このカテゴリーの最新記事

負けない力 ~あなたはいつも勝とうとして間違えてばかりいる~  橋本治

評価:★★★★☆

 お忘れかもしれませんが、知性は「負けない力」です。「負けない力」を本気で発動させるためには、「負ける」ということを経験した方がいいのです。負けることをバカにする人に、ろくな知性は宿りません。
(本文引用)
________________________________

 最近、人間同士で格付けをする傾向が強いように思える。それに日々、悩まされている人もいるだろう。
 しかし、本書を読めばその悩みは雲散霧消する。なぜなら、「自分を相手より上」と思っているような人や、仲間同士の横並びを絶対視するような人間が、いかに知性がなく「負けている」かがわかるからだ。

 意地の悪い言い方をするようだが、人より下に見られることでストレスをためている人にとっては、溜飲の下がる一冊だろう。
_______________________

 たとえば、「私はあなたよりも上」と思っていると、知らないことを知らないといえず、わからないことをわからないと言えないまま、どんどん知識も思考力も失っていく。



 それに対し、自分ができることは、いったん「負け」を認めて「知らない・わからない」をストレートに伝えることだ。

 そこで相手が鋭いことを言えば、「相手の知性を認める程度には自分は知性がある」ことを認識できることになり、また、どうにも要領を得なければ、偉そうにしている相手がたいした人間ではないことをも知ることができる。
 いずれにしろ、「負けない」でいられるのである。

 他者によるマウンティングに悩まされている人や、人より下に見られることを極度に恐れている人には全力でお薦めしたい一冊。
 「勝つのではなく負けない」こと。それが一番大事、なのである。
 
詳細情報・ご購入はこちら↓

「わからない」という方法 橋本治

 「わかる」をスタート地点にするということと、「傲慢なる恥知らずを省みない」とは、一つなのである。
(本文引用)
____________________________________

 かなり前の話になるが、映画監督の周防正行とバレリーナ(当時)の草刈民代夫妻がゲスト出演しているラジオを聴いた。

 当時、新婚ホヤホヤだった二人に、番組のパーソナリティーは尋ねた。

 「相手の、どんなところに惹かれたのですか?」

 それに対する周防監督の答は、実に新鮮なものだった。
 草刈さんは撮影中、少しでも疑問があるとすぐに「先生、せんせーい!質問!」と、手を挙げて周防監督に聞いてきたというのだ。監督は、その姿が非常に印象的だったという。
 それを聞いた瞬間、「これはベストカップルだな」と、あてられた気持ちになった。


 「わかるふり」をせず、わからないことを自ら認め、見栄を張ることなく質問をする草刈さんの素直さ。
 それを真っ直ぐに受け止める周防氏の度量の大きさ。

 お二人は、男女や結婚という枠を超えた素晴らしいペアだと、思わず唸った。
 そしてそんな率直な姿勢が作品に爽やかさを持たせ、「Shall we ダンス?」の大ヒットへとつながったのであろう。

 前置きが長くなったが、今回ご紹介する橋本治著「『わからない』という方法」は、そんなエピソードを思い出させる一冊だ。

 「わからない」ことを認めないことは、いかに浅薄で厚顔無恥であることか。
 「わかる」「知っている」という思い込みから始めることが、いかに生きる道筋を見失わせてしまうことか。
 そして逆に、「わからない」ことから地道に歩き出すことが、いかに「本当にわかる」までの最短距離であるか。

 情報があふれ、「わからない」と言いにくくなっている現代に、改めて“本当の生きやすさ”を教えてくれる人生訓。それがこの「『わからない』という方法」である。
_____________________________________

 まず、タイトルになっている「『わからない』という方法」とはどういう意味か。
 それはそのまま、「なぜ、橋本治は色々なことをするのか」という質問に対する答になる。

 その理由はいたって簡単である。「わからないから」である。「わからないからやってみよう」とか、「こんなにも“わからない”と思ってしまった以上、自分のテーマにするしかないな」などと思う。


 つまり、橋本治氏の方法論とは、そのまま「わからない」ということが方法論なのである。

 そして、そこから「わかると思い込むこと」および「わからないことを隠すこと」の罪をしつこいほどに述べていく。

 まず、「わかる」(という思い込み)をスタート地点にしても、本当にわかってはいないのだから、早晩「わからない」という壁にぶつかってしまう。これは自明の理である。
 しかし、それでもなお「わかる」と思い込みたい人は、自分の無能を認めず環境のせいにするというとんでもない判断ミスをおかし、引き返そうにも、新たなるレースに挑戦する気概もない、と橋本氏は断ずる。
 要するに、「わかる」から始めようとする無駄なプライドの高さは、人生にとって百害あって一利なしなのである。

 特に興味深かったのは、「わかる」から始めてしまう思考法は、「いじめ」にもつながるという主張だ。
 自分だけの「わかる」を「へんじゃない」と位置づけ、自分にとって「わからない」を「へん」と決め付ける。
 引いては「わかる」者同士でつるみ、「わからない」を排除する。これがすなわち、いじめの構図である、と橋本氏は語る。

 さらに面白かったのは、女性の社会進出における、「へん」の排除論。
 男と女が違うのは当たり前である。しかしその「違い」を、男たちが「へん」と位置付けてしまったばかりに、社会の不均衡が始まったという。

 誰も彼もが「自分はへんじゃない」と疑うことなく信じ、自己批判の精神を持たなくなるとは、どういうことか。
 世の中を「わかる」=「へんじゃない」、「わからない」=「へん」で片づけ、己を前者に置きつづけると、どのような結果をもたらすか。

 それは「へん」とか「わかる」などといった柔らかな字面からは想像もできないほど、恐ろしいものだ。
 逆に、「わからない」から始めることで得られるものは、ちょっと腑抜けた語感からは想像もできないほど大きい。
 それは前述の「Shall we ダンス?」を考えれば一目瞭然であろう。

 色々なことを学び、考える時間ともいえる夏休み。
 ここらへんでひとつ、自分の「わからない」を素直に認め、「わからないからやる」というレースに挑んでみたい。そう私は考えている。
 そうすればもう少し、あと少しでも、成長できるのではないか。そんな淡い期待を抱いているからだ。

 本書最後で橋本氏はこう語る。
 「わからない」を宿らせた身体は、サナギの状態である、と。しからば、サナギを羽化させるにはどうしたらよいか。

「自分の無能を認めて許せよ」


 「無能」であることを認め、言葉は悪いが「馬鹿」といわれることを恐れない人間になり、「『わからない』という方法」を実践する。それがこの夏休みの目標のひとつである。

詳細情報・ご購入はこちら↓

「浄瑠璃を読もう」

 はっきり言って私は、義太夫節を音楽として好きで、面倒臭い話なんかどうでもいいんです。「あそこのところがカッコいいから好き。あそこのところはあまりにきれいでうっとりしちゃう」だけなんだけども、それを言ってもあまり通らない-通らないのは、そこに「よく分からない江戸時代的な思考」が横たわっているからなんだろうなと思って、「どうして江戸時代人はこういう考え方をしたか?こういう考え方を受け入れたか?」の説明のほうに比重がかかりすぎてしまったように思います。
 (あとがき引用)
_________________________________

 昨年の東日本大震災から3ヵ月後に出版された「復興の精神」。発売後、私はすぐにこの本を買った。
 なぜなら、橋本治が参加していたからだ。

 しかしページを開くと、驚いたことに橋本氏はずいぶんと体調を崩されている様子であった。
 それから密かに心配していただけに、(書下ろしではないものの)この本は待望の新刊である。

 「浄瑠璃を読もう」

 「これぞ橋本治!」と手を叩きたくなる、驚きと笑いの浄瑠璃ガイドブックである。
__________________________

 この本では、「仮名手本忠臣蔵」や「義経千本桜」「国性爺合戦」など8本の演目が解説されている。
 そしていずれも、「そもそも浄瑠璃とは何ぞや」という観点から、目からウロコの説明が湧き水のごとくあふれている。これが何とも面白い。

 なかでも「そうなのか!」と膝を叩いたのが、「仮名手本忠臣蔵」の解説だ。

 「忠臣蔵」といえば、年末が近づくと必ずテレビドラマ等で放映される「四十七士の討ち入り」だ。




 しかしこの「仮名手本忠臣蔵」では、その討ち入りより重要な物語として、あるドラマが演じられる。
 それは何と、男女の駆け落ちだ。
 
 塩冶判官のお供である男と腰元の女性が逢瀬をし、その間に男の上司である塩冶判官が刃傷沙汰を起こしてしまうため、止むに止まれず二人は駆け落ちをするというストーリーだ。
 現代ならば「こんな話はいいから、早く討ち入りを見せてよ!」とブーイングが出るかもしれないが、そこで橋本氏は説く。
 なぜこの恋物語が挟まれているのか。

 それは、「浄瑠璃というものが、そういうものだからである」と。

 私たちは赤穂浪士に自分を重ねてドラマに見入っているかもしれないが、江戸時代の人は違う。

 「自分が何者か=自分は町人である」ということをしっかりと自覚しているため、例の仇討ちは「自分たちとは関係のない武士の起こした事件」としか思えず、自分の姿を重ね合わせることができなかった、というのだ。
 それ故、男と女の逃避行という、町人が自身を重ねることができるドラマが展開され、さらに男が、百姓である女の実家に身を寄せるという話にまでつながっていく。
 その江戸時代的な思考からなる娯楽こそが浄瑠璃である、と橋本氏は言う。



 この解説を読み、私は大いに納得すると同時に、一応現代人ではあるものの「私自身の物語の楽しみ方」にまで疑問が生まれてきた。

 私は漫画「ベルサイユのばら」が大好きなのだが、フランスの王侯貴族の生活などそれこそ「自分とは関係のないこと」なのに、なぜここまで魅入られているのだろうか。
 また貧しかった少年が実業家になり、ウォール街を飲み込む勢いで大成功する米国の小説なども、やはり自分とはかけ離れた物語であるにも関わらず引き込まれてしまう。
 私はずっと、貴族や成功者たちの華やかな描写に惹かれて読んでいるとばかり思っていたが、実は貧しい市民たちの方に自身を重ねているのかもしれない。
 本書を読み、改めて自身の感性を問い直してしまった。

 
 本書では、他にも「なぜ源義経は、ジャニーズ系アイドル等容姿の良いタレントが演じるのか」、「江戸時代のドラマには、なぜしばしば『取り替え子(=「主人の子」と「自分の子」とを取り替えて、「殿」として育てる)』が登場するのか」等、浄瑠璃を起点とした様々な「江戸時代思考の謎」が明かされる。
 ただでさえ魅力的な、そのタネ明かしが、ハシモト流の軽妙洒脱な文章で語られるのだから面白くないわけがない。
 私は通勤時間や昼休み等、本書に触れられる時間が近づいてくると、ソワソワして落ち着かないほどであった。読書の幸せ、ここに極まれり、である。


 また古典芸能には全く興味が無い、とう人にも、ぜひ本書片手にテレビドラマや舞台を観てほしい。
 「なぜこの俳優が主役なんだろう?」「このエピソードは、何のために入れられてるんだろう?」「なぜこの曲がオープニングテーマなんだろう?」・・・。
 そんな疑問を持ちながら本書を読むと、現代人の思考に基づく「アッ」と驚く答が導き出せるかもしれない。

 娯楽をいっそう楽しめる、飛び切りオススメの一冊だ。

詳細情報・ご購入はこちら↓
【送料無料】浄瑠璃を読もう [ 橋本治 ]

【送料無料】浄瑠璃を読もう [ 橋本治 ]
価格:2,100円(税込、送料別)

「復興の精神」

 東日本大震災から4ヶ月近くが経った。
 この間、私は何をしていたかというと、こと震災関連に限っては何もしていない。

 せいぜい震災直後、計画停電の影響で、会社を早退して子供を早く迎えに行ったり、保育園を通じて支援物資を送ったり・・・。
 そんな程度で、あとはひたすら日常生活を送り続けている。
 私の周りでも、生活スタイルはほぼ変わることなく動いている。

 しかし震災前と震災後とでは、確実に意識の底の何かは変わっている。
 誰もが常に「私には何ができるのだろう」と己に問い続けている。
 「何かできることはないか」と問い続けている。

 だが、何しろ事が重大すぎて、アワアワしているうちに時はビュンビュン加速し、気がつけば100日あまりが過ぎてしまった。
 手を出そうにも声を出そうにも、何をしても何を言っても、不謹慎な気がしてしまう。
 で、また立ち尽くす。

 そんなときに手にとったこの「復興の精神」



 これを読み、
「『自分には何もできない』と思い込むことはない。
 誰でも『何かはできる』、しかし『無理に大きな行動を起こす必要はない』」

 と、少し気が楽になり、またその一方で、この非常事態を乗り越えてやる!という気持ちが奮い立った。


 本書は、養老猛司、茂木健一郎、橋本治、曽野綾子、阿川弘之等9人が、震災以降の我々の心の持ち方を説いたものである。

 全編を通じて私が強く感じたのは、「自分の生活を、自分の思いどおりにしようとするな」ということだ。

 たとえば今、日本人は世界で賞賛すべき民族として注目されているらしい。
 それは、このような災害に遭っても強奪等の犯罪や便乗値上げなどがほとんどなく、お互いを尊重しあい助け合って過ごしているためだという。
 これだけの災害なのだから、人々の苛立ちもないはずはなく、また買い占めなどもあったわけだから、どこまで許容範囲に含めての賞賛なのかわからないが、たしかに諸外国と比べるとかなり冷静で穏やかなのであろう。

 それはやはり、この本にも書かれているが、日本人がもともと「天災、特に地震ばっかりは、自分の思い通りにならず必ずやってくる」と思っているからではないか。

 茂木健一郎氏は、被災地以外の人々に対して

「私たちは、ただ、『執行猶予』をされているだけのこと」

という。

 また養老猛司氏は、日本ほど「定期的に『ご破算』を経験している国は実はそんなにない」と言い、「木と紙で出来たような家に長年住んできたことも、一つの知恵かもしれません」と説く。

 私たちは、地震という弾丸をつめたロシアンルーレットを毎日行っているようなものかもしれない。
 日本に住んでいるかぎり、いやこの世に生きているかぎりは、そのルーレットの渦中に置かれ続けるのだ。
 地震は必ず起こる。そして地震に対しては無力である、どうしようもない、という気持ちを、我々は先祖代々持ちつづけてきた。そしてそれが、今回の被災者の方々の粛々とした態度に結びついているのだろう。(悲しいことかもしれないが・・・)

 しかし逆に、自分の思いどおりにしようとしたために、人々を混乱させ、被害を拡大させている側面もある。

 まず、やはり電気だ。

 今回のことで、私自身もいかに電気に頼り、無駄に消費をしてきたかを痛感した。
 計画停電時に信号が消えたのにはさすがに閉口したが、オフィスの蛍光灯を何本か抜いたところで、意外と、というか全く困らないことに気づいた。
 そう考えると、周囲をグルッと見渡しただけで「あれも要らない」「これも要らない」となり、ひとつひとつは小さくとも、これが何千万人分も集まると結構な節電になるだろう。
 (ちなみに先日、近所の美容院に行ったところ、常時タオルを温めておく「ホットタオル」をやめたのだそうだ。そのつどお湯で温めることにしたのだとか。・・・なるほど、いろいろあるものだ。)

 禅僧である南直哉氏は、こう語る。
 我々がずっと「進歩」「発展」「成長」と呼んできたものは、

「要するに、できるだけ『すべてを思いどおりにしよう』という意志を、金と道具、つまり資本と科学技術がひたすら追いかけていくことである」

 そして

「我々は、『思いどおりにしよう』の意志が枠組みを決めている社会を選択してきたのである。このことを自覚して、すでにそれが構造的で宿命的な欠陥を露呈していることを直視すべきなのだ」

と。

 非常に耳の痛い話である。

 先ほども書いたが、自分の行動ひとつとっても、あまりに思いどおりにしようとしすぎていた。
 
 思いどおりの時間に目的地に着けるよう電車に乗り、思いどおりの気温に調節したオフィスで仕事をし、家に帰れば好きな時に温かいお茶が飲めて、好きなときに温かいご飯をよそうことができ、リアルタイムで観られないテレビ番組をビデオに録り・・・など、どうでもいいことまで自分の思いどおりにしようとしていたことに、このたびの震災で改めて、といおうか、不覚にも初めて気づかされた。

 また買い占めも同様である。
 
 今まで簡単に「自分の思いどおり」に手に入っていた食料や日用品が、「思いどおりに」手に入らなくなるのではないかという不安から、朝からスーパーには人が押し寄せた。
そしてトイレットペーパーなどならまだしも、足の早いものまで大量に買い占めて腐らせる・・・といった、通常では考えられない混乱状態であった。

 そして相次ぐ風評被害やチェーンメール。これらも、何としてでも自分の身を守りたい、自分の生活を、今なお「思いどおりにしたい」という足掻きから生じた現象といえるだろう。

 これは、我々が日ごろ当たり前のように享受していたモノが、実は当たり前ではなく、いつ壊れてもおかしくない非常に脆い土台のうえに成り立っていたことに、人々がようやく気づいた、気づいてしまった、ということだ。

 歴史学者・山内昌之氏は、ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの言葉「必要なことのみをせよ。また社会的生活を営むべく生まれついた者の理性が要求するところのものをすべてその要求するがままになせ」を引用し、この震災を経て日本人は

「非日常的な何かをしようとするときや、何かの選択に迷うときに、『これは不必要なことの一つではなかろうか』と静かに自問すべきかもしれない」

と説く。

 そう、「私には何ができるのだろう」、「何かできることはないか」という問いの最初の答は、まず「自分の生活が便利すぎたこと、思いどおりに行き過ぎたと自覚すること。そしてそんな生活をじっくりと見直すこと」なのだ。
 

「今回の震災が、私たちが変わるきっかけにならないとしたら、他の何がきっかけになるというのだろう」(茂木健一郎)

 払った犠牲はあまりにも大きすぎたが、自らの生活に対する意識を変えることが、微力ながらそれに報いることになれば、と思う。
 そして意識が変わった時点から、ようやく真の復興に向けたスタート地点に立てるのではないか。そんな気がする。

 そして養老猛司氏はいう。

「元に戻そう、復興しようという人には、『こんちくしょう。負けるもんか』という気持ちがあるはずです。(中略)『こんちくしょう』は、復興において絶対に必要な大切な要素になるはずです」


 そうだ、私も心の中で叫び続けよう。自然にとっては痛くも痒くもないだろうが、「こんちくしょう」、と。

 地震め、津波め、「こんちくしょう」と。
 そして、非力な自分に「こんちくしょう」と。
 生活を何もかも思いどおりにしようとしてきた自分に「こんちくしょう」と。

ご購入はこちら↓
【送料無料】復...

【送料無料】復...
価格:735円(税込、送料別)

プロフィール

アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

最新記事
シンプルアーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
RSSリンクの表示
QRコード
QR

書評・レビュー ブログランキングへ
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村
カテゴリ
広告
記事更新情報
リンク
広告