評価:★★★★★
もしこれが聖夜の奇跡であるのなら、禁忌を踏み越えて彼女に語りかける勇気を与えてほしい。僕は初めて神に祈った。(本文引用)
______________________________
まさかクリスマスが舞台の小説とは思わず、手に取ったのですが・・・これ、ディケンズの「クリスマス・キャロル」級のクリスマス・アンセムになりそうです!
神様に幸せを祈り、人々の幸福を祝い、1年を振り返り、自分の人生を振り返る・・・。
「おもかげ」には、そんな「クリスマスに思うこと」全てが詰め込まれています。
定年退職の送別会の帰路、電車で倒れた一人の男性は、それまでの人生に何を見るのか。
男性の快復を願う人々もまた、彼の人生を通して何を見るのか。
ページをめくるごとに・・・読み終えたページを支える右手が重くなるごとに、彼らのの人生の重みが伝わってくる気がして・・・ラストは涙で文字が読めませんでした。
だから「おもかげ」は、最高のクリスマス小説。
設定がクリスマスというだけでなく、世界中の人々の幸せを願いたくなる至高のファンタジーです。
_____________________________________
■「おもかげ」あらすじ
竹脇正一は、国立大学から一流商社に入り、関連会社の役員を務めたエリート。
定年まで勤めあげますが、その送別会の帰りに電車の中で倒れます。
意識を失ったまま病院に運ばれ、ほぼ「死は確実」といった状況。
そこに妻、義理の息子、幼なじみ等が現れます。
彼らが語りかけるうち、正一の複雑な境遇が徐々に明らかになり・・・?
__________________________________
■「おもかげ」感想
「おもかげ」は非常にファンタジックな人間ドラマですが、ややミステリーの要素もあります。
いったい「竹脇正一」とはどんな人間なのか。
外見はスマートでハンサム、一流大学を出て一流商社に勤め、今は関連会社とはいえ役員に収まっている。
非の打ちどころのないエリート人生と言えます。
でも正一には、最初から何か影がつきまといます。
たとえば正一の娘の夫、タケシとの会話。
正一の娘・茜は百貨店の総合職として働くキャリアウーマンでしたが、何のはずみか元不良少年タケシと家庭をもうけることになります。
タケシは茜と結婚するなど分不相応と感じ、結婚の挨拶で正一にこう言います。
――俺、何もねえんだけど。
それに対し、正一はこう返します。
――当たり前だ。生まれてくるとき、何か持っていたか。
それでもタケシはなおも、こう言います。
――けど、途中でいろいろ手に入れる。
正一はこう返します。
――死ぬときは何も持っていけない。
これだけ聞くと、「正一は誰に対しても公平な好人物」という印象があり、微笑ましく思えます。
しかし読むうちに、この正一の言葉は他の様相を帯びてきます。
竹脇正一は、最初から人生というものに期待していないのではないか――そんな哀切が押し寄せてくるのです。
その哀切は次第に謎に変わり、読む進めるにつれて「竹脇正一」という人間の全貌が見えてきます。
ああ、そういうことだったのか、と。
「生まれてくるとき、何か持っていたか」という言葉には、そんな思いが込められていたのか、と。
竹脇正一をめぐる人間たちの愛が、竹脇正一という人間の輪郭をくっきりと映し出す――そんなミステリー性が、「おもかげ」の大きな魅力!
「竹脇正一という男に隠された謎」が、ただの「お涙頂戴」にせず、読者をつかんで離さない魔力となっています。
だからこそ、「おもかげ」は最高のクリスマス・アンセムと言えます。
正一に「帰ってきて」と願いつづける人、そして眠りつづける正一の夢に現れる人々は、さながら「クリスマス・キャロル」の精霊たち。
時に正一に後悔を与え、喜びを与え、その結果雲一つないまっさらな気持ちにして、聖夜へと誘います。
どんな形で聖夜に向かうのかは、これまた非常に謎めいていますが、そこがすなわち「浅田イズム」。
謎を残すことで、読み手は自分を竹脇正一と重ね合わせ、「自分は今までどう生きてきたか」「それを踏まえて、自分はこれからどう生きるか」をじっくり考えることができるんです。
そして自分の人生を考えると、不思議と自分の人生を支えてくれた人々に感謝の気持ちが産まれてきます。
誰かの愛を感じることは、誰かに対する愛も感じること。
頑なだったスクルージの心がほぐれるように、「おもかげ」を読んでいると心が柔らかくなってきます。
もう今年のクリスマスは終わってしまいましたが、季節を問わずぜひ手に取ってほしい一冊。
一年の締めくくりに読むのも、おすすめですよ。
詳細情報・ご購入はこちら↓
