「百年法」、そして「理性の限界」を考える
国民投票とは、日本共和国の運命を託す道を、国民自身の手によって選ぶものです。過去二回の国民投票の結果は、良くも悪くも、この国の歴史を左右してきました。
(「百年法」本文引用)
もちろん、政治形態としての民主主義に異議を申し立てるつもりはありませんが、アロウの不可能性定理が明確に示しているように、多数決の原理そのものに大きな方法論上の欠陥があることは認識しておくべきだと思います。
(「理性の限界」本文引用)
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う~ん、これはすごい。すごい小説だ。
確かに私も、不老不死というものには憧れる。しかし、それが叶えられた状態について具体的に考えたことなどない。なぜなら、土台無理な話だからだ。
しかし、この小説を読み反省した。想像の翼を広げれば、これほどまでに不老不死の世界を緻密かつ明確に描けるのかと。
それを早々に諦めてしまった自分を、深く恥じた。
さらにこの物語が素晴らしいのは、途方もなく虚構の世界を描いているのにも関わらず、途轍もなく現実味がある点だ。
もし老化というものがなかったら、人々はどのような人生観を持つのか。
もし人間が死なないことになったら、国はどのような労働形態を作り、経済を動かそうとするのか。
もし死の恐怖から逃れられない人間が増えたら、どのような混乱が起きるのか。ひずみが生じるのか。
この小説では、そんな「生」と「死」にまつわる数限りない問題点および課題が挙げられているのだが、その結論は、驚いたことに現在の日本(共和国ではなく現実の)が抱えるそれと何ら変わらない。
そんな皮肉がストーリーのあちこちに散りばめられており、私は非常~に面白く読めた。
小説って、何て面白いんでしょ。
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これが仲良しグループだけの問題におさまればよいが、もしこの罠が、一国の大統領を決める選挙に潜んでいたとしたら?直接民主制が、実は全く民意を反映されていないものだったとしたら?潜在的な出来レースだったとしたら?
そして思う。
「百年法」における国民投票は、本当に正しかったのか?と。
「理性の限界」では、「投票方式に応じて異なるタイプの候補者が選ばれる」という恐るべき事実が明かされている。
ならば「百年法」に登場する3回の国民投票は、果たして正しいものだったのか?という疑問が生じてくる。
この2作品を同時に読んだのは偶然だったのだが、これは神の采配か。
そうしたことで私はよりいっそう、これらの作品を面白く、味わい深く読めたと思う。
山田宗樹氏、高橋昌一郎氏、そして本の神様に、心より御礼申し上げたい。
(「百年法」本文引用)
もちろん、政治形態としての民主主義に異議を申し立てるつもりはありませんが、アロウの不可能性定理が明確に示しているように、多数決の原理そのものに大きな方法論上の欠陥があることは認識しておくべきだと思います。
(「理性の限界」本文引用)
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・・・すっ・・・・・・ごーーーーい!!!
これは虚構?現実?いや、嘘を全てかき集めると、そこには真実が現れるということか?
2013年本屋大賞ノミネート作「百年法」。
それは、日本共和国という国の法律をめぐる驚愕の悲喜劇であり、フィクションであり、ノンフィクションともいえる作品であった。
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舞台は日本共和国。その国には、生存制限法(通称:百年法)という法律がある。
これは「HAVI」という不老化処置によって永遠の若さを手にした国民は、何と処置後100年たったら強制的に安楽死させられるというものだ。
街は、見た目は20歳そこそこという若者にあふれ、中には少しでも貫禄があるように見せるため、わざと30代半ばでHAVIを受ける者もいる。
また年をとらないためか、何度も家族をリセットさせる者も多い。何度も結婚と離婚をし、生まれた子供の消息もわからない。いくらでも、若い自分を生きられる。
しかしいよいよ、その時はやってきた。
HAVI導入から100年経ったのだ。
迫り来る死に脅え、自暴自棄になるHAVIの1期生たち。
そのなかには、国家の中枢にいる人物も含まれる。
その恐怖心と自分可愛さ故、国はある国民投票を行う。
「百年法を施行するか?凍結させるか?」
素直に死を受け入れるか。凍結させて生き延びるか。
国民はどちらを選ぶのか!?
これは虚構?現実?いや、嘘を全てかき集めると、そこには真実が現れるということか?
2013年本屋大賞ノミネート作「百年法」。
それは、日本共和国という国の法律をめぐる驚愕の悲喜劇であり、フィクションであり、ノンフィクションともいえる作品であった。
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舞台は日本共和国。その国には、生存制限法(通称:百年法)という法律がある。
これは「HAVI」という不老化処置によって永遠の若さを手にした国民は、何と処置後100年たったら強制的に安楽死させられるというものだ。
街は、見た目は20歳そこそこという若者にあふれ、中には少しでも貫禄があるように見せるため、わざと30代半ばでHAVIを受ける者もいる。
また年をとらないためか、何度も家族をリセットさせる者も多い。何度も結婚と離婚をし、生まれた子供の消息もわからない。いくらでも、若い自分を生きられる。
しかしいよいよ、その時はやってきた。
HAVI導入から100年経ったのだ。
迫り来る死に脅え、自暴自棄になるHAVIの1期生たち。
そのなかには、国家の中枢にいる人物も含まれる。
その恐怖心と自分可愛さ故、国はある国民投票を行う。
「百年法を施行するか?凍結させるか?」
素直に死を受け入れるか。凍結させて生き延びるか。
国民はどちらを選ぶのか!?
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う~ん、これはすごい。すごい小説だ。
確かに私も、不老不死というものには憧れる。しかし、それが叶えられた状態について具体的に考えたことなどない。なぜなら、土台無理な話だからだ。
しかし、この小説を読み反省した。想像の翼を広げれば、これほどまでに不老不死の世界を緻密かつ明確に描けるのかと。
それを早々に諦めてしまった自分を、深く恥じた。
さらにこの物語が素晴らしいのは、途方もなく虚構の世界を描いているのにも関わらず、途轍もなく現実味がある点だ。
もし老化というものがなかったら、人々はどのような人生観を持つのか。
もし人間が死なないことになったら、国はどのような労働形態を作り、経済を動かそうとするのか。
もし死の恐怖から逃れられない人間が増えたら、どのような混乱が起きるのか。ひずみが生じるのか。
この小説では、そんな「生」と「死」にまつわる数限りない問題点および課題が挙げられているのだが、その結論は、驚いたことに現在の日本(共和国ではなく現実の)が抱えるそれと何ら変わらない。
そんな皮肉がストーリーのあちこちに散りばめられており、私は非常~に面白く読めた。
小説って、何て面白いんでしょ。
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それと同時に読んでいたのが、「投票という行動に大きな疑問を投げかける」こちら「理性の限界」。
「東大生の論理」や「限界」シリーズでおなじみ高橋昌一郎教授による本だが、これがまた目からウロコがボロボロと落ちる傑作!
なかでも面白かったのが、「投票のパラドックス」というものだ。
たとえば仲良し3人組が旅行先を決める時、多数決で行き先を決めようとすると、思わぬ罠に落ちてしまう。
実はこれ、全く公平な決め方ではないのである。
「東大生の論理」や「限界」シリーズでおなじみ高橋昌一郎教授による本だが、これがまた目からウロコがボロボロと落ちる傑作!
なかでも面白かったのが、「投票のパラドックス」というものだ。
たとえば仲良し3人組が旅行先を決める時、多数決で行き先を決めようとすると、思わぬ罠に落ちてしまう。
実はこれ、全く公平な決め方ではないのである。
これが仲良しグループだけの問題におさまればよいが、もしこの罠が、一国の大統領を決める選挙に潜んでいたとしたら?直接民主制が、実は全く民意を反映されていないものだったとしたら?潜在的な出来レースだったとしたら?
そして思う。
「百年法」における国民投票は、本当に正しかったのか?と。
「理性の限界」では、「投票方式に応じて異なるタイプの候補者が選ばれる」という恐るべき事実が明かされている。
ならば「百年法」に登場する3回の国民投票は、果たして正しいものだったのか?という疑問が生じてくる。
この2作品を同時に読んだのは偶然だったのだが、これは神の采配か。
そうしたことで私はよりいっそう、これらの作品を面白く、味わい深く読めたと思う。
山田宗樹氏、高橋昌一郎氏、そして本の神様に、心より御礼申し上げたい。
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