このカテゴリーの最新記事

「ない仕事」の作り方  みうらじゅん

評価:★★★★★

「つまらないかもな」と思ったら「つま・・・・・・」くらいのタイミングで、「そこがいいんじゃない!」と全肯定し、「普通」な自分を否定していく。そうすることで、より面白く感じられ、自信が湧いてくるのです。
(本文引用)
______________________________________

 本書を読み終えた瞬間、私の中で、みうらじゅんが村上春樹を越えた。

 実は先日、新聞でこんな記事を見かけた。
 村上春樹氏が福島県郡山市で開かれた文学イベントで、創作は「『一人カキフライ』に似ている」と語ったという。
 

「本当に孤独な作業だが、誰に頼まれて書いているわけでもなく、苦情の持っていきようがない」

 そんな作業を「一人でカキフライを揚げて食べている」ことに例えたのだという。(日本経済新聞2015/11/30夕刊より)



 しかし、みうらじゅん氏は自分の作業をこうたとえる。
 

「一人電通式」


 誰も目をつけていないものや、どこから見ても良さが見つからないようなものを世に出し、ブームにする。
 そのために、自分の足で素材を集めまくり、メディアに売り込みまくり、接待までする。
 そんな自身の作業を、みうら氏は大手広告代理店の名称を借り「一人電通式」と語る。

 「ゆるキャラ」「いやげ物」「マイブーム」・・・日本人なら誰でも知っている、どうでもよいといえばどうでもよい、でも看過できないものたちを、次々と生み出してきたみうらじゅん氏。
 私は、世界的小説家の「一人カキフライ」よりも、この「一人電通式」のほうを遥かに高く評価している(あくまで個人的に)。

続きを読む

見仏記  いとうせいこう/みうらじゅん

  「そん時はまた一緒に仏像見てさ、勝手なこと言って笑おうよ。それしかないじゃん。たぶんさ、俺たちはボッロボロでも仏像はあんまり変わってないんだろうねえ。だって、小学校の時に見たのと変わんなかったもん。なにしろ、仏像は修復出来るからさ」
 「でも、人間は修復出来ない」
 「そうそう。だけど、もう仕方ないよ、俺たち人間はさ。・・・だからこそ、人間は面白いんじゃん」

 (本文引用)
__________________________________

 先日、非常に面白い記事を目にした。
 
 「奈良の大仏、輝き失わず?」。 
 開眼供養されてから1260年。途中、火災などに遭い補修されながらも、後に作られた文化財よりも若さを保っている奈良の大仏。その秘訣を暴く有力な説が浮上したというのだ。

 アンチエイジングの秘密は金メッキ。それにより大仏の表面は金銅合金の状態となり、まず銅だけが先に酸化→表面が酸化銅を多く含む状態となったために、金の原子が内部へと移動→金の層が酸素の侵入を防ぎ、内部の腐食を食い止める・・・と、そういう寸法らしいのだ。
 (日本経済新聞 2012/11/18朝刊より)

 昔の人が、そうなることを予測していたのかはわからない。
 しかし、1200年もの月日を経て、そのような化学変化をジワリジワリと起こしていることを思うと、何ともいえない歴史のダイナミズムを感じ、クラクラするような恍惚感に襲われる。

 そして読み返したのが、今回ご紹介する「見仏記」
 サブカル界屈指の仏像マニアであるみうらじゅん氏が、仏友いとうせいこう氏を伴って巡る “見仏”の記録である。
____________________________

 ページを開いてまず圧倒されるのが、みうら氏が小学校時代に作成していたという仏像スクラップブックの写真だ。
 例えば鉄道マニアは、鉄道の写真や切符、駅で押したスタンプなどをアルバムに貼っておくが、まさしくその仏像版。




 几帳面に整然と貼り付けられた仏像の写真、そしてそれらを囲むようにビッシリと書かれた、みうら少年による解説。さらにその傍らには、仏像を詠んだ句(byみうら氏)まで・・・。その精密さと傾倒ぶりは到底小学生のものとは思えず、その分野の大学院生も驚きの出来といえる。

 そういえば、みうら氏とリリー・フランキー氏の対談集「どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか」のなかで、みうら氏の母親は息子に「阿修羅像も、あんたのおかげで有名にならはったしな」と言うような人だというエピソードが紹介されていたが、このスクラップを見れば、お母様のその言葉もうなずける。

 二人の旅は、奈良、京都、東北、そしてまた奈良、九州・・・と続くが、もう最初から、みうら氏の仏像に対する愛が大炸裂。
 「スター勢ぞろい」の東大寺法華堂(三月堂)に入れば「来るぞ、来るぞ」と不空羂索観音立像ほか十数体に及ぶ仏像たちに迫り、浄瑠璃寺の吉祥天女像には情熱的なラブレターをしたため、観光路線から外れた新薬師寺の宣伝のために一役買いたいと真剣に考える。

 そしてそれに対し、いとう氏は「仏像が来るわけではない。近づいているのはこっちだ」と冷静な目で見守る。

 仏像を前にした瞬間に、スッと当時の人たちの気持ちになる、みうら氏。
 仏像を前にした瞬間に、その仏像や寺の歴史等を理詰めで追っていく、いとう氏。

 「考えるより感じろ」派と「感じるより考える」派。
 
 そんな二人が織り成す見事なコンビネーションからは、会話だけでなく、日本の歴史、そして人間というものの面白さまで堪能できる。

 なかでも新鮮なのが、みやげもの屋から日本史を紐解くという視点だ。

 みうら氏といえば、もらっても嬉しくない「みやげもの」=「いやげもの」評論家として、つとに有名だが、ここでもその鑑識眼を存分に発揮。
 あるひとつの土産物が各店舗にあるかないかによって、文明伝播の道筋まで考察してしまう。そんな二人の柔軟さには、ただもう心底感心した。いやはや、すごい。

 仏像への愛がはちきれんばかりに溢れている、この「見仏記」。
 1000年以上生き抜いてきた仏像たちをまっすぐに見つめる、みうら・いとう両氏の会話からは、我々人間の儚さと、それに抗うことの醜悪さ、そして「どうせなら楽しく生きようぜ!」といったメッセージが熱く静かに伝わってくる。

 仏像は死なないけれど、人間は死ぬ。
 仏像は修復できても、人間は修復できない。

 お腹を抱えて笑いながらも、読み終えると、そんな真理が残っていることに気づく。

 これは仏像の本ではない。

 人間の根源を問うた名著である。

詳細情報・ご購入はこちら↓

本人伝説  南伸坊/南文子

 「Stay hungry,Stay foolish」
 私が大好きなコトバだ。とくに後半がメッチャ好き!「Stay foolish」一生バカでいろだよ。ジーニアスだよね。

(本文引用)
 ______________________________________

 「世の中、バカが多くて疲れません?」

 その昔、こんなCMコピーがあった(その後、何らかの問題が生じたらしく葬られた)。
 
 しかし私は、最近こう思うのだ。

 「世の中、賢い人が多くて疲れません?」

 実際、世の中の疲労の大半は、賢い人による「賢いコトバ」光線によるものではないかと、私は見ている。

 さてそこでオススメしたいのが、このバカバカしさ炸裂の一冊「本人伝説 -The Legend of Honnin-」

 過去「本人の人々」「歴史上の本人」など、時空を超えたあらゆる分野の有名人になりきってきた南伸坊氏。
 それは「本人術」=「顔面をキャンバスにして似顔絵を描く」という独自のアナログ手法によるものだが、これがもう内臓が痙攣するほど笑える(ちなみに、「本人の人々」の面白さについては、平松洋子著「野蛮な読書」にも書かれている。ご参考までに)。
_____________________________

 そもそも南伸坊氏といえば、一度見たら忘れられない「おむすび顔」。
 あの特徴のありすぎる顔を他人に似せるなど、はっきり言って無謀である。
 が、これが不思議なことに似てしまうのだ。

 オノ・ヨーコ、糸井重里、吉本隆明、ウッディ・アレン、バラク・オバマ、前原誠司、櫻井よしこ、マツコ・デラックス、松田聖子、ブータン国王、スーザン・ボイル、そして「悩む力」のなさそうな姜尚中・・・。







 なかにはちょっと苦しい(=似てない)ものもあるが、水嶋ヒロやペ・ヨンジュンなど「どう考えたって無理」と思われる二枚目の顔が、意外すぎるほど完成度の高い作品(=そっくり)に仕上がっているのが目を惹く。

 そして本書は、顔写真だけでなくエッセイも秀逸。
 なりきり日銀総裁・白川方明氏の「眉毛の角度と経済の相関関係」、なりきり仁科亜季子さんの、あの「レコードがこわれたみたいになってた」CM現象に言及した文章には、お腹を抱えて笑うと共に、背筋が伸びる思いがする。
 そこに隠された強烈な笑いと皮肉には、おそらく多くの人が「そこんとこ、どうなの?」と疑問を持っている本質的な部分が、たっぷりと練りこまれている。そう、ただのお笑い本ではないのだ。

 もしかすると「本当のことを見よう」とするには、「賢くなる技術」ではなく「馬鹿になりきる技術」が必要なのかもしれない。

 ちなみに冒頭に挙げた引用文は、なりきりスティーブ・ジョブズ(そっくり)によるもの。

 「Stay foolish」

 この一言は、おそらく本書が最も言いたいことであり、またこの時代を生き抜くための至言であろう。
___________________________________

 最後に、私は世界中に訴えたい。

「南伸坊・文子夫妻に、ぜひともイグノーベル平和賞を!」

詳細情報・ご購入はこちら↓

「生きる悪知恵」

 そういえば別の知り合いの若いコで、すごいおいしいラーメン屋に就職した人がいてね。醤油とかいろんな材料を全部測っておいて次の日どれぐらい減ったか調べて、納品書とかもチェックしたら、レシピが全部わかっちゃったって。それですぐに辞めて、自分で店開いて同じ味を作っちゃった。それぐらい厚かましくてもいいんだよ。
 (本文引用)
________________________________

 誰かに悩みを相談すると、しばしば「悩み」が倍増して返ってくる。
 時には悪いことに、元の悩みにモヤモヤとした憤りまで加わり、「こんなことなら相談しなきゃ良かったよ」などと思うこともある。

 その理由は、悩みに対する相手の答が「正論」だったからだ。
 「正論」で「あなたはこうすべきだ」とか「もっと辛い人もいる」などと言われると、正しいだけに反論ができない分、自分を責めるようになり、ますます落ち込んでしまう。
 (※「なぜ正論は良くないか」については、重松清著「ステップ」のレビューでも触れたが、山田ズーニー著「あなたの話はなぜ『通じない』のか」に詳しく書かれている。)

 しかし、現在ベストセラーとなっているこの本には、正論がほとんどない。
 60もの悩み相談に対して、ここまで正論を用いず答えられるというのも、ある意味すごい。
 だからこそ、この本は悩める人々の気持ちを心底軽くし、ベストセラーたり得ている。

 西原理恵子著「生きる悪知恵」
 サブタイトル通り、「正しくないけど役に立つ」情熱の人生指南書だ。
__________________________

 本書には、仕事から家庭、性格等さまざまな「ありがち」な悩みが載せられている。




 「世間では一流と呼ばれる大学に行っているが、70社受けても内定がもらえない」。
 「TOEICの受験が憂鬱」。
 「『空気が読めない』と言われる」。
 「学校の先生がウザイ」。
 「隣室のベランダからタバコの煙が・・・」。

 
 等々・・・。

 そしてそれらの悩みを、西原氏がちぎっては投げるように答えるのだが、その結論がすごい。

 「妻の飯がマズイ」という悩みには「焼いてポン酢をかけろ」
 「姑が、早く子供を作れとうるさい」という悩みには「そのうち死ぬから放っておけ」
 「使えない部下」「ネジだと思え」

 まるで、ちぎって投げられた相談者たちが、畳の隅に固まって転がっている姿が浮かぶような一刀両断ぶりだ。

 しかし、これは決して相談者を馬鹿にしているのではない。
 その結論に至るまでの言葉には、相談者の身上に自分の姿を必死に重ね、「こんな考え方はどう?」「それがだめなら、こういうのもあるけど」「ん~、ダメかなぁ。どうすればこの人の心を軽くできるんだろう」と散々悩み苦しんだ形跡が見られる。
 ふざけているようで、途方も無く真面目に答えている本なのだ。

 その証拠に西原氏は、相談者におもねることなく、時に手厳しい言葉を浴びせる。
(たとえば、「夫の浮気」を疑う相談者に対しては「他人の携帯を見たあなたが悪い」とピシャリ。)
 それは相談者にとっては辛く腹が立つことかもしれない。しかし相談者だけでなく彼らを囲む環境まで含めて考えると、やはりそうとしか言えないだろう。

 相談者は「自分だけ悩んでいる」と勘違いしているかもしれないが、もしかしたら、その相談者について悩んでいる別の相談者がいるかもしれない。
 悩む人には、往々にしてそれが見えなくなっている傾向があるものだ。全体を俯瞰する余裕がなくなっているものだ。

 この本に載せられた回答は、その現実を目にも鮮やかに映し出している。
 だから相談者の視野が一気に広くなり、霧が晴れたような気持ちになる。
 この爽快さは筆舌に尽くしがたい。

 犯罪でなければ、正攻法で生きなくてもいい。
 結果良ければ全て良し。
 
 この一冊を読めば、蟻に蹴られても痛がっていたあなたが、象に踏まれても平気な人間に変わること請け合いである。

詳細情報・ご購入はこちら↓
【送料無料】生きる悪知恵 [ 西原理恵子 ]

【送料無料】生きる悪知恵 [ 西原理恵子 ]
価格:840円(税込、送料別)



もっと笑いたい方には、こちらもオススメ↓
私は全巻持っているが、これを読むと浦沢直樹がいかに絵がうまいか、
リラックマを描くのがいかに難しいかが、よくわかる。



「小さなスナック」

 ナンシー:
 前にNHK教育の絵手紙講座見てたらさ、生徒が、先生のような味のある字、要するにへたっぽい字なんだけど、どうしても書けなくて、左手で書いてみましたっていうの。そしたら先生、大変いいところに気がつきました、って褒めるんだよ(笑)。それってほんと小手先の話じゃん。
 リリー:
 ここはバカボンのパパ的な人が出てきて「左足で描きましたのだ」くらいまで破壊してほしいね。

 (本文引用)
_____________________________

 「笑いたいね」
 「笑いたいね。もう内臓が裏返るほどに」
 「声は出さなくてもいいんだけど、息ができなくなって意識が混濁するほど笑いたいね」
 先日、家族でこんなことを話した。

 1日1回は大声を上げて盛大に笑ってしまう私であるが、心の奥底からマグマのようにわきあがる笑いというものには、残念ながらなかなか出会えない。
 その脇で、子供は、しばしばのたうちまわって笑っている。
 いったい何がそんなに面白いのかは謎なのだが、その姿がとても羨ましい。

 そんな私にとっての一服の清涼剤が、この本「小さなスナック」
 リリー・フランキーとナンシー関による、珠玉の対談集である。


_______________________________

 以前、「評伝 ナンシー関」のレビューでナンシー関の魅力について触れたが、この対談で、より深くその面白さ、鋭さがリリー氏共々浮かび上がってくる。

 まず注目すべきは、どこへ転がるかわからないローリングストーンぶりと、まさに常軌を逸した脱線具合である。

 あるときはリリーが石垣島に行った話から、ストレートにスキューバ・ダイビングの話になり、そしてネイチャー番組の小型カメラの話につながったと思ったら、気がつけば終着地点は恍惚の耳かき自慢。

 またあるときは、ナンシーの自動車免許取得の話から、あまり間をおかずにカツラの話で盛り上がり、気がつけば場所は中条きよしの着物お見立て会。

 さらにあるときには、共通の価値観の者同士で固まって生きることに苦言を呈し、異物の必要性を訴えるという真面目な話から、「そうそう異物といえば」といった調子で「某食品にフナムシが混入していた事件」へと発展し、どこがどうなったのか、広末涼子がGooのCMに出ているのが納得いかない、という話にまでもつれこんでいる。

 一見めちゃくちゃな会話のようだが、よく考えれば世の多くの日常会話は「何でこの話、してるんだっけ?」といった行き先のわからぬミステリー列車のようなものであり、それが日々の生活を面白くしているのだ。
 それまで話したこともなかった人と、ひょんな話題から仲良くなったり、尊敬していた人物の意外な趣味や性格が露呈したり・・・。
 1つの言葉から始まる脱線、脱線、また脱線は、すればするほど人生に彩をもたらしてくれるのである。

 そんな「素晴らしきおしゃべり」の魅力を余すところなく伝えてくれる本書だが、人並みはずれた好奇心と探究心をもつリリーとナンシーのこと、その広い守備と攻撃の範囲から、話題は想像もつかない方向へと勢いよく話が転がっていく。その様子がたまらなく面白い。

 また、社会の規範や建前にとらわれない2人だけに、かなり言いたい放題の内容ではあるが、不思議なことにこれが全く下品ではない。いやむしろ爽やかな涼風ただよう品のよさすら感じる。

 「歯に衣着せぬ発言が魅力」などというと、時々何でもズバズバ言えばいいと勘違いして、どんどん野犬のようになっていく有名人がいるが、この2人はそれがない。
 「皆言葉には出さないが、これは誰もが感じているのではないか」という物事の灰汁の部分を、実に巧みにすくって軽やかに指摘する。

 その代表格が、冒頭で挙げた引用部分、「絵手紙に対する疑問」だが、他にも

 「耳掃除をする際に、耳かき棒を長く持ったまま、いきなり始めようとする人間は信用できない」
 「字の汚い領収書は効果がなさそう」
 「『リ』と『ソ』、『シ』と『ツ』の書き方をうやむやにしたまま暮らしている人がいる」

 
 ・・・といった、「たいしたことではないのだが、結構気になる」ことがためらいなく指摘されている。

 そしてそれが傲慢にならないのは、この2人が「他人ではなく、自分を笑う」という美徳を兼ね備えているからであろう。

 「ヤフオクでの中古車購入」「どうしても川魚の臭いがしてしまうカレー作り」「水疱瘡を友達にうつして台無しになった修学旅行」・・・等々、インパクトの強い失敗談(特にリリー氏)が汲めども尽きぬ様子で語られるのだが、もうそれが抱腹絶倒ものの可笑しさ。
 何度読んでも涙が出るほど笑え、また同時に自分の過去の失敗なども思い出され、面白さが何倍にも膨らんでいく。
 そして、真の笑いには、まず「自分を笑い飛ばす強さと謙虚さ」が必要なのだと気づかされる。ああ、何という爽快な気分だろう。
beer.jpg


 いろいろ長々と書いてきたが、一言で言って「ものすごく自由な気持ちになれる本」
 思い切り笑いたい、そしてできれば胸のすくような思いもしたい、という人に全力でおすすめする一冊である。

詳細情報・ご購入はこちら↓

「評伝 ナンシー関」

 「勧誘するってのは相手の内面のどこかを揺るがせることだけど、あんた絶対そういう動かされ方はしないもん。もう磐石の如き自意識。全盛期の柏戸もかくや、だな」
(本文引用)
_________________________________

 若くして逝ったコラムニスト&アーティスト、ナンシー関。
 絶妙なキャプションをつけた消しゴム版画といえば、覚えておられる方も多いであろう。
 卓越した文章力と描画力でテレビを斬り、常に胸のすく思いをさせてくれた希代の勇士である。

 ナンシー関が亡くなったと知った時、私は茫然自失となった。ナンシー関が大好きだったからだ。
 
 気の置けない友人とは、「ナンシー関の約百面相」ハガキで暑中見舞いや年賀状を送りあい、文藝春秋で行われた「原ゴム展」には、終業後、サブカル好きの同僚とタクシーを飛ばして駆けつけた。
 そしてナンシー関が亡くなった時には、思いのたけを綴った追悼文を某新聞社に送り、それが掲載された。掲載の有無はさておき、とにかくナンシー関は私の心の支えであり、ナンシーのおかげで毎日が輝いていたと言っても過言ではない。

 その衝撃の急逝から、今年の6月で10年。
 そこで出されたのが、今回ご紹介する「評伝 ナンシー関」である。


______________________________

 まず興味深いのは、何と言ってもナンシー関を形作ってきたもの、つまりナンシー関こと“関直美”の生い立ちである。本書には、ご家族や小中高の友人たちによる談話がたいへん豊富かつ詳細に載せられている。

 世良公則&ツイストのファンだった女の子に「Twist」という消しゴム版画を彫ってプレゼントしたり、長い朝礼の間に長嶋茂雄に関するコラムをメモ帳に書き友人に見せたり・・・後の活躍を十分に予想させる数々のエピソードからは、ナンシー関の類まれなる才能と、テレビに対する並々ならぬ愛情がうかがえる。そしてまた、周囲の人々が“関直美”という個性を心から楽しんでいた様子も垣間見られる。

 そして上京後、ナンシー関は次第に「面白い人がいる」と認められるようになり、毎日が締め切りとなるほどの売れっ子となるわけだが、なぜそれほどまでに業界が、いや世の中がナンシー関を求めたか。
 本書ではその点について、ナンシー関を囲む友人・仕事関係者、そして“彫られた”芸能人らへの幾多のインタヴューを通じて、実に多角的な視点から分析をしている。

 なかでも印象的だったのは、コラムニスト小田嶋隆の言葉だ。

 「自分に見える徳光と、ナンシーが見た徳光を並べてみることで、はじめてその人物像が立体化するというようなことが、徳光に限らず何度もあったんです。私を含めた多くの読者にとって、ナンシーの文章は、テレビを複眼的に見ることを可能にしてくれた功労者だと思っています」
 (本文引用)

 徳光とは勿論アナウンサー徳光和夫のことだが、それは別として、この小田嶋氏の言葉には、ナンシーのコラム同様、抜けるほど膝を叩いた。
 そうなのだ。ナンシー関のコラムを読むたびに、いやコラムを読むまでもなく似顔絵に添えられたキャプションを読むだけで、「自分の見方」と「ナンシーの見方」とが重なり合い、そして「この有名人の今現在のあり方」を明確に定義することができるのだ。そのときの爽快感、高揚感といったら、ちょっと他では味わえないものがあった。

 秋元康に添えられた「マルチに小商い」、永六輔に添えられた「せきこえのどに」、大橋巨泉に添えられた「休めよオレみたいに ばかやろう」・・・。

 どれもこれも「そうそう、そうなんだよね。要するにこの人は」と大きくうなずきたくなる絶妙なひと言。
 業界人でありながら、タレントの価値を視聴者がどう捉えているかという相対的知覚価値を、極めて正確に測定したこの手腕には、もはや天晴というほかない。

 それにしても、なぜこのような見事な作品を、クオリティを落とすことなく作り続けることができたのか。
 それは本書によると、ナンシー関が頑ななまでに「テレビの一視聴者」でありつづけようとした姿勢故、とされている。
 どんなに有名になっても、テレビに懐柔されることなく、一人の視聴者として「面白いか面白くないか」をバッサリと判断し、丸裸にしてそのまま写し取る。
 そのテレビへの深い愛情から来る信念が、同じくテレビを愛する多くの大衆を惹きつける結果をもたらしたのであろう。

 さらに興味深く読めたのが、作家宮部みゆきの談話だ。
 ナンシー関のコラムの大ファンだったという宮部氏は、「心に一人のナンシーを」という言葉を常に胸に抱き、作家として舞い上がることのないよう心がけているという。そしてどこまでも客観的な視点をもつナンシーのコラムのおかげで、「自分を見失わずにすんだ」とまで語っている。

 ちなみにこの「心に一人のナンシーを」という言葉は、民俗学者大月隆寛によるもので、大月氏はナンシー関との対談で、当レビュー冒頭に書いた言葉をナンシーに向けている。
 大月氏は、「ナンシー関は街角で宗教に勧誘されたりしない」と言い切ったうえで、誰もがどこかでナンシー関に見られていると思えば、安易に何かを信じ込んだりすることはないのではないかと語っている。

 もはやナンシー関の及ぼした影響力と功績は、とどまることを知らないことがよくわかるエピソードだ。

 本書には、仕事もプライベートも含めたナンシー関の知られざる情報が300ページにも及んで紹介されているが、無駄に好奇心をそそるようなところのない、とにかく誠実かつ真摯な人物伝だ。
 故人を美化することも貶めることもなく、ナンシー関以上でも以下でもない、ナンシー関そのものをひたすら追い続け、深く掘り下げている。
 それは、ナンシー関が嘘や虚飾を許さない人間だからであろう。
 これがいたずらに美辞麗句を並べたような内容だったとしたら、「こんなこと書いてあったら、そりゃ買うだろうよ。あんまりあこぎなことすんなよ」などとナンシー関が嘆きそうなところだが、そのような嫌らしさのない、純粋な敬意に満ちた評伝である。

 ナンシー関の一ファンとして、著者・横田増生氏に心から感謝したい。
 ナンシー関よ、永遠なれ。
tvcat.jpg



詳細情報・ご購入はこちら↓
【送料無料】評伝ナンシー関

【送料無料】評伝ナンシー関
価格:1,575円(税込、送料別)

プロフィール

アコチム

Author:アコチム
反抗期真っ最中の子をもつ、40代主婦の読書録。
「読んで良かった!」と思える本のみ紹介。
つまらなかった本は載せていないので、安心してお読みください。

最新記事
シンプルアーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
RSSリンクの表示
QRコード
QR

書評・レビュー ブログランキングへ
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村
カテゴリ
広告
記事更新情報
リンク
広告