世の人の怒りに耐へて病みつつも 事の収拾に身をつくしけむ(あとがき「取材記・筆を執るまで」引用)
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人生とは選択の連続であり、人は大なり小なりあらゆる選択をしながら生きている。そしてできれば、その選択が正しいものであってほしいと願う。
なかには「結果がどうであろうと、自分のした選択に後悔はしない」、あるいは「一度何かを選んだのならば、その選択を最高のものとすべく努力する」という人もいるであろう。
私も、日々そう誓いながら生きている。それで良いと思っていた。
しかし、この小説を読み、自分の認識の甘さを猛省した。
その信念を持ちつづけることは、生半可な難しさではない。
時に人生そのもの、いや生命を賭すほどの覚悟が必要とされる。そのことに、痛いほど気づかされたからである。
今まで、これほどまでの苦渋の選択を迫られたことがあるか?
そしてその選択を認めることも後悔することも許されないという、地獄の辛苦を味わったことがあるか?
さらにその辛苦を一身に背負う覚悟で、幾日もの時を過ごしたことがあるか?
-教師、児童ら合わせて死者11名を出した伊那駒ケ岳遭難事故。
その悲劇のなかで、悲劇の後で、命がけの選択と覚悟をする者たちがいた。
本書は、そんな人間たちの限界に迫ったノンフィクション小説である。
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大正2年8月、長野県にある中箕輪尋常高等小学校で、駒ケ岳登山が行われた。
そこに至るまで、教員たちの間では、ある争いが起きていた。
赤羽校長をはじめとする明治以来の実践主義教育、そして若手教師を中心とした白樺派理想主義教育。
学校内では次第に、子供の個性を尊重する白樺派が台頭してくるが、そんななかで実践主義教育の象徴・駒ケ岳登山は決行される。
過去に成功してはいるものの、これが失敗すれば教員としての道は絶たれるであろうことを覚悟し、赤羽校長は青年団と子供達を率いて山に登る。
しかしそれは、想像を絶する苦しみへの第一歩であった-。
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この小説は、まず著者の一つの疑問から始まる。
事故が起きた稜線上に立つ碑は、なぜ殉難碑でも慰霊碑でもなく「遭難記念碑」なのか。
それをスタート地点として、この大惨事の全貌を解き明かしていくのだが、読んでいくうちに、その「記念」という字に込められた人々の選択と覚悟に、打ちのめされる思いだった。
なぜ赤羽校長は山に登ったのか。
予想もしなかった暴風雨、動揺する青年団、飛ばされるゴザ・・・限界の状況の中、子供達を守るために、どれだけの選択と賭けをしたのか。
そして死にゆく者を次々と目の当たりにし、赤羽は自分の選択をどう思ったのか。後悔したのか、しなかったのか。
そして、己の人生をどう振り返ったのか-。
また、命がけの選択と覚悟をした者は赤羽だけではない。
死の淵で戦いながら兄弟を励ます少年、子を亡くした親たち、怒号のなか状況を真摯に説明する教師や青年たち、そして事故を受けて非難の矢面に立たされる赤羽の妻・・・。
なかでも、赤羽と対立しながらも自分の考えに固執せず、赤羽の気持ちを無駄にすまいと記念碑建立に腐心する教師・有賀喜一の姿には、ただただ涙した。そしてそれに応え、安全な登山に向けて動き出した大人たちの心意気にも。
「自分の選択を後悔しない」、「自分の選択を最高のものとする」。それも確かに大事であろう。
しかし誰も、常に正しい選択などできはしない。それでも決して後悔しないと言うのならば、それはただの現実逃避だ。また「選択を最高のものとする」努力も、ともすれば免罪符を得ようと抗う自己満足になりかねない。
この事故の当事者の多くは、おそらく自分の選択を一生悔いながら生きたのではあるまいか。
己の選択を認めることも悔やむことも憚られながら、大きな十字架を背負って生きたのではあるまいか。
還らぬ命や冷たい世間の重圧に、死にたくなったこともあったのではあるまいか。
それでも彼らは、生き続けるという選択をした。己の選択に弁解をすることもなく、生きた。
その心が「慰霊碑」ではなく、スタートや通過点を表す「記念碑」という言葉となったのではないだろうか。
これからも、数え切れないほど選択と後悔を繰り返すであろう。
その度に、私はこの本を思い出し、自分の心の峰に記念碑を立てよう。
過ちも全て背負い、投げ出すことなく人生を歩き続けるためにも。