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銃口  三浦綾子 

評価:★★★★★

「先生はこの教壇からみんなを見ていて、一人々々が本当に尊い命を持っているのだと思う。みんなとおんなじ人間は、地球始まって以来、地球がなくなるまで、二度と生まれてこないんだ」
(本文引用)
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 これは何度も読みたくなる、読まなければならない、と感じる本がある。人はそれを愛読書というのであろうが、私にとって本書はまさに「愛読書」。
 ページを開くごとに、自分の中に人間の血がトクトクと温かく注ぎ込まれ、自分の人生も他人の人生も同様に愛し、大切にして生きていかねばと身が引き締まる。

 何があっても、誰が何と言おうと「自分」という存在はこの世に一人しかおらず、それは他人も同様である。だから決して、自分の考えを押しつぶしても、他人の考えを押しつぶしてもいけないのだ。

 しかし、かつてそれが国によって押しつぶされた時代があった。戦争の足音が忍び寄るなか、思想が国によって統一され、「自分の考えを持ち言葉にする」ことが禁じられ、罪のない者が独房に拘束される。

 そんな時、人はどう生きるべきか。言論が統制され、銃弾が頭上を駆け抜ける時、人はどこまで「自分」も「他人」も守ることができるか。自分の利益ばかり考える人間になり下がらずに生きることができるか。
 本書は、そんな「人間らしく生きること」の限界に極限まで迫った小説である。
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 舞台は昭和初期の北海道。小学4年生の北森竜太は、裕福は質屋の息子として何不自由なく暮らす。





 ある日、竜太のクラスに坂部久哉という教師がやってくる。坂部は子どもたち1人ひとりを心から可愛がり慈しむ。そんな坂部を見て、竜太は教師を志すようになる。
 そして同時に、竜太は芳子という女子生徒に心惹かれるようになる。
 時を経て、竜太は晴れて小学校教師になり、坂部のような教師になろうと日々子どもたちと真正面から向き合う。
 そして、同じく小学校教師となった芳子との愛も着実に育み、幸せな日々を送る。

 が、突然その日々が幕を閉じる。戦禍が迫るなか、竜太は治安維持法違反の容疑で独房に入れられるのであった。
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 この小説を読んでいると、戦争とは「2つの殺人」を犯すものであるとわかる。

 1つは“肉体の殺人”、そしてもう1つは“魂の殺人”だ。

 国民一丸となって天皇陛下のために死なねばならない・・・そんな時代のなかでは、自分の考えを持つこと、ましてや発表することは非常に難しい。時には、命を失う覚悟すら要る。
 本書には、竜太や坂部の勾留等を通して、思想・言論統制の異常性や危険性がじっくりと描き込まれている。

 そして思う。

 1人ひとり違う人間の考えを厳しく統制することは、1人ひとりの人間の価値を無にしてしまうことなのだと。そしてそれは、私たちがこの世に生まれてきた意味や、この世にいる意味すら全て否定してしまうことなのだと。
戦争は、そんな非道を国をあげて許してしまうものなのだ。

 それだけに、勇気をもって自分の考えを貫く者たちの行動が胸に沁みる。

 タコ部屋から逃げてきた労働者を匿い、家族のように接する北森家の人々。
 子どもたち1人ひとりの個性を尊重する教師。
 決して威張らず、部下に親切に接する上官。
 そして、命をかけて恩返しをしようとした、ある男・・・。

 思想と言論を統制され、魂を殺される時代。それは逆に、国の思想に乗っかってさえいれば、楽に得をできると考えることもできる。
 しかし、この小説に出てくる人たちは、そんな人生の手抜きをしなかった。自分をあきらめなかった。そして、他人の人生をもあきらめなかった。
 これほど崇高な心が、この世にあるだろうか? 私は、そんな彼らの一挙手一投足に、滂沱の涙を流した。

 タイトルの「銃口」とは、人の肉体だけでなく思想をも粉砕せんと向けられたものだろう。
 その銃口が頭にピタリとつけられても、人間は、この世にたった1人しかいない「自分」を生きることができるか。自分と同様に「他人」を愛し敬うことができるか。

 本書は、そんな究極の課題を読者に突き付けている。
 だから、私はこの本を何度も読む。だってなかなかそんなこと、できないから。でもこの本がそばにあれば、少しはできるような気がする。人間らしく生きられるような気がする。

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「泥流地帯」・「続泥流地帯」

「●●さんに怒られるよ!」

・・・私は、この言葉が嫌いである。

「お天道様が見てなさるよ」なら良いのだが、
「●●さん(例:お父さん、先生、お巡りさん)に怒られるよ!」
という叱り方は、どうも納得がいかない。

ならば、お父さんが、先生が、お巡りさんが見ていなければ、何をしてもいいのか?ということになる。
(というわけで、お天道様ならば逃れられないので、私としては「良し」としたい)

・・・といいつつ、私にも3歳の子供がおり、本当に本当にホントーーーーー!!ッに言うことを聞かないので、「●●さんに叱られるよ」といいたくもなるのだが。
(なにぶん、「なぜいけないか」という理由をしつこくしつこく話しても、子供はなかなか理解できないのでね・・。)

しかしこのたび、その私の信念を、改めて固めてくれた本に出会った。

「泥流地帯」「続泥流地帯」(三浦綾子著)である。

なぜこの本を手に取ったかというと、先月の東日本大震災で、この本を思い出したという話を聞いたからである。

このたびの震災は、倒壊や火災ももちろんだが、津波が・・・津波が実に多くのものを奪い去ってしまった。
震災当日、仕事をもつ私は帰宅困難者となり、家に帰ってきたのが深夜になってしまったが、
せいぜいその程度で、震災で家族や愛する人、仕事、学校・・・諸々のものを失った人の辛さには、到底およばない。

「泥流地帯」は、大正15年の十勝岳大噴火により集落をすべて流された兄弟が、復興を誓い、再び村に美田よみがえらせるべく歩んでいく苦難の物語である。

この本を読めば、傲慢といわれるかもしれないが、少しでも、ほんの少しでも、震災に遭った方々の気持ちを理解できるのではないかと思ったのだ。


貧しい小作農家に生まれた拓一と耕作は、電灯もなく、白米もほとんど食べられない生活の中、労働や勉学に励む。
その2人を囲む家族、貧しさゆえ遊郭に売られてしまう幼馴染の福子、強欲で人非人の父親をもちながらも真摯に人生を生きようとする節子、子供たちを見守る先生や村長。
誰もが彼らなりに一生懸命に生きていた。

しかしある日、十勝岳の大噴火により、すべてが変わってしまった。
祖父母が死んだ、妹が死んだ、幼い教え子が死んだ、妻が、生まれたばかりの子供が・・・
一瞬にして泥流に流されて逝ってしまった。

その後、必ずこの地に再び稲を根づかせてみせる、という復興派と、
もし失敗したら農家の負債が膨らむばかり、という復興反対派とで対立する。

そのような不安定な空気の中、拓一、耕作、福子、節子らの間に以前から芽生えていた純真な恋心は、
いつしか愛へと変わり、絆は強固なものとなっていく。


そして前に向かって進みゆく彼らはいう。

「どんな泥流にも、真実だけは流すことができない」と。


この物語を読み進めていると、あることに気づく。
誰も、誰かにほめられようとか、叱られたくない、という気持ちで動いていないのだ。

物語のはじめの辺りで、耕作の友達・権太がいう。

あんなぁ耕ちゃん。父ちゃんが言ってるよ。叱られても、叱られなくても、やらなきゃあならんことはやるもんだって(本文引用)


彼らが強いのは、叱られらたくないから働いているわけではないからだ。
勉強しているわけではないからだ。
行動しているわけではないからだ。

だから、誰に怯えるわけでもなく、背筋を伸ばして生きている。

(その証拠に、暴漢を雇って耕作を襲わせようとした卑劣な人物は、「警察にだけは訴えないでくれ」とヘコヘコ頭を下げている)

この本を読んで、改めて
「●●さんに怒られるよ!」という叱り方はすまい、と心に誓った次第である。
(※なお、「お母さんに怒られると怖い!」という威厳は保っておこうと思う)







プロフィール

アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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