地球上のどこよりも、落とした財布がきちんと戻ってくるこの国。ほんの小さなことのように思えるが、こういうことはGDPの競争よりも、なによりも大切なことではないかと思う。(あとがき引用)
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おとぎ話の世界には、「艱難辛苦に耐える善良な人が最後には幸せになる」という物語が多く、またそのようなストーリーが愛される。
花咲かじいさん、小人と靴屋、シンデレラ・・・etc.
そんな話が実際にあれば良いなと思いつつも、人はついつい「世の中そんなに甘くない」と諦め、低きに流れてしまう。
しかしこの本を読むと、そんなおとぎ話も夢ではない、ということがわかる。
私利私欲を捨て、自分の命を投げ出してでも、皆の幸せを願う者がいた。
逆にどんなに富を持っていても、保身に走り、己の幸せのみを願う者もいた。
結果、前者が勝利し、その功績は200年以上も語り継がれている-そんなことが実際にあるのだ。
史実を忠実になぞりながら江戸の人々を鮮やかに描く、稀代のストーリーテラー・磯田道史氏。
「無私の日本人」は、そんな大人気歴史学者による、珠玉のノンフィクション小説である。
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本書には3つの話が収められており、それぞれ聡明で無私な人物が登場する。
そのなかで最も多くのページが割かれているのが、穀田屋十三郎の物語。
貧困にあえぐ小さな宿場町を、仲間と共に立て直した大人物である。
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時は江戸。
宮城県は仙台に程近い吉岡宿は、他の宿場町に比して不当に貧しかった。
故に住民たちは次々と出て行き、住まう人々も、明日をも知れぬ命という状態であった。
そんななか、吉岡宿屈指の豪商の子である穀田屋十三郎は、裕福な身でありながら、何とかして町の人々を救いたいと日々悩んでいた。
そこで考えたのが、利子で稼ぐという方法。
皆で集めたお金を殿様に貸し、その利息を町の人々に配るというものであった。
一介の町民が、お上にお金を貸すなど前代未聞。あくまで前例主義を通そうとする役人たちは、当然のごとく十三郎達の訴願を次々とはねのける。
しかし、構想から8年。ついに思いが報われる時がくるのであった。
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磯田道史氏が本書を上梓したきっかけとなったのは、現在、その吉岡に住む男性からの一通の手紙であったという。
江戸時代に亡びるところだった吉岡は、平成の今もなお残っている。それを支えた十三郎達の功績を、本にして後世に伝えてくれないか、という内容だった。その依頼がきっかけとなり磯田氏が執筆、この本は実現したという。
手紙を出した男性自身、「涙なくしては語れない」と書いているが、この話は本当に涙なしでは読めない。
世の中に、これほど無私になれる人物がいるのか、これほどまでに全てをかなぐり捨てて他者の幸せを願うことができる人物がいるのか、そしてこれほどの知恵と意志、そして行動力をもつ人物がいるのか・・・十三郎はじめ9人の篤志家たちの情と賢さに、私は終始圧倒されっぱなしであった。
とりわけ十三郎の生家・浅野屋の人々の心には、ただただ涙。
浅野屋は吉岡のなかでも突出した財力をもっていたが、計画実行のおりには衣類・家財等すべてを売り払い、しまいにはこれ以上お金を出しては家族が死んでしまうと農民たちに止められるほどに。しかし彼らは、それでも出資をやめなかった。
それには、一族に通じるこんな思いがあった。
「手の及ぶかぎり、貧家孤独の人を恵んで助けよ」
十三郎の父親が、死ぬ間際に遺した言葉だ。
さらに父親は、こうも語っていたという。
「どうかたのむ。ここに年来、ためてきた浅野屋の銭は、ほかのことには使わないでほしい。(中略)何代かかってもよいから、この志をすてぬよう。どうか、吉岡の宿がたちゆくよう、この金をつかって動いてほしい」
実は父親もまた、吉岡宿を助けるために十三郎と同じことを考え、毎日コツコツと小銭を貯めていたのだ。
その心持ちと気迫は、私腹を肥やそうとする狡猾な者達を畏れさせた。そして難攻不落の行政という山を、とうとう突き崩したのである。事実は小説より奇なり、人間、やってやれないことはない。歴史の教科書に載らないのが不思議なほどの偉業である。
またこの物語、磯田氏による解説が随所に入っているのが非常にありがたい。
特にいわゆる「お役所仕事」の説明が秀逸。
手続きの煩雑さ、タテ割り組織、横の連携の不備等、今問題となっている「官」の問題点がすでに露呈しており驚くばかり。
民と官を阻む障害も、これほど歴史が深いと、そりゃ風通しが悪いはずだと妙に納得
(いいのか?)。
最後に、この十三郎らの功績は、現地では今なお語り継がれている。
そして磯田氏が、その十三郎の子孫を訪ねたところ、家族の方々は多くを語ろうとしなかったという。
磯田氏がその理由を聞くと・・・
「昔、先祖が偉いことをしたなどというてはならぬと言われてきたものですから」
浅野屋の志は、しっかりと受け継がれているのであった。