はストーリーにズブズブと入り込むことができるのだ。
そして、いわばこの物語の元凶ともいえる夫。
狡猾で、逃げ口上だけは達者な夫。
これがなんとも、見ているほうが(読んでいるほうが?)恥ずかしくなるような人物で腹が立って仕方がない。
しかしこれも、角田マジックにかかっているせいだろう。
とにかくこの「八日目の蝉」、キャラクター設定にふらつきがなく磐石な点が魅力である。
ひとくせもふたくせもある登場人物たちが、薄い紙のページから飛び出してどのように動き出すか。
それを確かめるためにも、映画館に足を運びたいと熱く思う今日この頃である。
(※蛇足ながら、映画のキャストに田中哲司さんの名があったが、やはり元凶夫の役なのであろうか。
田中さんは、保身第一のコズルイ役をやらせたら日本一だと思う。
田中さんが演じる役に、今までどれほど憤慨してきたことか・・・まあ、すごくうまい役者さんということであろう)