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「中野のお父さんは謎を解くか」感想。「勉強に意味があるの?」と思ったらこれ一冊だけでも読んでみない?

評価:★★★★★

 「『100万回生きたねこ』を読んで、素直に感動するのは正しい。・・・・・・しかし、《絶望の書》だと感じてしまう者を、ただ、ひねくれてるとはいえないんじゃないかな」
(本文引用)
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 「勉強して何になるの?」「勉強って意味あるの?」

 小学校高学年の娘が、時々そんなことを言う。
 宿題や、テストの復習に行き詰まると、イライラして言ってしまうようだ。

 そこで活躍したのが本書。
 北村薫最新刊「中野のお父さんは謎を解くか」だ。
 (シリーズ前作「中野のお父さん」のレビューはこちら

 「謎を解くか」というぐらいだから、一応ミステリーではある。
 「ミステリー小説で、勉強の意味を訴えるってどういうこと?」
 そう思うかもしれないが、読めばすぐに理由がわかる。


 「知識を増やすと、こんなに世の中面白いんだ!」
 「勉強って、人生を最高に楽しくする道具なんだ!」

 「中野のお父さん」の謎解きは、心からそう思えてくる。

 友人との会話、お悩み投書欄、職場での人間関係、一葉の写真・・・。
 
 知識があると、ひとつのものを見ても広がりが全く違ってくる。
 1滴の水が、知識のおかげで大海にまで発展するのだ。

 だから私は子どもに言った。
 「中野のお父さん」の名推理を解説しながら言った。
 
 「この事件、知識がなかったら何とも思わないかもしれないね。
 でも知識があるとホラ、こんなに面白く見えてくるね」と。
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■「中野のお父さんは謎を解くか」あらすじ



 本書は8編から成る短編集。
 
 主人公は出版社に勤める田川美希。
 名推理を披露するのは、美希の父。
 職業は高校の国語教師。
 仕事柄、書籍・作家・文章に関する知識・洞察力は抜群だ。

 美希は仕事で、疑問や怒り、モヤモヤを感じると中野の実家に帰り、父に話す。
 
 父はコタツで温まりながら、サラッと謎解き。
 美希のモヤモヤをスッと解消させてしまう。

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 ある時は、作家がトークショーで披露した「駐車場当て逃げ事件」。
 ある時は、日本が誇るミステリー作家の盗作騒動。
 またある時は、特典映像が全く映らないブルーレイ、「菊池寛はアメリカだ」という謎のつぶやき、泉鏡花の暴行事件、そして「100万回生きたねこ」は《絶望の書》という言葉・・・。

 さて、美希がモヤモヤプリプリハテナ?と思っている数々の謎を、中野のお父さんはどう解くか。
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■「中野のお父さんは謎を解くか」感想



 北村薫のミステリーは、とにかく知的好奇心を刺激する。
 頭脳王・水上颯さんが愛読するのも、うなずける。

 北村薫の本を読むと「こんなことも知らなかった、あんなことも知らなかった」と一瞬落ち込む。
 そして直後、こう思う。
 「こんなこと・あんなことを知ることで、世の中がこんなに楽しくなるんだ! もっと教えて北村さん!」と目がハートマークになってしまうのだ。

 たとえばミステリーの巨匠・松本清張にまつわる「まさか」の盗用騒動、泉鏡花と徳田秋声の火鉢を越えた殴り合い、そして「菊池寛がアメリカ」である謎。

 どれも、日本文学・海外文化・歴史の専門家でないと、真相は全くわからない。
 でもそこにちょっとした知識があれば、一滴のインクが水面に広がるように、真相がありありと見えてくる。

 だから本書を読むと、勉強をしたくなる。
 「中野のお父さんみたいな知識があれば、そしてそれに基づく洞察力があれば、わけワカメの謎がスルスル解けるんだ。
  何か羨ましいなあ。私もそうなりたいなあ。楽しそうだなあ」と素直に思えるのだ。

 さらに本書を読むと、知識は視野を広げ、心を豊かにすることも実感できる。
 たとえば「『100万回生きたねこ』は絶望の書か」
 
 美希は職場の飲み会で、好きな本を挙げることに。
 そこで美希が答えた本は、「100万回生きたねこ」。

 しかし同席していた男性が、意外な言葉をはく。

 「僕は、あれは・・・・・・絶望の書だと思うな」


 美希は「好きな本」を否定された気になり不機嫌に。
 実家で父親に愚痴を言うが、そこで中野のお父さんが言ったこととは・・・?

 中野のお父さんの言葉には、知識に基づく視野の広さが感じられ、さらに「視野の広さ」に基づく「寛容さ」がある。


 そしてその寛容さは「思いやり」となり、人の心をスッとほぐしていく。

 そう、学ぶこと・何かを知ることは「己の視野」を広げ、偏見や固定観念を突き崩していく。
 突き崩した壁の向こうにあるものは、「他者を受け入れる優しさ」なのだ。

 だから「中野のお父さん」を読むと、無性に勉強したくなる。
 学べば学ぶほど世の中が楽しく見えてきて、生きるのが面白くなって、人に優しくなれる。
 
 これって最高じゃない?

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 もし今、勉強に行き詰まりを感じていたら、本書だけでも読んでみて!

 お子さんが「勉強して何になるの?」「勉強って意味あるの?」と言っている場合でもOK。

 「勉強って、人生を面白くする特効薬なんだ!」と鼻歌交じりで教科書を開くことだろう。

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中野のお父さん  北村薫

評価:★★★★★

 「執着する人間――というのは、そのこと以外、見えなくなるからなあ」
(本文引用)
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 「やっぱり北村薫さん、好き!」
 思わずそう叫んで、本を抱きしめたくなる一冊だ。

 北村薫の小説は、台詞回しにややクセがあり(ちょっと考えられないほど古風なのだ)、「今どき」の小説を好む人には敬遠されてしまうかもしれない。

 しかし、そこがいいのだ。秘められた謎といい、謎にまつわる人たちといい、とにかく品が良い。
 読んでいるうちに、「自分はやんごとなき身分の人間で、お付きに人や学友と共に美しい言葉遊びや人間交差点の妙に耽っている」といった錯覚を起こすことができるのだ。

 ハイソでありながら堅苦しくない、品行方正だけど時々人間臭い。だけど結論は常に美しい。



 そんな北村作品を読んでいると、背筋を伸ばして膝をそろえて紅茶を飲みたくなる。そして優美な香りに身をゆだねながら、人が織りなす奇想天外な模様を何度も反芻したくなる。
 北村薫は、読書中と読書後をとびきり贅沢な時間にしてくれるのだ。
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 本書は、8話からなる短編集。全て、主人公・美希が遭遇するミステリーだ。
 出版社で編集者として働く美希は、一見心身ともにたくましいように見えるが、謎にぶつかると必ずこの人に頼ってしまう。

 それは、中野の実家にいるお父さん。

 国語教師の父親は、美希曰く「謎をレンジに入れてボタンを押したら、たちまち答えが出」てくるような人物。
 
 応募していないはずの作品の新人賞受賞、切り取られた痕のある謎の手紙、走るはずのないランナーのタイムが記録されたマラソン、空くじをねらう強盗・・・。

 どれもこれも、美希が実際に出遭った不可思議な出来事や、見聞きした奇妙奇天烈な現象ばかりだ。しかしこの話を父親にすると、あら不思議!父親はいとも簡単に真相を解明してしまうのだ。
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 これらの短編の中で、私が最も気に入っているのは、第7話「茶の痕跡」だ。
 
 美希が担当する雑誌の定期購読者に、100歳近い男性がいる。
 美希はその人物に興味を覚え、感謝の気持ちを伝えることも兼ねて、編集長と共に彼のもとを訪れる。

 話すうちに男性は、ある事件について語り出す。

 何と同じ本を定期購読する者同士で争いが起こり、一人が死んでしまったとのこと。
 どうやら、本をお茶で汚してしまったことが発端となったようなのだが・・・?

 この事件の真相解明には、発想の転換と並々ならぬ注意力、そして人間に対する洞察力が求められる。「相棒」の右京さんなら、「私は大きな勘違いをしていたようです」と、目を剥いて真相に邁進していていくことだろう。
 それにしても、書物愛は恐ろしい。ある物への偏愛と自己中心的性格が絡むと、ここまで事態はややこしくなるのか・・・。本好きというのも、度が過ぎれば諸刃の剣である。

 北村作品らしく、言葉の魔術が豊富に載せられているのも良い。
 第4話「闇の吉原」は、「悪の十字架」と「開くの十時か?」、「恐怖の味噌汁」と「今日、麩の味噌汁」などという遊びで友だちと盛り上がった経験のある方なら、間違いなく楽しめる一篇だ。

 日常には、「あっ」と驚くような出来事や、どう首をひねっても頭を振ってもわからないあれやこれやが意外なほど潜んでいる。
 たいていは、それらについて「もういいや」と考えることを諦めて、日常生活を過ごしてしまうだろう。

 しかし、この「中野のお父さん」を読むと、もう少し考えてみようかな、という気になってくる。
 そして謎が解明できたらきっと、気持ちが晴れやかになるとともに、日常への感謝の思いがこみ上げてくることだろう。

 そんな勇気と希望が湧いてくる、ハートウォーミングなミステリー「中野のお父さん」。
 寒くなってきた季節に、ぜひどうぞ。

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遠い唇  北村薫

評価:★★★★☆

  これが、どれほど重いものか。それとも、ただの、いたずら書きか。読み解いていたら、あの人はどうなっていたのだろう。
(本文引用)
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 まず、この本、帯に書かれたコピーが良い。

「小さな謎は、
大切なことへの
道しるべ。」



 時々、帯の宣伝文句が大げさで興ざめすることがあるが、このコピーは言葉のトーンといい主張といい、本書を非常によく表している。
 派手な言葉を並べ立てなくても、コピーを書く人が内容に深い愛情をもっていれば、地味でも人を惹きつける帯になる。それがよくわかるコピーだ。



 さて、その「大切なこと」につながる「小さな謎」とは何だろうか。
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 本書は7篇からなる短編集。その多くは暗号を解くミステリーだ。

 葉書に書かれたアルファベットの羅列、空白に和菓子を置くとメッセージが見えてくる俳句、江戸川乱歩の「二銭銅貨」をさらに発展させた暗号、謎のダイイングメッセージを残した死体・・・。

 他、恋人のちょっとした異変から謎を暴こうとするミステリー等もあるが、ほとんどが暗号を扱ったものだ。

 北村薫の小説は、読み手の深い教養のようなものが試される。本書のなかでその香りが最も高いのは、最終話「ビスケット」だ。
 
 ある日、日本通のアメリカ人ミステリー作家が殺される。
 ふと見ると、彼の右手が不自然な形を作っている。

 奇しくも、亡くなる直前にダイイングメッセージについて話していた彼は、自らそれを実践することとなったわけだが、発見者たちはなかなかそのメッセージの意味をつかむことができない。
 人差し指・中指・薬指の3本をピッタリとくっつけ、親指と小指を左右に開いた右手・・・。これはいったい何を意味するのか?

 私はこの暗号に関する「ある芸道」については全くの無知だ。よって、謎解きを読んで膝を打つ・・・というよりも、「そんな世界があるのか~」としばしボーッとしてしまった。と同時に、「これぞ北村薫作品を読む醍醐味!」という喜びが体の奥から湧いてきた。
 北村薫の小説は、いつも読書を通して見聞を広めることを実感できる。だから大好きだ。

 物語として最もジンときたのは、第2話「しりとり」だ。

 ある女性が、亡くなった夫の遺したものから謎のメモを発見する。夫は国語の教師だったという。
 それは和菓子の包み紙に書かれたメモで、どうやら俳句らしい。しかし、そのうち17文字が書かれていない。
 その俳句は、妻と出会ったときのエピソードを語ったものらしいのだが・・・?

 このラストには、思わず涙がこぼれた。暗号という奥ゆかしくも茶目っ気たっぷりのかたちで、大切な人に大切な気持ちを伝える。
 それを思い付いたとき、それを書きつけたとき、いったいどんな気持ちだったのかと想像すると、胸がギュウウッと痛む。
 短いながらも、謎解きの面白さとストーリーの滋味豊かさをじっくりと堪能できる、素敵な一話だ。

 北村薫作品を読むと、ミステリーで頭の中の掃除はもちろん、心まで洗い流されるような気持ちになる。
 最近、リアリティを追求する故か、乱暴な言葉遣いでセリフが書かれている小説が多い。
 そんな時代のなか、北村作品は「今時、こんなに綺麗な言葉遣いで話す若者がいるの?」と言いたくなるものばかりだ。
 
 しかし、だからこそ北村薫の小説には大いなる価値がある。時代や、自分の心が粗野になっていると感じたら、私は北村薫を読む。そうすると背筋を伸ばし、丁寧に人生を歩き出すことができる。
 だから、北村薫の小説が変わったり無くなったりしたら、私は困ってしまうのである。

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八月の六日間 北村薫

 ――思い通りの道を行けないことがあっても、ああ、今がいい。わたしであることがいい。
(本文引用)
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先日、東浩紀氏の「弱いつながり」について書いたが、それを物語にしたような小説が、この作品だ。

 仕事でもプライベートでも追い詰められていた女性が、ふと山に登る。
 そこで見た世界は、涙が出そうになるほど荘厳で美しいものだった。そして、その世界が、自分が来る前も帰った後も続いているということに感謝しながら、女性は山に登りつづける。
 出会う景色、出会う人々、出会う食物、思わぬ体調不良・・・様々な偶然が交錯するなかで、気持ちを新たにしていく女性。
 そんな一個人の姿を、清廉な言葉で流麗につづる本書は、読むだけで心身ともに伸びやかになる傑作だ。

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「街の灯」「玻璃の天」「鷺と雪」




時は昭和初期。
舞台は花の東京。
登場人物は、大名華族をはじめとする上流家庭の子女たち。
これだけ見ると、穢れも悩みも恐れも知らぬお嬢様方の、のんびりとした内緒話が聞こえてきそうだが、内容は紛れもなくミステリーである。

しかし、ただのミステリーではない。
華やかで厳しい、国家の重責を担う者たちだけが知る、誇りと覚悟に満ちた推理物語である。

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主人公は、士族出身の花村家の長女・英子。
爵位こそないが、父親は財閥系商社の社長を務めるという上流家庭のお嬢様で、毎日セーラー服を翻して女子学習院の門をくぐる、好奇心いっぱいの女の子だ。

そしてもう一人の主人公は、英子付の女性運転手・ベッキーさんこと別宮である。

英子の周囲に巻き起こる殺人事件や、同級生のお嬢様が引き起こす駆け落ち事件などを、英子が少女探偵よろしく別宮の知恵を借りながら解き明かしていくというストーリーである。

とにかく登場人物がすべて、超がつくほどの上流階級の人間なので、セリフが非常に美しい。
挨拶はもちろん「ごきげんよう」、友達を呼ぶときは「この方、この方」、トイレに行くときは「ごふ(ご不浄)にいらっしゃいませんか」・・・とまあ、こんな調子である。

しかしそんな雅な昭和絵巻のそこかしこに、様々な陰謀や覚悟や涙が顔を出している。

自分の主人である英子の身に何かが起こったら、潔く自決をするために拳銃を隠し持つ別宮。
大名華族の家に生まれ、何不自由なく育ちながらも、新興財閥当主との結婚を守るために重大犯罪に加担する同級生。
家族を殺された復讐を、自ら建てた屋敷の構造を利用して果たすインテリ男性。

恵まれた星の下に生まれたはずの彼らなのに、その向かう先には、庶民には縁のない試練が次々と訪れる。

英子が車で、いわゆる貧民街を通りかかった際、別宮に
「我々のような人間とそうでない人達のいることは、とても不当なことに思える。でも実際に、今のような家を見て、『あそこに住め』といわれたら、震えてしまう。とても出来ない」(本文引用)
と言う。

そこで別宮は、
「お嬢様-」と一呼吸おき、「『あのような家に住む者に幸福はない』と思うのも、失礼ながら、ひとつの傲慢だと思います」(本文引用)と静かに諭す。

英子はしたたかに頬を叩かれたような気持ちになったが、英子自身もわかっていたのではないか。
身分が高いからといって、決して幸せとはいえないということを。
だからこそ、貧しい人間たちを見たときに「自分は恵まれているはずだ」と思い込みたくて、柄にもなく別宮にそんなことをつぶやいたのではないだろうか。

「私も、友達も、みんな恵まれているはずなのに、なぜ幸せじゃないんだろう」

結婚すらひとつの仕事である上流階級に生まれたひとりの少女。
そんな小さな彼女の胸に、そんな思いが去来しても無理はないであろう。


そして英子はいつしか少女から大人になり、ある将校の青年と出会う。
英子にとって、初めての小さなロマンスが訪れようとしていた。
しかし、昭和11年2月26日、その幸せも打ち砕かれようとしていた。

庶民にはわからない不幸が、また彼女を襲ったのである。

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この三部作・第一話目のタイトルは、「虚栄の市」。
それは、この物語全てを表すにふさわしいタイトルだ。
華やかな上流階級たちの生活は、所詮「虚栄の市」。
そのドレスの中には、時代を動かす身分のある人間たちの様々な思惑が渦巻き、翻弄する者・される者がひしめいているのだ。

人間の幸せとは何だろう。
それは、やはりお金では買えないものなのだろうか。
いや、身分や富は時として邪魔をするものなのだろうか。

昭和初期の途方もない大金持ちたちの描写を通して、この作品は、そんな疑問を投げかけてくれているように思える。

最後に、大名華族の跡取りで、乗馬を得意とする大尉の言葉をここに載せておきたい。

「悍馬というなら、時代ほどの悍馬はないさ。ナポレオンでさえ、振り落とされた」(本文引用)

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「ターン」

大学時代、時々サークルの友達とこんな話をした。
「自分は、いったいどんな人と結婚するんだろう」
そしてお互い言い合った。
「もしかしたら、この学食のなかにいるかもよー」
「あそこでチャーシューメン、食べてる人かもしれないね」
「ここにいるかもしれないし、いないかもしれないし」

今、考えると謎なのだが、その当時はみな、
「すでに知り合った人と、意外なかたちで結ばれる」(ただの友達や知り合いでも)
ような気がしていた。
が、世の中は意外と広い。
その後、当時すでに知り合っていた人と結婚したというパターンはわずかで、
大半は卒業後に出会った人と結ばれていた。

私もその一人なのだが、長期的に考えると「なぜこの人と出会ったのだろう。結婚したのだろう」という不思議な思いと、「やはりこの人と結婚するのが、生まれた頃から決まっていたような気もする」のである。
(それにしても、私の夫は私にはもったいないぐらい素晴らしい人なので、
「これは遠方の親戚が、先祖代々の墓をいつもキレイに掃除してくれているからに違いない」
など何やらスピリチュアルな方向にまで考えをめぐらせてしまう。)



そんな男女の縁、人間の縁というものに夢を与えてくれる小説、それが北村薫著「ターン」である。
北村薫の「時の三部作」=「スキップ」「ターン」「リセット」は、いずれも「時間の穴」にスッポリとはまってしまい、あがく主人公の姿を描いた物語だ。
1分前まで平穏な生活を送っていた人間が、突然そこから切り離され、家族や友との別れを余儀なくされてしまう。
一見悲劇のよう・・・いや、間違いなく悲劇の物語たちなのであるが、読み進め、主人公とともに時間旅行をするうちに、自分がかけがえのない人と出会ったことの偶然さ、不可思議さ、そして大切さを痛感させられた。

なかでもこの「ターン」は、「運命の人との出会い」を夢見ていた、あの頃の気持ちを思い出させてくれた一冊である。


版画家・森真希は、カルチャーセンターで版画を教えたり、画廊に作品を持ち込んだりと多忙ながら、アーティストとしていまひとつ先の見えない日々を過ごしていた。
そんなある日、真希は交通事故に遭う。前方に突然割り込んできた乗用車。その瞬間、真希の乗った軽自動車はひっくり返る。
そして同時に、真希自身の時間もひっくり返るようになってしまった。

毎日毎日、事故の起きた時刻になると、一日前にくるりんと戻ってしまう。
「このままどうなってしまうの?」と不安にさいなまれながらも、その「くるりん」を繰り返す日常生活にも次第に慣れ、時が止まったレストランで食事をすませたり、店員のいない高級ブティックで、今まで着たこともない服を買ってみたりもする。
(何しろ「くるりん」が続く限り、お金が減らないのだから)

しかし何をしても、時間とも人ともつながれない真希は、「ただその日を生きている」というだけで、嫌でも孤独を味わうことになる。
私はこのままずっと一人なの・・・?

出口のない不安感を抱えたまま迎えた150日目、信じられないことに、家の電話が鳴った。
いったいどこから?
それは、「くるりん」のない、一日一日確実に過ぎていく世界からの電話だった。
イラストレーターを生業とする、一人の見知らぬ男性からの電話だった・・・。

・・・この男性と、真希との会話がいいんだよねえ。
男性が受話器を置いてしまったら、真希は二度と現世とつながれなくなるものだから、真希は必死に男性に「この電話を切らないで!」と懇願する。
そうしているうちに、二人の間には当然、他者同士にはない絶大な信頼関係が生まれてくる。
この過程が、とてもとても、美しい。

物語終盤に、とてつもない悪人が突如登場するが、
この物語を読んでいると、人を心から信じたくなる。信じてみたくなる。
素直に、「ああ、この話、好きだなあ」とつぶやいてしまう作品だ。

もし私が「くるりん」の世界に行ってしまったら、夫は電話をかけてくれるだろうか。
そして、それを私は受け取れるだろうか。
とりあえず、夫が「くるりん」の世界に行ってしまったら、私はひたすら電話をかけつづけよう。






プロフィール

アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

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