あのね、人間というのはいつだって「誰か自分ではない人間」が横にいて、その人との共同作業じゃないと、一言だって口に出来ないもんなんですよ。(本文引用)
_______________________________
私たちは、毎日実に多くのメッセージを受け取っている。
しかしそのなかには、心に届くものと届かないものがある。
その2つは、一体何が違うのだろう。
今回ご紹介する「街場の文体論」は、仏文学者であり武道家でもある内田樹氏が神戸女学院大学で行った、「クリエイティブ・ライティング」の授業内容を収めたものだ。
そしてこの講義の鍵は、ずばり「心に届く言葉と届かない言葉を分けるものとは何か」である。
それについて内田氏は、まさに学生たちの心に届かせようと、全身全霊でもがくようにあがくように熱く語っている。
_______________________________
まず全編を通じて主張されているのは、
「受け手がいてこその送り手」という一点だ。
文章でも口頭でも、何より大切なのは「受け手を敬う」ということである。
たとえば街の風景を描写する際にも、読み手がその情景をありありと思い浮かべることができるように書かなくてはならない。
そして上手い作家というのは、それだけで、時代の移り変わりや人々の心まで説明しきることができる。
内田氏は、その例として橋本治や三島由紀夫の文章を例にとって説明していく。
一方で内田氏が激高しながら語ったのは、こんな例だ。
フランスで学位をとってきた若者が、日本国内での学会において、フランス語で発表したという。
内田氏は、その若者について
「これが理解できるやつ以外は聴くなよ」という態度であると感じ、頭を抱えたという。
つまりそのような態度は、受け手を敬う心、いやそれどころか学者が持つべき
「研究で得た知見を人々に贈与する」心を失っているのである。
これについては私自身もしばしば感じる。
たとえば、以前から「悪文」として名高い六法全書などは、書かれた時代もあるであろうが、まさしく「これが理解できるやつ以外は読むなよ」といった態度で書かれている。
そして政府の会見、年金や保険等さまざまな制度、どれもこれも「私たち一般市民を度外視した」難解さで表現されている。
国民を視野に入れずに、いったい誰に向けて書かれているのかわからないが、これが「お願いだからわかってほしい」という魂の込もった言葉であったなら、たとえ制度自体がややこしかったとしても、どれほど人々の気持ちは安らくだろう。
わかりにくい制度を、わかりにくい言葉で表現するから、国民不在と受け取られるのだ。我々が見下された気分になるのだ。
「小説じゃないんだから魂など込めなくても・・・」と思われるかもしれないが、一般の人に幅広く知ってもらうべきものこそ、隅々まで魂を込めて表現すべきだ。
本書を読み、改めて「世の中のわかりにくいもの」に対する見方が変わり、真剣勝負で対峙する気になってきた。
さらに本書で面白かったのは、
送り手と受け手は、決して「他人同士とは限らない」という点だ。
その例として挙げられるのが、普及しそうでなかなか普及しない「電子書籍」だ。
本だとコンスタントに何十万部と売れる人気作家が、電子書籍だと驚くほど売れない。
それはなぜか。
何と、人は本を読んでいる時に「自分の中にいる他人と会話をしているから」だというのだ。
片方の手で「読み終えた紙の厚さ」を、そしてもう片方の手で「これから読む紙の厚さ」を、人は無意識に量っている。
その、手に感じる分量で人はストーリー展開を予測し、「読み中の私」と「読み終えた私」とが対話しているという。そしてそのような対話がないと、人間は安心して行動ができないというのだ。
それが「紙の本が廃れない理由」と本書では説かれている。
この解説に、私は思わず自分の両手を見つめ、そして絶句した。
私は毎日、あらゆる場面で自分の中の他人と対話していたのだ。
テレビドラマも、「あと7~8分で終わるから、これ以上犯人は出てこないな」と推測しながら観ている。
料理で大根を切っているときでも、残りの量を目と手で測りながら包丁で切っている。
これが、いつ果てるとも知れぬものだったら、到底取り組むことはできないだろう。
我々は、終わりの予測ができるから安心して生活できているのだ。
この解説には、真に虚を突かれた思いがし、もはや脱帽である。
_______________________________
私たちは、自分でない他者、そして自分の中にある他者の存在を無視して生きることはできない。
この「街場の文体論」は、文章に限らず生活全てにおいて、他者との対話の重要性を訴えている。
そして対話の際には、何があっても、受け手に対して「お願いだからわかってほしい」という気持ちで伝えること。どんな美辞麗句よりも、それが肝要なのだ。
そして、改めて気がつく。
この講義こそが、内田氏が受講者に対して「お願いだからわかってほしい」という魂を込めた授業だったということを。
「心に届く言葉」そのものだったということを。
内田樹の他作品のレビューはこちら→
「下流志向 学ばない子供たち 働かない若者たち」 →
「寝ながら学べる構造主義」