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最悪の将軍  朝井まかて

評価:★★★★☆

  武士に「殺すな」と命じながら、法を犯す者の命は奪わねばならない。慈愛を説きながら無頼の輩を斬罪に処し、病の馬を捨てた百姓を流罪としている。
 綱吉は、矛と盾のごとき乖離に気づいていた。

(本文引用)
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 こういう小説を読むと、「歴史というものは、様々な角度から見なければならないなぁ」と思う。

 徳川綱吉といえば、「生類憐みの令」「犬公方」という言葉を連想する人が多いだろう。綱吉を描いたイラスト等を見ると、たいてい「犬を左右に侍らせた、人間に興味のないふわふわした人物」のように描かれている。徳川15代将軍のなかで、特に有名で、特に暗愚なイメージを持たれてしまっているようだ。多分にもれず、私も徳川綱吉に対しては、ちょっとネガティブなイメージを持っていた。

 しかし、本書を読みガラリと変わった。
 まだまだ「武」の風潮が色濃く残る日本で、どうすれば「文」の力を強めることができるか。どうすれば、無駄に血を流すことなく世の中を治めることができるか。
 これは、人間をはじめあらゆる生き物を愛したある将軍の、もうひとつの物語である。



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 徳川幕府第四代将軍、家綱は、病に臥せって2年になる。
 家綱は子どもがいないため、後継ぎを誰にするかが問題となる。様々な案が出るなか、結局、最も血の近い弟・綱吉が継ぐこととなる。
 いわば傍流である自分が、次の将軍となる――異例の出来事に綱吉は戸惑いながらも、兄の遺志を継ぐべく世を治めんと決意する。
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 以前、山本博文氏の「歴史をつかむ技法」で、歴史小説の読み方を学んだ。

 歴史小説とはあくまでエンタテインメント。それを鵜呑みにして、簡単に、誰かを悪者にしたりヒーローにしたりしてはいけない――そんな「創作物としての歴史」との付き合い方を知り、以来、私の中では「事実」と「小説」との間でピシッと線引きをするようにしている。

 しかし、否、だからこそ、この「最悪の将軍」は面白く読めた。この小説は創作物であるにも関わらず、逆に「歴史を冷静に見つめること」を教えてくれる。
 
 一面的、表面的にしか徳川綱吉を知らないと、まるで人間よりも犬が大事。犬のためなら人間を斬っても良いというような捉え方をしてしまう。
 しかし、本書を読むと、それがガラリと変わってくる。
戦国の世から、できるだけ人々が血を流さずにいられる時代へと移ろうとする江戸時代。「武」から「文」へという思いを引き継ぎつづける徳川幕府。そのなかで出された「生類憐みの令」に託された思いには、思わず膝を打つ。

 なかなか改まらない武士の態度や、赤穂浪士討ち入り等に頭を悩ませながらも、必死の思いで文治政治を貫こうとした徳川綱吉。
 確かに本書は、あくまで歴史小説でありエンタテインメントだ。しかし、史実を冷静かつ多面的にとらえるということに、大きく寄与する良書だと思う。

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落陽  朝井まかて

評価:★★★★★

 「ただ、かくなる上は、己が為すべきことを全うするだけです。明治を生きた人間として」
(本文引用)
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 今年の重大ニュースのひとつとして、「天皇陛下生前退位のご意向」が挙げられるだろう。

 私は日頃、格別に「天皇陛下」の存在について意識はしていないが、この報を聞き、改めて(いや、初めて)「日本人にとって天皇陛下とは何か」について考えた。
 その勢いで、夏休みに実家に帰省した際に、多摩御陵(現在は武蔵陵墓地と呼ぶらしい)にも行ってしまった(私の実家は八王子なので、自転車で行けるぐらい近いのだ)。

 さて、そこでこの「落陽」である。
 本書は、報じられている限りは「明治神宮創建にまつわる物語」とされているが、主題は別のところにあると思う。



 それはずばり、「日本人にとって天皇陛下とはどんな存在か」である。
 さらに言えば、「天皇陛下御自身は、日本人にとって自分をどのような存在であると捉え、どのようでありたいとお考えになっているか」も大きなテーマであろう。

 明治天皇崩御後、東京に明治天皇を奉る神宮を造営しようと尽力した者たち。
 その情熱に突き動かされ、それを記事にしようと奔走する記者たち。
 「自分がいま、為すべきこと」に目覚めた人間たちは、その思いを全うすることができるのか。
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 時は明治の終わり。
 華族の醜聞ばかりを載せる三流新聞社に勤める記者・瀬尾は、ある特ダネをつかむ。
 それは、明治天皇の容体がいよいよ危ないということだ。

 瀬尾は、それを他の新聞社に先んじて報じようとするが、国から官報が出るということで、それを引っ込める。
 
 そして時代は大正へと移るが、瀬尾はある情報を入手する。
 陵墓を東京に作りたいという声があったが、それはさすがに叶わない。やはり陵墓は京都にとの仰せだ。
 ならばせめて、東京に先帝の御霊を祀る神社を造営できないか――そんな運動を起こしている者たちがいるというのだ。

 スキャンダルばかりを追っていた瀬尾だったが、なぜかこの動きに興味を惹かれ、有識者たちへの取材を重ねていく。
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 本書を読むと、とにかくまず明治神宮に行きたくなる。
 なぜならこの物語、ちょっと意外なほど「理系」なのである。

 神宮に植える木はどのようなものがふさわしいか。針葉樹にすべきか常緑広葉樹にすべきか、杉を植えたいがどのような問題があるか等々、かなり自然科学的色彩が強い。なので、これを読むと、普通に自然観察として明治神宮を眺めまわしたくなる。

 ただ、思想や熱意だけを描くのではなく、林学について非常に緻密に書かれているので、それを読むだけでも十分面白い。
武蔵陵墓地も、本書を読んでから行けば何倍も楽しめたことだろう。

 そして、新聞記者・瀬尾たちの心の動きもグッとくる。
 世の中を睨めつけるようなところがある瀬尾や、「地味な記事だと広告がとれない」と神宮造営の記事に反対する社主・武藤が、徐々に神宮造営計画に魅了されていくプロセスは、心が浄化される。

 そして何といっても、本書で印象的なのは、「天皇陛下」という存在に対する問題提起だ。
 明治の人々が持つ、天皇陛下への思い。そして、明治の人々に対する天皇陛下の思い。
 本書を読む限り、これは決して昔の話ではない。生前退位の意向を述べられた今上天皇と、昭和から平成の人間のメンタリティとそっくり重なるのである。

 むろん、本書はフィクションなので、そのまま事実として受け止めるわけにはいかない。
 あくまでエンタテインメントとして読み取るべきだろう。
 しかし、「天皇陛下と国民」について考える機会を大いに与えられた今年、本書が出版された意義は大きい。読んで決して損はない。

 今度のお正月には、明治神宮に初詣に行こう。
 そしてじっくりと、この土地に建てられた意義、これらの木々が植えられた理由、完成を見ることができないとわかっていながら尽力した人々の情熱に目を凝らし、耳を澄ませてこようと思う。

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眩(くらら)  朝井まかて

評価:★★★★★

「たとえ三流の玄人でも、一流の素人に勝る。なぜだかわかるか。こうして恥をしのぶからだ。己が満足できねぇもんでも、歯ぁ喰いしばって世間の目に晒す。やっちまったもんをつべこべ悔いる暇があったら、次の仕事にとっとと掛かりやがれ」
(本文引用)
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 日本経済新聞「目利きが選ぶ3冊」(2016/04/07)で、満点の五つ星を獲得していたので即購入。結果、五つ星も大いに納得できる小説だった。久しぶりに、小説を読みながら胸がキューーーーーーーン・・・・・・とした。

 これほどまでに真っ直ぐに、潔く、スマートに、そして不器用に生きた女性がいたのかと、読みながら泣き腫らしてしまった。これはぜひ、NHKの朝ドラにしてほしい。
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 主人公のお栄は、葛飾北斎を父にもつ女性絵師だ。
 幼い頃から絵筆をとっていたお栄は、その画業に対するあり余る情熱が災いし、嫁いでも離縁となってしまう。

 その後もお栄は、父親の七光りや、幼なじみへの恋、甥っ子の不祥事等に悩まされるが、徐々に本当の“自分の絵”というものを見出していく。



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御松茸騒動 朝井まかて

 「そもそも、人が草木の振舞いを真似とるんだろう。やけに威張ってるけど、この世から草木が無うなったら一日たりとも生きてはいけぬのは人でしょう」(本文引用)
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 とりあえず、一言申し上げたい。

 「ドラマ化希望」。

 主人公は松坂桃李さん、稲は堀内敬子さん、三べえは笹野高史さんと田山涼成さんと・・・と、と、先走ってはいけない。
 先走ってはいけないと思いつつも、あまりにも面白いため、ついつい頭の中で鮮明に映像化して読んでしまった。ああ、これがドラマか映画になったら、どんなに楽しいだろう。そんな地位も権限も何もない自分が、もどかしくて仕方がない。

 飛んだとばっちりで、急きょ松茸2000本を上納する責務を負った若侍の奮闘記「御松茸騒動」
 タイトルから想像できるように、軽妙洒脱でコミカルな筆致だが、どこか「人としてのありかた」がキラリと光る非常に爽やかな一冊だ。

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恋歌 朝井まかて

 怒りも己を支え、命をつなぐ水脈になり得るのだということを、私は生まれて初めて知った。
(本文引用)
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 凄みのある小説だ。いや、凄みではない。凄い小説だ。のめりこみすぎて、私は何度も嘔吐しそうになってしまった(汚くてすみません)。それは、人間という生き物が生み出すあまりの醜さと、あまりの愛の深さ故である。
 これほどの悲劇があっていいのか。これほどの蹂躙があっていいのか。そして、これほどの優しさがあっていいのか。
 幕末に水戸で起きた、天狗党の乱。第150回直木賞受賞作「恋歌」は、その争乱で無残にも引き離された家族たちの物語である。
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 主人公の中島歌子は、歌塾「萩の舎」の主宰者であった。萩の舎は、樋口一葉などが学んだ名門塾である。
 ある日、かつて門下生だった花圃のもとに、歌子が入院したとの報せがはいる。花圃は歌子を見舞い、その後自宅を訪ねる。
 と、そこに、歌子による大量の書が見つかる。見ればそれは、歌子が歩んできた壮絶な半生記であった。


 大店・池田屋の娘に生まれた登世(後の歌子)は、一目惚れした志士・林忠左衛門以徳との恋を実らせ結婚する。しかし、時はおりしも尊王攘夷派と佐幕派とに分かれ、紛糾する時代。水戸藩では、さらに尊王派のなかでも物別れが生じ、天狗党と諸生党とが醜い争いを続けていた。
 そしてついに、歌子の夫が属する天狗党が筑波山で挙兵。その結果、天狗党は諸生党の謀略により賊徒、ついには朝敵とされ、その家族まで根絶やしの刑を受ける。
 夫と引き離され、投獄、斬首される妻子たち。そんな極限の恐怖をくぐり抜けた登世が、決意したこととは-。
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 本書は、タイトルどおり短歌が物語の要となっている。
 登世と以徳の出合いのきっかけとなった歌「瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」等百人一首の歌、そして登世や以徳ら登場人物たちの手による歌たちも数多く登場し、それらが彼らの心情を慎み深く代弁している。

 なかでも、文字にこめられた想いが受け手によって変わってくる場面などは、歌ならでは。
 たとえば、尊王の志を貫かんと命を燃やした藤田小四郎の歌は、ある者には帝への忠誠心を指していると取れるが、より小四郎に近しい者にとっては、愛する女性への歌と取れる。
 たとえば、いくら憎んでも憎みきれない敵と思っていた人物が、歌を通して同じ思いでいることがわかる。
 無駄を削いだ三十一文字から、血にまみれ、刑場の露と消えた者たちの心情が浮き彫りとなる場面の数々には、都度「ハッ」とさせられ、涙が滂沱のごとく流れた。

 また、本書には、歌の思わぬ効用まで描かれている。
 牢獄の中で、日々処刑を待つ登世たちは、幼い子供たちを集めてカルタ遊びを始める。どんなに小さな子供でも、容赦なく首が斬り落とされる毎日。登世ら大人の女性たちは、途轍もない恐怖のなか、少しでも子供達の不安を和らげようと百人一首を詠みあげるのだ。

「よろしいですか、では始めますよ。・・・・・・天つ風雲のかよひ路吹きとぢよ」
すると紅組の子が手を挙げた。利発そうな目をした十二、三の女の子だ。
「をとめの姿しばしとどめむ」
「御名答、紅組に一点入りましたよ」
紅組の子らは嬉しそうに顔を見合わせ、手を叩く。

 しかし、そんなつかの間の小さな幸せすらも、牢番は奪おうと罵詈雑言を浴びせる。その瞬間に一気に際立つのは、人間の恐ろしいまでの二面性だ。

 愛する人への思いを、自然の風や雲に重ねていく優美さをもつ人間。
 しかし時として、罪のない人間の首をためらいなく斬り落とすこともできる人間。

 獄中で詠まれる百人一首での一幕は、そんな人間の姿をくっきりと描き出しているように思える。

 そしてラストでは、登世自身がもつ、隠された思いが明かされる。激しく憎んでいたはずのあの人物を、登世は-。

 朝井まかて「恋歌」は、恋い慕う男性への歌だけではない。人間という存在そのものを、このうえなく恋い慕った歌、人間への賛歌なのである。

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プロフィール

アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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