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窪美澄「やめるときも、すこやかなるときも」感想。2020年ドラマ化!録画してでも観たい号泣恋愛小説。

 「・・・・・・あの人だけを休ませる椅子を作りたかった。あの人がそこに座って、少し休んで、また立ち上がるための」
(本文引用)
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 2020年1月にドラマ化。
 恋愛ドラマで、近年稀に見るヒットになるんじゃないかなぁ。

 えっ?深夜に放送するの?
 もったいない・・・月9でやれば「月9の威信」を取り返せるかもしれないのに。

 ドラマ「やめるときも、すこやかなるときも」
 原作通りに描かれていれば、きっと「おっさんずラブ」に続く「深夜の大ヒットドラマ」になります。(キッパリ)

 だってもう読むだけで胸がギューンッッッ!
 映像で観たら、心臓が押しつぶされて爆発するかも・・・。
 


 窪美澄が放つ、「超」が何個つくかわからない純愛小説。
 原作を読んでからドラマを観れば、感動倍増ですよ。
 (ドラマを観てからでもいいけど)
 

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直木賞候補「トリニティ」。「働くママ」が読んだらきっと、涙で文字が見えなくなる。

評価:★★★★★

 あの日、女にとって、父、子、聖霊の三つはなんだろうと思った。男、結婚、仕事。仕事、結婚、子どもだろうか。そのすべてを手に入れたいと若い日、妙子は思った。
(本文引用)
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 「トリニティ」が直木賞候補と聞いた瞬間、「そうでしょう、そうでしょう!」と大納得。

 ここ数年読んだ小説のなかで、最も「終わってほしくない」「いつまでも読んでいたい」と思った本。
 心に美しく重く響くショパンのピアノ曲のような・・・読んだ後、「・・・パンッ!パンパンパンパンパン!!」とゆっくりと、そしてずっと拍手をしたくなる素晴らしい本だった。

 実は「トリニティ」を読んでいる間に、超ベストセラー作家・I氏の新刊が届いた。
 
 I氏の大ファンの私。
 いつもI氏の本が届いたら、読んでいる本をほっぽり出してI氏の本を貪り読む。


 ところが今回だけは違った。
 「トリニティ」だけは、どうしてもほっぽり出すことができなかった。

 I氏の本はちょっと脇に。
 
 「とにかく今、私は「トリニティ」を読んでいたい。『トリニティ』を読み終えないことには、前に進めないのだよ!」と心の中で叫んだ。
 (I氏の本は次に読みます!レビューを近々書きます。)

 女性の生き方が今、大きな山を動かすように変化しつつある今。
 かつて時代を牽引した女たちがいた。

 理解ある夫、孫育てをしてくれる母、その影にひそむ母親としての苦悩。

 夫婦がともに働くとはどういうことか。
 男も女も関係なく働くとは、どんな功があり、どんな労を伴うものか。

 女性・・・特に「働くママ」は、涙なしで読めない一冊だ。
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■「トリニティ」あらすじ



 鈴子は72歳。
 結婚以来専業主婦だが、2人の友人は時代の寵児。

 1人はイラストレーター・早川朔。
 人気雑誌の表紙を長く担当。
 彼女のイラストを見ない日はないほどの売れっ子だった。

 もう1人はライター・エッセイストの登紀子。
 かつて「彼女がいないと雑誌が作れない」と言われた巨匠。
 私生活を書いたエッセイも売れに売れた。

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 ある日、鈴子は朔の訃報を知る。
 葬儀に駆けつける際、孫の奈帆も連れて行くことに。

 実は奈帆は就職先でうつ病に。
 自殺を心配した鈴子は、奈帆から目を離せないため、奈帆を葬儀に同行させる。

 そこで奈帆は、登紀子に「あなたの話を聞きたい」と懇願。
 出版社の就職に失敗した奈帆は、かつて活躍したライター・登紀子にどうしても話を聞きたかったのだ。

 かくして鈴子と奈帆は、登紀子のマンションに通うことに。
 いよいよ鈴子・登紀子・朔、3人の物語が語られる。
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■「トリニティ」感想



 ネタバレになるかもしれないが、ここでいきなり「私が最も感動したセリフ」を挙げておく。

「母は十分に僕にとって立派な親でした」


 このセリフを誰が言ったのかは伏せておく。
 しかしこのセリフは、本書のひとつの「答え」になっている。

 どんなに時代にもてはやされても、どんなに才能や富に恵まれても、女性は苦しみから抜け出せない。

 その苦しみとは、「家庭を重んじねばならない」というしがらみ。

 特に子どもは、さすがに女性にしか生むことができない。
 母乳をあげるのも、やはり女性にしかできない。
 周囲の理解・協力があっても、「自分が育てなければ母親失格」という思いに、女性は常に苦しんでいる。

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 また逆に家事・育児に従事していれば、今度は「社会性がない」「経済力がない」と糾弾。

 女性はいったいどうすれば、何をすれば、世間は許してくれるのか。
 どうやって生きて行けば、自分も家族も幸せになるのか。
 女性はその苦悩から抜け出せない。

 「トリニティ」は、そんな女性の苦しみを何十年というスパンで、実にきめ細かく描いていく。

 どんなに売れても、どんなにお金が入っても、どんなに周囲の理解があっても、心のすき間を埋められない。

 どうやったって埋められない「女性ならではの寂しさ・虚しさ」を、これほどきめ細やかに描いた本が今まであったろうか。

 私は読みながら何度も嗚咽した。

 だからこそ、先述の言葉が効いた。

「母は十分に僕にとって立派な親でした」


 今、母として、女性として、一人の人間として生き方に悩んでいる方。

 「トリニティ」を読めばきっと、自分の人生を、自分が主役となって踏み出せるだろう。
 悩みが深刻になる前に、一食二食抜いてでも、本書を読むのがおすすめだ。

 ちなみに本書は「参考文献」を読むのが、また一興。

 「時代を作った女性、こんな人がいたなぁ!」としみじみ。
 男尊女卑の空気のなか、その風をきるように走った女性の息遣いが、参考文献から聞こえてくる。
 
 傑作は本編だけでなく、参考文献まで読ませるのだ。
                                             
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水やりはいつも深夜だけど  窪美澄

 「夫婦で、家族で、どちらが、どれだけ悪いか、なんて、今になって思えばだけれど、そんな追及に答えはないんだ」
(本文引用)
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 「自分を他人と比較しているかぎり、幸福は訪れない」・・・と心に留めつつも、つい誰かと比べては一喜一憂してきた私だが、今度こそ決めた。もうそんなことはやめるぞ、と。
 だって、この小説の登場人物のうち、誰かと比較している人間は、ことごとく不幸なのだから。そして逆に、自分を絶対評価している人間は、ことごとく幸せなのだから。
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 本書には、5つの家族が登場する。彼らの共通点は1つ、子どもを同じ幼稚園に通わせていることだ。
 もともと高級住宅地といわれる地域ではあるが、そのなかでも特に教育熱心といわれる園で、親の意識もそれなりに高い。
 しかし皆、外からでは到底うかがい知れない悩み、苦しみを抱えていた。


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「晴天の迷いクジラ」

「毎日、後悔ばっかいじゃ。薬のんだって、入院したってよかと。どげなことしたって、そこにいてくれたらそいで」クジラが繰り返し海面を叩く音が、なんだか断末魔の叫びのように聞こえてしまう。「そいだけでよかと」
(本文引用)
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 あの震災から1年。私にとっては、人間の非力さを痛感した1年であった。そして一瞬であまりにも多くの命が奪われたことを思うと、
 「一生懸命生きていても、いつどんなことで死んでしまうかわからない。それならば果たして、生きている意味などあるのだろうか」
 といった虚無感を覚える。

 この小説に出てくるのは、そんな虚しさを感じている者ばかりだ。

 零細のデザイン会社で寝る間も惜しんで働き、疲労困憊のすえ彼女に振られ、心療内科に通い出す由人。
 そのデザイン会社の社長で、日夜資金繰りに喘ぐ野乃花。
 姉が赤ん坊の頃に病死したために、母親から常軌を逸した健康管理をされる中学生・正子。


 3人とも、人生に迷いに迷い、がむしゃらに走ってきた末に今の場所に落ち着いてはいるものの、どうしても前向きに生きることができない。
 そんな3人の共通点は、「自分という存在を否定されてきた過去を持つ」ことだ。

 由人の母親は、愛情の表し方が極端に不得手な人だった。
 病弱な兄を溺愛し、その兄が引きこもりになれば次は妹に過干渉し、家庭は見る見る崩壊していく。
 そしてついに、次男の由人に母親の愛情が向けられることはなかった。

 野乃花もそうだった。
 絵画の天才少女ともてはやされたが、経済的な理由から画家になる夢は絶たれる。
 そして大金持ちの道楽息子と「でき婚」したものの、彼の家で野乃花の居場所はなかった。

 そして、母親から異常な束縛を受ける正子。
 常にアルコールティッシュを持ち歩き、子供の体温が一分違うだけで激しく動揺し、医者に「検査をしてくれ」と詰め寄る母親。
 そして正子が中学生になると、母親の魔の手は健康に飽きたらず友人関係にまで及ぶ。

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 自分という存在を否定され続け、常に心に黒い影を落とす3人。
 その3人が、今、人生の崖っぷちに立たされ、それぞれ自決を考える。

 「いっそこのまま、死んでしまえたら」

 そんなとき耳に飛び込んできたのが、クジラが湾に座礁したというニュースだった。
 潰れた会社と人生を整理しようとしていた由人と野乃花は、現実から逃れるように、人生最後の風景を目に焼き付けに行くように、無我夢中で夜中の道を駆け出す。
 そのクジラを見るために。道筋を誤ったクジラを見るために。



 道中、たまたま生気なく歩く少女・正子を見かけた2人は、正子もクジラ見物に誘い出す。
リストカットを重ねていた正子は「大きい動物を見れば、少しは気が楽になれるではないか」と一縷の望みを託して車に乗り込む。

 湾岸に横たわり、ただ死を待つ巨大なクジラを見て、3人は何を思うのか。
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 なんとも不思議な小説である。
 不思議と言っても、ただ過激さだけを打ち出した理解不能の「不思議ちゃん」小説ではない。
 個性的すぎる色の服を組み合わせたのに、誰もが着てみたくなるコーディネートに仕上がったような、安心感のある輝きを放つ「不思議さ」である。

 3人の人生も突飛なら、クジラを見に行くという設定も突飛だ。
 しかしその3人の困難な人生とそれに伴う絶望感が、湾岸でもがくクジラの姿と見事に絡みあっている。

 それはこの作品に、「人間と野生動物における、生命への向き合い方の違い」という壮大なテーマが強く込められているからであろう。

 作中、由人が「あいつもなんか、迷っちゃってんですかね」とクジラを指してつぶやくと、野乃花が「知るかっ。クジラの気持ちなんか」と返答するシーンがある。
 そこから、由人たちがそれぞれ、迷い込んだクジラを自分の姿に重ねていることが見て取れる。

 しかしそれを裏切るように、クジラの専門家は「人間とクジラを重ね合わせてはいけない」と言う。
 そして、動物の生死に人間が介入するな、その死は決して無駄ではない、とも。
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 それを読み、私は人間の傲慢さを突きつけられたような気がした。
 野生動物も人間も共に「生命あるもの」でありながら、かたや死を自然の定理として待ち、受け入れ、かたや他の生物の生死に干渉し、自身の命まで操作しようとしている。
 こう考えてみると、生命体としてみた場合、人間は動物界の頂点等ではなく、最も下等な部類の生き物なのではないだろうか。

 自分の存在の意味や人生の意義など考えず、「とにかく、ただ生きる」

 それが、生命あるものの最優先の義務なのである。

 死は選ぶものではない。待つものだ。
 そう自ら悟って岸に横たわる、巨大な野生動物。
 そしてそれを見つめる自殺志願者3人。
 彼らの瞳に映るものは、やがて読者の瞳の残像となり、「生命とは何か、人間とは何か」を大いに考えさせてくれることだろう。

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晴天の迷い...

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プロフィール

アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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